日記・コラム・つぶやき

みんなが幸せになる方法(ひとつの考え方)

民主党代表選に出馬する岡田氏が会見で「国民が幸せになるよう後押ししたい」と述べた。結局スローガンだけで、具体的にどのような政策で国民の幸福を実現するのかについての言及はなかった。具体性のなさは対抗馬の鳩山氏も同じ。「友愛政治」って何よ?

すべての国民が、と言うのはかなりハードルが高いかもしれないが、多くの国民が幸せになる為にはどうしたら良いのだろう?本当は人任せ(例えば政治に期待するとか…)にしては、いつまで経っても実現しないのではないか?結局のところ、国民ひとりひとりの心がけにかかっているのではないか?

最近、「神の手を持つ」と賞賛される脳外科医、福島孝徳氏の本(『福島孝徳 脳外科医 奇跡の指先』(PHP文庫))を読んで感銘を受けた。何に感銘を受けたかと言えば、福島医師の仕事に対する姿勢だ。彼は「すべてを患者さんのために」と言う心構えで、脳外科医という仕事に全力で取り組んでいる。

1日も早く一人前の外科医になりたいと若い頃は率先して手術経験を積み、患者の身体的負担を減らすべく画期的な手術技法と様々な手術器具を自ら開発し、要請があれば世界各地へと赴く。しかも手術器具が整っていない国・地域には自腹で器具を持参し、術後には寄付。さらには、できるだけ多くの患者を救うべく、脳外科医育成財団を設立したり、自らの手術の様子をビデオ教材として提供し、後進の育成にも力を注いでいる。

そのすべてが「患者さんのために」というただひとつの目的に収斂される。そこに私利私欲は一切ない。彼が得た世界的名声は、彼の類い希な業績の結果に過ぎない。その名声さえ利用して、彼は脳外科学会、ひいては医学界全体の発展に尽くし、その成果を患者に還元しようとしている。その点に私は心を打たれた。

その型破りな言動は、日本の医学界の枠には収まりきらず、彼は40代で国外へと飛び出してしまった。今や独自に確立した「鍵穴手術」で、脳外科手術の世界的権威。世界をまたにかけて複数の大学の教授を兼任している。これは所謂「頭脳流出」ですな。世界の為には良かったが、日本にとっては大きな損失だったのではないか?こうした大器を生かす余裕が、日本の医学界になかったのがとても残念だ。

福島氏は近著で、日本の医療に対し率直な提言を行っているが、果たしてどれだけ理解され、受け入れられるのだろう?アメリカナイズされた合理性がそのまま日本の医療に適用できるとは思わないが、謙虚に耳を傾けるべき点は多々あると思う。なぜなら、彼の視点は一貫して「患者本位」だからだ。

福島氏についてさらに興味深い点は、「神の手を持つ」と賞賛されながらも自らの限界を自覚し、最後は「神」(福島氏は明治神宮の神官の家に生まれた)に患者の命を委ねる「謙虚さ」である。真の実力者はけっして驕り高ぶらない(逆に実力のない者ほど、自らを強く、大きく見せようとする)。自らが長年に渡って培った技術を惜しみなく後進に伝えるという姿勢も、彼の偉ぶらない人柄をよく伝えている。

人はそれぞれ何らかの役割を担って、この世に生を受けたはずだ。ひとりひとりが私利私欲に囚われることなく自分の役割を誠実に全うすれば、世の中は劇的に変わるのではないか?別に大それたことではけっしてないと思う。日本国民は日本国民として、親は親として、子供は子供として、職業人は職業人として、自分が今何をすれば最善なのか誠実に考えて、行動に移すだけのこと。それが長年に渡って疎かにされて来たから、現代社会は機能不全に陥り、多くの人が閉塞感に囚われ、自らの人生に幸福を見いだせないのだと思う。まずは自分が変わらなくちゃsun

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『同情するなら助けてくれ』

タレントの清水由貴子さん(49)が、父の眠る霊園で自殺したニュースは衝撃的だった。

「タレント清水由貴子が21日、父が眠る静岡県内にある冨士霊園で死亡しているのが発見された。49歳だった。調べによると、午後1時30分ごろに清水さんと母親が倒れているのを、霊園の職員が発見。救急車が駆け付けたが、清水さんはすでに死亡していた。母親は意識不明のまま病院に運ばれている。死因は自殺とみられている。

 清水さんは、1976年2月18日のテレビ番組「スター誕生!」で、ピンクレディーを上回る評価で大会最優秀賞を受賞。77年3月1日に「お元気ですか」で歌手デビューしていた。同期の高田みづえ、榊原郁恵とは「フレッシュ三人娘」と呼ばれて、人気を博していた。その後も、お母さん役としてドラマやCMで活躍していた。」(『ニッカンスポーツ・コム』)


その日は雨が降っており、 「父の墓前で横向きに倒れた状態で死亡していた彼女の傍らには、車椅子に乗った母(80)が呆然としたまま雨に打たれていた」と言う。 「『迷惑をかけてすみません』『消防署に知らせてください』と大きな字で書いた紙2枚が見つかった」「清水さんの死亡推定時刻は前日の午後5時頃。母親は息絶えた娘をどうすることもできず、一昼夜をともに過ごしていた」(以上、引用文は4/23付サンケイ・エクスプレスより)。その情景を想像するだけでも胸がしめつけられる。


