文化・芸術

渋谷で《明日の神話》を見よう!

20081210 とても一画面に収まりきらない!

クリスマス会の帰りに渋谷駅の連絡通路に展示されている巨大壁画、岡本太郎(1911-1996)作《明日の神話》(1968-69制作)を見て来た。岡本氏は大阪万博の《太陽の塔》の作者で、「芸術は爆発だ」の名言でも知られる現代美術家だ。この作品は《太陽の塔》と対を成す、岡本氏の代表作らしい。縦5.5m、横30mで、岡本作品では最大。

渋谷では11月17日に公開されたばかり(2006年夏、修復直後に一度汐留で公開された)。この壁画の前を、日に30万人以上が通過する。その設置環境から作品の劣化が懸念されるが、「傷んだら修復すればいい」と岡本氏の関係者はいたって大らか。コーティング等、徒に保全策を講じないことも、岡本氏の遺志に沿うものだと言う。

作品は今から約40年前に、メキシコの実業家の依頼を受けて岡本氏が制作。しかし、制作後間もなくして行方不明となり、遺族の必死の捜索で近年メキシコで発見された。ずさんな保管状況の為、当初は損傷が激しかったが、ベテラン修復家の手で見事に蘇ったのである。

さすがに目の前で見ると大迫力。大胆なフォルムと鮮烈な色遣い。作品からほとばしるエネルギーの力強さは、制作から40年近くを経た今も衰えることを知らない。『作品は原爆の炸裂する瞬間をモチーフとし、未来に対するメッセージを描いたものです。炸裂の瞬間は残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間誇らかに「明日の神話」が生まれると信じた、岡本太郎の痛切なメッセージを伝えています。』(岡本太郎「明日の神話プロジェクト」公式サイトより)。中央に描かれた、原爆で身を焼き尽くされ、骨と化してもなお生命力漲る人間の姿に、「明日(=未来)」への希望を託したかのようにも見える。

恒久展示場所には、この渋谷以外にも原爆の被災地広島市や、大阪市が名乗りをあげたという。しかし、岡本太郎記念館に近く(青山在)、多くの人の目に触れる好立地であり、「渋谷を若者だけでなく、全世代が集う街に変えたい。その起爆剤に」という渋谷区住民の切なる願いを込めた熱心な誘致活動の結果、今の地に落ち着くことになったらしい。

渋谷に行くなら、是非、この《明日の神話》にも会いに行こう!
きっとパワーを貰えるよ!

壁画の右半分2

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『レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像』展(東京国立博物館)

Photo_9  3月20日(火)から上野・東京国立博物館(以下、東博)で開催中の『レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像』展に春休み中の息子と行って来た。東博開催の展覧会は観客動員数では所謂ハズレが殆どなく、会期中休日・平日に関係なく混雑している。私が行った日も平日ながら観客の入りは多かった。春休みなのに子供の姿は思ったより少なく(この季節は博物館・美術館より公園やテーマパーク等の屋外施設だろうか)、多く目についたのはシニア層。今や世代別ではダントツに時間とお金に余裕のあるシニア層が、文化芸術に関心を持つのは自然なことなのかもしれない(これは別な言い方をすれば、子育て世代は時間にもお金にも余裕がなく、当然のことながらシニア層であってもお金に余裕のない人々は博物館・美術館に足を運ぶことなどないのである)

 今回の展覧会はウィフィツィ美術館収蔵の《受胎告知》(1472-73)が日本初公開と盛んに喧伝されているが、この《受胎告知》も以前のドラクロワの《民衆を導く自由の女神》が来た時と同様、本館に設えられた”特別5室”に単独に展示されている(このやり方は《モナ・リザ》来日以来の伝統か…あれから全然進歩していないとも言えるが、現代の鑑賞者はこれで満足するのだろうか?時代は流れているし、鑑賞者もそれなりに経験を積んでいるのに)
 展示室入室前には飛行機搭乗前のようにセキュリティチェックを受けなければならない。その仰々しさに見る前から興ざめしてしまって…しかも入室したら入室したで、ジグザグの通路を通った奥に作品は展示されており、狭い通路に人々がひしめきあって、作品を見ているのか、人の頭を見ているのか。係員の「立ち止まらないでくださーい」というアナウンスもウルサイ(彼らも仕事なんだけどね)
 そんな状況だからウィフィツィ美術館で見た時のような感動はなかった。これはどう見ても「絵を鑑賞する」という態勢ではない。「見物する」と言う感じ(本来、本物の作品を目の前にしたなら、近接して見たり、離れて見たり、違う角度から見たり、そして再び近付いて見たりと、いろいろな見方をして楽しむものだと思う。それが特別5室の作りでは出来ない)。
 