私と同世代で、しかも華やかな芸能界に身を置いていた女性が、老母の介護の為に仕事を辞め、最後は自ら死を選んだことに心底驚いた。その後の報道を注視しているが、概ね以下のような論調である。

・清水由貴子さんは父亡き後、女手ひとつで彼女と妹を育ててくれた母を心から愛し、長年糖尿病と腎臓病を患い、近年は失明し車椅子生活となった母を献身的に介護していた。
・母の介護と仕事の両立に悩んだ末に2006年に、デビュー以来所属していた芸能事務所を辞め、実質芸能界を引退した形になっている。最近は母をデイケア施設に預け、パートの仕事に従事していた。
自殺の原因は介護疲れか。温厚な性格で近所の人々とも良好な関係を築いており、母子の仲睦まじい姿を何度も目撃されている。基本的に在宅介護だが、デイケアをはじめ公的介護サービスも受けており、関係者には介護疲れを訴える様子はなかった。自殺の前日も母と妹と3人で食事に出かけ普段と変わらない様子だった。しかしパート契約の更新はしないと妹には話していた。

母親想いの彼女はマスコミで手放しで賞賛され、その痛ましい死は同情されている(本当はもっとワガママでも良かったのに。優し過ぎたんだね)。代わる代わる専門家が登場しては、介護問題を講釈する。 「介護の問題を解決するには国の介護保険ではダメで、地域で取り組む仕組みを作る必要がある。家族だけの介護は限界だ」(日向野春総・常楽診療所長、精神科医)。しかし、それで良いのだろうか?彼女の死を美談仕立ての悲劇としてこのまま終わらせてしまっていいのだろうか。他の下らないニュースと同列に一過性のニュースとして読み流していいのか。

(私の目配り不足かもしれないが)どのマスコミも「問題提起」だけで、「問題解決」の方向性を具体的に示してくれていない。かつては「老老介護」が問題視されたが、今回の清水さんのようなケースは「シングル介護」とも言われ、未婚であるが故に精神的・経済的支え手が少なく、「出口の見えない介護生活」に将来を悲観し、絶望してしまいがちだと言う。

ちなみに政府調査では、2007年には在宅介護者から265人の自殺者が出たと言う。さらに4人にひとりが鬱症状を訴えていると言われている。

その苦しみを公に訴える場所も殆どない。プロである介護ケアの担当者らは、個々の介護家族が悩みを吐露する受け皿にはなっているが、その思いを集約し、世に訴えて、介護問題を社会的緊急課題として世論形成する圧力装置にはなっていない。介護問題に直面し、苦闘している人々を先導し、解決に向けて具体的に効力を発揮できるはずの国や地方自治体、企業へ働きかける役割を担うべきは、誰あろうマスコミではないだろうか?

「酔っぱらって裸になっちゃっただけの」草薙君を追いかけ回すヒマがあったら(←これは経済的損失を拡大するだけの、社会にとって何の役にも立たない行為) 、本来貴重な働き手であったはずの人々を家庭に閉じ込めてしまう、社会的損失の大きな「介護問題」の解決に繋がるような働きを少しはしたらどうなのだろう?

テレビ報道を見る限り、介護による社会的経済的損失に着目し、国や企業が解決に向けて動くべきだと提言した、『ニューズウィーク日本版』編集長の竹田圭吾氏のコメントが一番私の心に響いた。確かに介護する人々の苦悩や愚痴を周りの人間が聞くこと(私もここ数年父を介護する母の愚痴をずっと聞いて来た。中学の時には認知症の祖父が垂れ流した糞尿で汚れた自宅の廊下を拭き掃除したなあ)は多少の救いには繋がるかもしれないが、それだけではまだ不十分で、根本的な問題解決には至らない。もっとドラスティックに問題を解決するには、国民全体で介護に対する問題意識を共有し、社会全体でその責務を負うようなシステム作りをする必要がある。その為には国や企業も積極的にその作業に関わらなければダメだと思う。

具体的には(私が思いつく限りでも)
(1) 男女問わず、親族に要介護者が出た時に迷うことなく介護する権利が与えられること。或いは、介護を代替する要員を確保できること。
(2) 介護者が介護に従事しながらも自分自身の為の時間を持てる環境、十分な休息が取れる環境、さらには介護者同士及び介護者と周囲の人々が精神的に支え合う環境を作ってあげること(定期的に集い、語り合う場を設けるなど)
(3) (1)、(2)が当然の権利として社会的に認知され、保証されること(←介護に直接当たる機会のない人間も、介護者の立場を理解し、介護者の権利を認め、それを手助けすること)
(4)そうした仕組みを、社会的経済的損失を最小限に抑える形で、国や企業が支援すること。

自分を産み育ててくれた老親、長らく日本社会に貢献して来た老人に恩返しすることは人間の道理として当然だし大切なことだが、だからと言って、その為に若い世代が自らの人生を犠牲にするのは理不尽である。現状は、あまりにも個人に介護の負担を強いており、個人の人生を犠牲にし過ぎている。それは介護される側の立場から見ても酷である。このままでは「長生きすること」に罪の意識を負わされかねない。それが超高齢化社会である日本の最大の問題だと思う。

考えてみると、映画『楢山節考』にも描かれた「姥捨山」の存在は、老人介護の問題が昔からあったことを意味している。貧しかったが故に、衰弱した老親を山に遺棄せざるを得なかった昔。経済大国となり、食生活の向上、医療技術の発達で世界に比類ない高齢化社会となり、老親を長期間介護することが当たり前となったが故に、様々な問題が生じている現代。皮肉な話である。

個人的には脳死状態に陥った父の延命治療を巡って、最近兄弟とケンカしたこともあり、人生の終末期において人間はどうあるべきかについて考えていたところなので、今回の清水さんの一件は心にズシンと来た。最後に清水さんのご冥福を心から祈ります。

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最近のマスコミ報道を見て、感じたこと

■某国の衛星打ち上げを巡る、日本政府とマスコミの反応について

過剰反応だと思う。マスコミが不安を煽るように騒ぎ立てれば立てるほど、夫や私のマスコミへの視線は冷ややかになった。果たして、あっけなく衛星を載せたミサイルは発射され、日本領土内に落下することなく、日本海と太平洋上に落下した。

仰々しい迎撃ミサイルの配備には違和感を覚えた。そのことを会見で喜々として語っているようにも見える役人や政治家。まるでミサイルの到来を待ち望んでいるかのようにも見える。好戦的だなあ。道具は持っていたら、やっぱり使ってみたいものなんだろう。その先に戦争の影が見え隠れするのが怖い。

そう言えば、オバマ大統領が就任後、他国に先んじて呼ばれたのは、我が国の麻生総理っだった。それが米国の対日重視の現れだと単純に喜ぶ総理の姿が滑稽だった。もしかして、この時、米国の兵器をもっと買うよう促されたのではないかと穿わずにはいられない程、今回は迎撃ミサイルのマスコミ露出が多過ぎる。

その懸念は、大不況の克服に常に戦争が利用されたことを、歴史が物語っていることに依拠する。日本の大財閥の出発点も、日露戦争での武器商人だったと聞く。

今回の一件での、日米英の国連安保理決議への働きかけは功を奏していない。拒否権を持つ常任理事国の中国とロシアが静観の構えだからだと言う。一方マスコミは「全世界が非難する中、ミサイル打ち上げが行われた」と言う。

「全世界」とはどこを指すのか?少なくとも、「全世界」の中に中国やロシアは含まれていない。似たような定義の曖昧さは、例えば「グローバル・スタンダード」と言う言葉にも見られる。ここで言うグローバルは、実体的に必ずしも「全世界」を指すのではなく、「米国」を指しているのは明白である。この国はいつまで、「米国」と言うフィルターを通してのみ「世界」を見ようとするのだろう?

かくして、私は政府やマスコミに対して懐疑を深めて行く。

■献金疑惑を巡る小沢氏と民主党の対応について

小沢氏はかつて自民党の中枢にいた人で、私には旧来の自民党を引きずった人にしか見えず、野党の党首としての清新さが一切感じられない人だ。それなのに、二大政党制を目指す民主党員は、ケチのついた小沢氏に今もなおつき従う。特に一部幹部の執着ぶりは理解し難いほどだ。本当に政権奪取を視野に入れた政党なのだろうか?個々に光る人材は散見されるものの、もとより民主党には殆ど期待してはいないが。党員間のポリシーは統一感に欠け、自民党との明確な違いも見いだせないからだ。

国民生活と政治との乖離が続く間にも、経済不況は進む。多くの国民が追い詰められて行く。他国で次々と打ち出される経済対策を報道で目にする度に、焦燥感にさいなまれる。

■千葉県知事選挙の結果について

3匹目のどじょうは果たして、いるのだろうか?M氏はその3匹目のどじょうになり得るのだろうか?元衆議院議員のM氏の議員時代の実績が全然思い浮かばない。彼は前職でどんな実績を残したのか?知名度やイメージや声の大きさだけで、県政は司れないだろう。ダブルH氏と同じ高みに、M氏は上れるのだろうか?

09040770 ただし、社会は「人」で動く。人は「心」で動く。「希望」を持つことは、けっして悪いことではない。M氏に託した千葉県民の「希望」が、少しでも千葉県を元気にしてくれたら良いなと思う。

<写真は自宅ベランダから見える満開の桜

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企業の要はやっぱり”人材”

未曾有の消費不況と言われる中、大手企業が大幅減益等を理由に、次々と大規模な人員削減を行っている一方で、増収増益を続けている企業もある。真っ先に浮かぶのは「任天堂」だが、ここでは靴小売業「ABC MART」について取り上げたい。この企業は先日のNHKの経済番組でも取り上げられた。今朝も「経済羅針盤」と言う番組で、野口実社長(43歳)を迎えて、その躍進の秘密がレポートされた。以下は、その番組から。

ABC MART、業績の浮沈を握るのは店員力
          (↑これは小売業全般に言えることだろうな)

ABC MARTは7年前に株式上場を果たしたばかりの、伸び盛りの企業だ。その成長を支えているのは、店員から社長にまで上り詰めた野口社長の、積極的な店舗拡大策に代表される攻めの経営姿勢と、各店舗に配置された店員ひとりひとりの高い販売能力である。それが、商機を逃さない→好業績に繋がっている。