名画が”人寄せパンダ”的な扱いを受けているようで、今回の展覧会の宣伝方法には疑問を感じる。”展覧会の目玉”の割にはあっけなさ過ぎて、こんな形で名画を初っ端に見せられたら、来館者のテンションは間違いなく下がると思う。ただ今後、本来の収蔵先(ウフィツィ美術館)で見る機会があるであろう人々(特に若い世代、子供達)には、日本にある他の宗教画との”格の違い”のようなものを雰囲気として味わうだけでも意味があるのかもしれない。来日する名画との出会いでいつも感じることだが、名画とはやはり”本来在るべき場所”で見ないことには、その真価を理解することは難しい。

 今回の展覧会は、従来の展覧会がレオナルドの、他を寄せ付けないマルチな才能のほんの一部分しか見せて来なかったのに対して、彼の才能の全体像を見せることに力点を置いて、それを誇示している。(6部構成の内、第1、2部は東博独自のもの、残りの4部はウィフィツィ美術館で開催された展覧会を再構成したものらしい)
 それこそ、彼の発想の源泉ともなった書物の一部や、建築学、工学、芸術、自然哲学と言った、彼の多岐に渡る研究の成果を幾つかのブースに分けて展示しているわけだが、それぞれが、じっくり鑑賞し、キャプションを読み込み、頭の中で咀嚼することを要求する内容なのに、いかんせん人が多過ぎるし館内も暗過ぎる。立ち止まって考える猶予を与えないのだ。その為結構フラストレーションを感じながらの鑑賞になってしまった。ちゃんと見た、理解した、という達成感・満足感がない。
 いつになったら適正な入館者数に落ち着くんだろう(これは無理なような気もする)。博物館としては、できるだけ多くの人に見て貰いたい。しかし来館者が多過ぎると展覧会の意図するところを理解して貰えない。痛し痒しと言ったところか。期間の限られた企画展だからこそ実現した展覧会なのかもしれないが、内容的には寧ろ常設展示が相応しいものだったような気がする(これも無理な注文だとは思う) 
 それからすべてが貴重な資料だからかもしれないが、複製が多過ぎる(ウフィッツィではどうだったのだろう?)。レオナルドは遅筆で(下絵は膨大な数を残しているが)、現存する絵画の完成作品はごく僅か(14点?)と言われているらしいから、仕方ないのかもしれないが、いくら現代のデジタル技術(美術とデジタル技術の適用に関する諸問題については、日本経済新聞2007年4月2日付夕刊20面を参照されたし)を駆使して、その実物大を再現して見せても、絵の具の厚みのない平板なそれは、彼の作品の魅力の殆どを伝えていない。おそらく”美術館で絵画作品を鑑賞する”というのとは違って、”彼の思考と探求の集大成としての絵画の技法”に焦点を当てたものなのだろうが、そういう見方に慣れていないせいか見ていて虚しくなる。
 おそらくこれは、冒頭の《受胎告知》の展示が、私をミスリードさせたのだと思う。名画を鑑賞するのか、それとも彼の天才の総体を俯瞰するのか。この展覧会は美術館ではなく敢えて博物館での開催である。そこのところに注視して、見る側もこの展覧会が発しているメッセージを受け止めなければならないのだろう。その意味では自分自身の反省も込めて、《受胎告知》は後から見た方が、より良い流れでこの展覧会を見ることができるような気がする。

■『レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像』展公式サイト:http://www.leonardo2007.jp/

【追記】
 他の方々がどのような感想を寄せているのか気になって、本展覧会に関するブログ記事をざっと読んでみた。あの劣悪?な環境下で《受胎告知》をきちんと鑑賞し
(オペラグラス持参など、いろいろ工夫も見られた)、その素晴らしさを実感している人が多いのに少し驚いた。「あの有名なダ・ヴィンチの絵だから素晴らしい」と言っているわけではなく、実物の美しさに素直に感動した思いが書き綴られていて印象的だった。単に私の説明書きの見落としなんだろうが、当日なら何度でも並んで見られる、というのも初めて知った。もう一度、見てみたくなった。
 今回の混雑は、一昨年辺りから続く『ダ・ヴィンチ・コード』ブームの余波なんだね。ウフィッツィの企画自体、それに便乗?したものだったのか?何はともあれ、それによって天才レオナルドに再び光が当たるのは喜ばしいことだ。そのブーム
を意識してかどうかは知らないが、イタリアが誇るもう一人の天才、ケランジェロの展覧会が、昨年の今頃大英博物館で開催された。それほど大規模な展覧会ではなかったが、やはり彫刻、絵画、建築といった彼の才能と彼の人物像を多角的に検証する興味深い展覧会だった。

【参考リンク】
■『レオナルド・ダ・ヴィンチ―天才の実像展』公式サイト:http://www.leonardo2007.jp/
■「イタリアの春 2007」実行委員会公式サイト:http://primavera-italiana.net/about/index.html

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