◆積極的な店舗拡大策◆(←これは諸刃の剣と言えなくもない)

野口社長は就任以来、店舗拡大を積極的に進め、現在ABC MARTは全国に450店舗を構える。こうした拡大路線は以下のことを可能にした。

■店舗間で在庫を融通しあう

地域によって売れ筋商品には大きな違いが見られる。
→気候風土による需要の違い、消費者の色やデザインの好みの違い

全国規模のネットワーキングで、地域特性を考慮した在庫調整を行い、在庫商品を減らす。

■大量一括仕入れで、仕入れコストを引き下げる

全国展開と言うスケールメリットを生かして一括して大量に仕入れることで、一般メーカー品だけでなく、ブランド品のコストダウンも可能に。



◆店員の高い販売能力◆

意外にも、ABC MARTは同業他社の店舗に比べ、店員の配置率が40%高い。しかも正社員である。

「個々の販売能力が高ければ、高い人件費を補って余るほどの収益を上げることができる。」と社長。

■マニュアルに依存しない

マニュアルで細かく規定すると、通り一遍の接客しかできなくなる恐れがある。必要最低限の技術、マナーは押さえた上で、個々の店員が自分の頭で考えて接客にあたるよう促している。
→店員ごとの売り上げデータはこまめに更新するようにし、それを随時店員が意識することで競争意識を高める。

■現場第一主義

かき入れ時の週末は人事や仕入れ担当など、本社の管理部門の社員も店舗に動員して接客に当たらせる。その為、会社の定休日は金曜日。社長自ら店頭に立つことも珍しくない。
→仕入れ担当者は「今、市場ではどんな商品が求められているのか?」、人事担当者は「今、店員に必要なスキルは何か?どのような店員が求められているか?」を知る絶好の機会に。


(消費者の)買いたい時が、(商品の)売り時=商機

商機を逃さない接客の裏技?】

1)客の来店時には「いらっしゃいませ」と明るく声かけ

店の活況を印象づけると共に、店員は「自分の手が空いていますよ」と言うアピールにもなる。
→客の立場から言えば、気に入った商品があっても、近くに店員がいなくて困ることがままある。すぐに接客して貰えるのは嬉しい。

2)作業をしながらの声かけ

押しつけがましくない接客態度を心がけて、客に快く買い物をしてもらうような店内の雰囲気作り。

3)店員自身の体験談を交えて接客

実際に商品を使っての使用感や、使用する際の注意点などを具体的に述べて、客の購買意欲を高める

4)客が靴のサイズに迷った時には、まず大きめのサイズから薦める

→最初に小さい方を薦めると、きつかった場合に商品自体の使用感、イメージを損ねてしまう恐れがある。

5)レジでは精算時、靴だけでなく、最後の一押しでもう一品(手入れ用品等)薦める。

不況下では、客は「自分にとって、この商品は本当に必要なのか」と、いつも以上に吟味して商品を買い求める。その購買意欲をいかにして高めるかが店員の力量の見せ所である。

なお、今年の販売戦略としては「幅広い価格帯(高額商品から普及品まで)で、お得感を」だそうだ。

【感想】

店での店員の様子を見ると、とにかく走る、走る。店頭に客の求める商品のサイズがないと分かれば、倉庫へ走って取りに行く。客の求める商品がないと分かれば、近隣の店舗に在庫を問い合わせ、走って取りに行く。その一生懸命さが、客を逃がさないのだと思う。その直向きさは清々しい。それは人材を蔑ろにしない企業トップの経営姿勢が可能にしているのだろう。顧客重視の姿勢も、確実に消費者の心を掴んでいるように見える。

最近、雇用の調整弁とも言われる派遣社員を容赦なく解雇する風潮が見られる。目先の利益に汲々として人材育成を正面から否定し、人間を人間として真っ当に扱わない雇用形態の非情さが、ここに来て露わになっていると言えるだろうか。もちろん、個人の努力(自らを高めようとする意識、向上心)の有無も問われるべきだが、その為の環境作りは、企業や社会の責任だと思う。天然資源に乏しいこの国で、最も価値のある資源は人材だ。それを大事にせずして、この国の未来はないと思う。

◆ABC MART公式HP:http://www.abc-mart.com/index.html

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ある理想のかたち~人が人として尊ばれる社会

先日、テレ朝の「ニュース・ステーション」で、素晴らしい会社のことが紹介されていた。まず、その会社の会長が言われた言葉に深い感銘を受けた。

人間の究極の幸福は、以下の4つです。

1.愛されること
2.褒められること
3.役に立つこと
4.人に必要とされること

それを障害者雇用と言う形で実践されている。そのきっかけは50年前に遡ると言う。その当時、ある養護学校の先生が会社を訪ねて来られた。卒業生の就職受け入れの要望だった。難色を示す会社に、その先生は言われたそうだ。

「このままでは、この子達は、一生働く喜びを知ることなく、人生を終えてしまうのかもしれないのです。」

この言葉に心を動かされた会社は、職業体験という形で生徒を2名、限られた期間(2週間?)受け入れることにした。すると、体験期間が終了を迎えた時、従業員から、生徒達の継続雇用を訴える声が上がった。

「わからないことがあれば、私たちが教えてあげます。面倒を見ます。ですから、この子達を雇ってあげてください」

生徒達のひたむきな働きぶりに、感銘を受けた従業員の心からの訴えだった。レポートでは、その時以来、50年間働き続けている女性も紹介された。彼女は嬉しそうに、こう言った。

「ここで働いて50年を迎えたので、今年9?歳になるお母さんが、お祝いにお赤飯を炊いてくれました」

この最初の障害者雇用以来、この会社は積極的に障害者を雇用し、今では雇用者の50%以上を占めると言う。工場長は、営業活動で苦境に立たされた時、彼らの「頑張ってね」の言葉に励まされ、その恩返しに今も精力的に営業活動を続けている。まさに、健常者と障害者が共に助け合って生きる社会が、この会社で実現している。

「障害を抱えているから無理」ではなく、どうしたら、そのハンデキャップを軽減できるか、作業工程の簡素化やワーク・シェアリングや丁寧な指導など、さまざまな工夫を凝らして、障害者に働く場を提供している。

そもそもHPを覗いてみると、この会社は昭和12年に、白墨を使用する教師の肺結核の多さを憂慮して、米国と同じ炭酸カルシウムを原料としたチョークの開発に着手したと言う逸話が残っている。その出発点から、「人を大事にする」会社なのだ。現在も、北海道で廃棄に苦慮していたホタテ貝の貝殻を原料に、折れにくく、粉が出ない「ダストレス・チョーク」を開発し、チョーク業界では7割のシェアを誇る。この主力商品は、環境にも配慮した画期的な発明と言える。

社員のひとりひとりが、生き生きとした表情で働く職場の様子に、社会のひとつの理想的な在り方を見たような気がした。この素敵な会社の名前をご紹介します。

川崎市にある「日本理化学工業株式会社」と言う会社です。この記事を読んで興味をもたれたなら、会社のHPを覗いてみて下さい。

日本理化学工業株式会社http://www.rikagaku.co.jp/

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かんぽの宿、オリックスへの譲渡問題の本質

宿泊・保養施設「かんぽの宿」のオリックス不動産への譲渡問題。どうやら鳩山総務相の物言いから、ついには野党まで動き出して、この件は白紙となるようだ。

しかし、しかし、一国民として腹に据えかねるのは、そもそもこうした不採算事業(年間40~50億円規模の赤字!)を、どうして適正な事業計画もないまま日本郵政公社の前身、郵政省は始めたのだろうねえ?そのことの責任追及なしに、譲渡手続き問題だけが大きく取り沙汰されるのが腑に落ちない。

郵政省がこの「かんぽの宿」事業に投入した資金は、元を辿れば国民の預貯金(簡保の保険料)だよね?その投資が回収できないこと自体とんでもないことだ。国民の誰も作ってくれとは頼んでいないはず(それとも地方の雇用創出?)。民間企業なら考えられないことだよ。投資額に見合うだけの利益を上げることもできない事業に多額の資金を投入するなんて?!なんて大甘な需要予測なんだろう。

官主導の事業の問題点は、損益をあまりにも考えなさ過ぎること(社会にとって、それがどうしても必要なものならともかく)、さらに失敗した場合に誰も責任を取らないことだと思う。昨日で就任1年を迎えた大阪の橋下知事も、関西国際空港の大幅赤字に関して、官の経営感覚の無さを指摘していたけれど、まったくもって、この無責任体質には憤りを覚えてならない。世界有数の経済大国が、こうした杜撰な赤字事業の数々で、世界有数の借金大国に成り下がり(少子高齢化による社会保障費の増大と不況による税収の伸び悩みが大きな原因ではあるだろうけれど、赤字事業の損益も”塵も積もれば山となる”だろう)貧困国(厳密に言えば国家だけが富んで、国民は貧困に喘ぐ国)に向かって転がり続けている。

息子が卒業した、築50年のボロボロの小学校の校舎(今、地震が起きたら、ひとたまりもないぞ!)を見ながら、「この国は一体誰の為に存在するのか」と溜息をつくばかりだ。

【参考サイト】
↓私が常々愛読している貞子さんのブログには、この件に関して以下の通り興味深い記事があった。一体、何が真実なのか?(因みに貞子さんはアルファブロガーです)

霞が関と邦銀大手が敵視、「かんぽの宿のオリックス」は庶民の味方:http://angel.ap.teacup.com/newsadakoblog/1235.html

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子どもに育てられる

最近は一般人でも「でき婚」(所謂、妊娠をき っかけに結婚すること) は珍しいことではないが(実際私の2人の妹もそうだったし(^^;))、若い芸能人カップルの結婚には、特にこのケースが多いような気がする。個人的には若いカップルが二人の絆を深める間もなく、親になる心の準備もないままに妊娠して、一度に結婚生活と親業を始めることには、その継続に懸念を抱いている。印象として「でき婚」カップルは、そうでないカップルに比べ離婚率も高いように思うのだが、実際のところはどうなのだろう?

以前、「でき婚」後ほどなくして離婚してしまったアイドル歌手、今井絵理子について、批判めいた記事を書いたことがある。その今井絵理子は昨秋、10年近く休止していた所属グループ「SPEED」の活動を再開させた。そのきっかけのひとつは、今4歳になる息子が生まれながらに聴覚障がい者であることを公表したことだった。2009年2月3日(火)付日経夕刊の「子どもと育つ」と言うコーナーに、その彼女へのインタビュー記事が掲載されていた。彼女の人間としての成長が滲み出た内容で、私は素直に感銘を受けた。子育ては人を成長させてくれるものなのだなあ…と改めて思う。以下はその記事の抜粋(漢字表記は記事の通りに)

生後3日目で障害が分かった時は、涙ってこんなに出るのかというくらい泣いた。でも翌日には、どう育てていくかと頭を切り換えた。今、笑顔でいられるのは、その後に出会った母親仲間のおかげ。子育てで一緒に悩み、考えられるようになったからだ。

◆元々自分は人見知り。息子が生まれてくれたからこそ、人と人のつながりの大切さを学ぶことができた。今は自分が励まされたように、母親仲間を「独りじゃないよ」と励ましてあげたい。息子が私を母親に選んだのは、この役割を与えるためだったのではと思っている。

◆一番辛かったのは2歳の頃。息子が言いたいことをわかってあげられない。息子ははがゆさから、かんしゃくを起こしていた。でも、二人で手話を習い始めてからはうまくいくようになった。(中略)こちらも一生懸命勉強して、彼の思いを受け止めないといけない。

◆手話では表情も大切。息子は耳が聞こえない分、目でたくさんのことを感じている。だから、いつも息子と同じ目線で表情を見せる。どんなに仕事でストレスが溜まっていても、彼にはしかめっ面は見せない。(後略)。

◆(前略)彼には「聴覚障害はあなたの個性。不便ではあるけど不幸ではない」と伝えていきたい。人一倍努力しないといけないだろうが、その分、楽しみや喜びも多く感じることができるはず。私自身の後ろ姿で、そのことを伝えたい。

今は彼を授かって本当に人生で得をした気分。昔は想像もしなかったことを学べるし、より多くの喜びや悲しみも味わえる。沖縄には「なんくるないさぁ」という方言がある。どうにかなるさという意味だ。私はこのプラス思考を両親から受け継いだ。彼にも「何事もなんくるなるさぁ」の精神を伝えていきたい。

私は叔母のひとりが知的障がい者で、一時期一緒に住んだこともあったので、障がい者は身近な存在だった。しかも現在は障がい児も健常児と共に義務教育を受ける統合教育が一般的にもなっているので、子ども達にとっても障がい児はけっして遠い存在ではないし、息子たちを見ても互いの違いを受け入れて共に育っているのを感じる★1(←但し、その為には学校側の細心のケアが欠かせない)。もちろん障がいの程度に応じて、相応の専門的教育を受ける体制も整っていることが前提だ。

それでも一部の母親には未だ偏見が残っていて、徒にその存在を恐れたり、煙たがったりする人もいる。ある人は「障がいを持って生まれたお子さんは、自分達の子どもに成り代わって障がいを引き受けて生まれてくれた有り難い存在」というような発言をされていたが、これはこれで、健常児の親としての傲慢な発言とも受け取れて(けっして悪気はないんだろうけれど、何だか障がいを得たことが”外れクジ<当たりクジ?>”と言っているようにも聞こえて)、私は素直に頷けなかった。

今井絵理子さんは、何より息子さんのありのままを受け入れ、息子さんを通して多くのことを新たに学んだだけでなく、溢れるような感謝の思いで日々を生きながら、多くの人々に対して力強いエール(応援メッセージ)を送っていることが素晴らしいと思う。彼女の歌手活動を通じて、中学生の頃からの彼女を知っているが、立派な大人になったなあ、頼もしい母親になったなあと、その成長には感慨深いものがある。その成長を促したのは他でもない、聴覚障がいを持って生まれた息子さんとの出会いだろう。その意味では、彼女の「でき婚」にも大きな意味があったのだろう。人生で経験することに無駄なことはひとつもないのだと、彼女の人間的成長を目の当たりにして、改めて思い知らされたような気がする。

★1 以前、テレビでボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に自宅が砲撃を受け、大やけどを負った少女が日本のNGOの援助で度々来日し、手術を受けているレポートを見た。その中で戦争の惨禍を訴えるために小学校を訪問するシーンがあったが、そこでも大やけどの後遺症で容貌に損傷のある(何度かの手術でだいぶ改善はされている)彼女を見た小学生は「気持ち悪い」「怖い」と言う容赦ない言葉を初対面で吐きながらも、一度うち解けて(=受け入れて)しまえば、彼女と屈託なく楽しげに会話していた。「子どもとは、そんな存在なのです」と付き添いのNGOの女性も、偏見に囚われない子どもの鷹揚さ、柔軟性を称えていた。だからこそ、子ども時代にさまざまな経験、見聞を通して視野を広げることは大事なんだと思う。

【追記】

彼女が息子さんの聴覚障害を公表したのが日テレの番組「24時間テレビ」中であったことを私は知らなかったが、その際に賛否両論あったことも知らなかった。ネット上のコメントを見るとかなり激しい批判もあったが、どんな言動であれ、さまざまな考えの人々がいる以上、多少の批判は避けられないことだろう。

しかし一方で、彼女を全否定するかのような批判には違和感を覚える。人間は自覚的に生きることによって絶えず成長することができる存在だと思うからだ。彼女の過去の言動だけを見て、現在の彼女を批判することに何の意味があるのだろうか?彼女の人生において、彼女の過去の過ちを引き受けるのは彼女自身である。そのことによって、第三者が不利益を被るとは考え難いが(だから、激しい批判に違和感を覚えるのだ)、息子さんの方は少なからず影響は受けるだろう。しかし、それが親子関係でもある。否応なく親と言う存在に振り回されるのも、子どもの運命のような気がする(だから、何でこんな親のもとに生まれたんだろうと悩むことになる)。誰しも自分自身を振り返れば、その点について思い当たることがあるのではないだろうか?

そもそも完璧(完全無欠)な人間なんていないはずだ。その完璧でない人間が他者を批判することは、かなり高いハードルをクリアして初めて可能なことなのではないだろうか?(って私が言うのも何だけど…まあ批判というより、人のフリ見て我がフリを直すというスタンスです)そうでなければ、ただのイジメでしかないような気がする。他者を批判する前に、自分自身がそうするに値する人間なのか、常に自問する必要があるのかもしれないなあ…と自戒を込めて、ここに書き留めておきたい。

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来年も…このブログを続けることが、とりあえずの目標です

久方ぶりに再開したこのブログですが、主婦ゆえ年末年始は記事を書く時間的余裕がありません。

私事ながら、年明けにはひとり息子がいよいよ大学入試に挑戦です。本人は某有名私大に進学希望のようですが、親としては本人が最善を尽くして合格できた大学が、本人の進むべき場所と言うか、どこの大学であれ、そこで充実した学生生活を送ってくれればと思います。

と言うことで、このところの最大の関心事は、息子の大学受験ですね。心落ち着かないと言うか、胃がキリキリ痛む状態がしばらく続きそうです。

さて、どんな人にも、新しい年は巡って来ます。新しい年がすべての人にとって、少しでも明るい年となりますように。

はなこ

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今更ながら、グローバリゼーションの衝撃

無力な中間層として恐れていることを書きます。相次ぐ「派遣切り」に対して、怒りのデモ行進をしている人々の姿をブラウン管越しに見て、とても他人事とは思えません。

果たして、日本の基幹産業である自動車産業に復活はあるのだろうか?

このところの世界的不況、特に大きな市場である米国で自動車の売れ行きが激減し、日本の自動車産業も苦境に陥っている。在庫が増え、生産調整をしても対応できない為、期間従業員を大量解雇する事態にまで発展しているのは、連日の報道でも周知の通りだ。

因みに自動車1台作るのに約2~3万点の部品が必要なのだそうだ。それだけの数の部品を使うということは、それだけ日本のあらゆる産業への影響が大きいことを意味する。先日、ある報道番組では「風が吹けば桶屋が儲かる」式で、自動車が売れなくなれば、タイヤメーカー→ゴムメーカーと言うように、自動車産業の不況が様々な産業へ波及することをレポートしていた(【追記08.12.24】辛坊治朗氏によれば、自動車産業の年間設備投資額は1兆5000億円で日本の産業全体の20%、自動車の年間輸出額は18兆円で全体の22%を占めるらしい)。

一説によると、日産マーチ一台を作るのに必要な部品の価格を単純に合計すると、販売価格の3倍(300万円)になるらしい。これには組み立て費用は含まれていない。では、どういうカラクリで100万円台の低価格を実現しているのか?利幅の大きい高級車の利益も含め、販売車種全体の利益で差額を相殺しているのだろうか?(だとしたら、マーチはかなりお得感アリですね)

ところが、ここに衝撃的な事実がある。すでに新聞で報道されているので、ご存知の方も多いと思うが、「A.T.カーニーの試算によると、世界中から部品を集めればエアコン、エアバッグ付き自動車でも3000ドルで作れる」(日本経済新聞、2008年10月30日付朝刊1面)。3000ドル~日本円にしてたったの30万円である。

「日本で課税最低限以下の年収200万円」が中間層(現在は5000万人だが、今後7年で2~3億人に増えるらしい)と言うインドでは、せいぜい数十万円が自動車の適正価格なのだろう(実際、インドの自動車メーカー、タタ社は約20万円の低価格車を開発中)。記事にはさらに衝撃的なレポートが続く。この中間層の世帯の半数には使用人がおり、車を持つ世帯の1割にはお抱え運転手もいる。サラリーマン世帯の平均年収が600~700万円の日本では考えられない生活スタイルである。

日本の自動車産業も中国に次ぐ巨大市場と言うことで、積極的にインド市場への参入、工場建設を進めているが(←つまりインド向け商品は現地生産だから、インドにおける市場拡大が日本の工場の雇用拡大には繋がらない)、果たして従来の「豊かさの概念を覆す」インドと言う国で、日本のビジネス・モデルは通用するのだろうか?国内市場の縮小に伴い、今後益々依存度を高めて行くであろうグローバル市場での衝撃的な「低価格革命」に直面すれば、これまでのような利益の確保は難しいのではないだろうか?

今後日本の工場に、かつての活況が戻ることはあるのだろうか?(←あるとすれば先進諸国市場のガソリン車から、ハイブリッドもしくは電気自動車等の環境に配慮した商品への買い換え需要か?)あらゆる産業への波及効果が高いだけに、基幹産業である自動車産業の苦境は、そのまま日本経済全体の苦境へと繋がるのが恐ろしい。

インドの中間層が享受している生活レベルを一度も経験することなく、日本の中間層は日本経済の凋落と共に転落して行くのだろうか?もしかしたら今、私達日本人に「豊かさの概念」そのものを変えることが求められているのかもしれないし、自動車産業に代わる基幹産業を、日本産業界は考えるべき時に来ているのかもしれない。

【矛盾するようですが…】
中国、インドと言った巨大市場で、従来型のガソリン車がどんどん販売され増えていったら(←価格的にも当面はガソリン車主流ですよね)、環境負荷がとてつもなく高くなってしまうのでは?地球環境は大丈夫?

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理念なき政治家が国政を担う国家の民の不幸

「無差別殺人」の多発、「麻薬汚染」の広がり、「万引き、窃盗、強盗、親族殺人、危険運転致死傷(特にひき逃げ!)」の増加、「高級官僚、公務員の不正及び職務怠慢」の発覚。これらの現象は何を意味するのか?日本人の心が壊れかけているのか?どう見ても、これらの事件報道は、人々の心を暗澹とさせるばかりだ。

それに拍車をかけるように、未曾有の不況が日本全体を覆い尽くそうとしている。連日、「大手企業の業績大幅下方修正」「企業倒産」「就職予定者の内定取り消し」「派遣労働者の首切り」と言った暗いニュースが報道される。

日本を取り巻く”負”の状況が、人々を「絶望感」へと駆り立てる。マスコミもネガティブ・キャンペーンばかり張らないで、もう少し明るい話題を提供したらどうだ?とひと言文句も言いたくもなる。と言っても、かつての、悪化する一方の戦況を正しく伝えず、いたずらに国民を侵略戦争へと追い立てた情報統制のような事態は真っ平ゴメンだ。

今、日本で何が一番問題かと言えば、政治の不毛だと思う。国の政(まつりごと)を司る政治家に理念がない。日本と言う国をどのような国家にしたいのかの青写真を描く政治家がいない。日本が向かうべき方向性を明確に示してくれる政治家が、ひとりとしていない。日本の国家としての弱点を着実に補強しつつ、一方で長所を伸ばし、世界へと堂々とアピールできる政治家がいない。

世襲政治家の多く(←全員とは言っていない)は「政治家」と言う「職業」にうま味があるから世襲するのであって、これが「労多くて益少なし」であれば誰も好きこのんで世襲などするまい。「何がなんでも先代の理念を引き継ぎたい」のであれば、先代の地盤を安易に引き継がずに、違う選挙区から立候補すれば良い。「国家の為に、国民の為に命を賭して働けるか?」~世襲政治家の場合、それを自身の心に問うてから選挙に臨むくらいの気概を持つのが最低条件である。何より無名の政治家より知名度の点でアドバンデージがあり、ハードルを高くしなければ腐敗の誘惑が忍び寄るのが世襲の弱点であろうから。

将来を展望できなければ、国民は安心して生活を営むことはできない。不安の中で日々の暮らしに汲々とすれば、心は萎縮し、脳も働かなくなり、個々が本来持っているはずの能力さえ発揮できなくなるだろう。そのことによる国家の生産性の損失は計り知れない。

現状では若者はまともな就職ができず、十分な収入もなければ結婚もできず、たとえ結婚できたとしても子供を産み育てることをためらうだろう。子供が生まれたら生まれたで、教育費が嵩み、少子化を止めるだけの子供の数は到底望めない。豊かな時代に育った世代に「貧乏子沢山」の生活を強いることなどできまい。

経済の活況に消費は欠かせないが、将来への不安を抱えていては、消費者心理としては「消費」より「貯蓄」である。富裕層は資産防衛の為に資産の海外移転さえ考えていて、日本にお金を落としたりしない(不動産ほど水ものはないし、懸念される大震災でも起きれば、日本の不動産価値や貨幣価値、株価はクズ同然になる)。

大量生産、大量消費を前提とした経済の収益構造で、あらゆる点で国民の自己責任の部分が大きく(裁量権が大きく、自由度も高い)、階層間移動が盛ん(大成功のチャンスがある一方で、転落のリスクも大きい)な米国型社会を目指すのか、税負担の加重を覚悟の上で社会保障を手厚くした(医療費、教育費の公費負担を充実させる)北欧型社会を目指すのか、米・北欧の長所・短所をうまく調整したタイプの社会(←ってどんな社会?)を目指すのか、或いは全く新しい発想で日本独自の社会制度を創り上げるのか?

今いる政治家で、堂々と自身の政治的理念を示してくれる政治家はいないのか?いたら、その人の話に耳を傾けたい。

裁判員制度より先に、首相公選制を実現して欲しかった…(て言ったら、「あなたは議員内閣制の意味が分かっていない」と言われるのだろうか?)

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