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旬を楽しむ~吉野梅郷を行く(2/2)

☆公園を後にして…

梅・梅・梅尽くしの公園を後にして、一般道に出ました。と言ってもここは梅の郷。街路でも個人の家の庭先でも種々の梅の木を目にすることができます。軒先で自家製梅干しを販売しているお宅も。閑静な住宅街の中に、個人経営の小規模な梅園も点在しています。地図を片手に観梅モデルコースに従って歩いて行きました。この時点で、まだコース全体の3分の1ほどを歩いたに過ぎません。梅の公園を出た後は見どころが点在しているので、住宅街の中をそぞろ歩くことになりました。

そこで、「ここにも」と少し驚かされたのが、昔ながらの集落の間に突然出現したかのような、いわゆるミニ開発の住宅街。一見瀟洒だけど、細切れな区画に隙間なく建てられた家々。その一帯だけ妙に新しく、旧来の住宅街からは浮いた存在です。かつてはそこに梅林や畑があったのでしょうか?各地を街散歩して、しばしば目につく光景でもあります。

途中に公家の装束も収蔵していると言う青梅きもの博物館がありましたが、特に食指も動かなかったので入館せず(着物や公家・大名の装束に興味のある方には必見だと思います)、次の見どころ、鎌倉の梅へ。

Photo_14 敷地に入ってすぐに目に飛び込んで来た黄色い花。青空に良く映えます。











Photo_15 鎌倉の梅
は陶芸品(「信楽焼」と看板が出ていました)や土産物を商う店の敷地内にありました。この一帯に旧鎌倉街道が通っていたらしく、それに因んでの命名のようです。樹齢約400年といわれる古木らしく、古武士のような風格を湛えた姿が印象的でした。

吉野梅郷には思いの外、陶芸の工房が多く目につきました。そう言えば、映画『明日の記憶』にも大滝秀治演じる老陶芸家が登場しましたが、その窯の所在地も奥多摩の設定。(私が知らなかっただけで)この辺りは陶芸が盛んな地なのですね。

古木ならではの味わいのある鎌倉の梅を見た後、中道梅園を横切って観梅通りに出ました。

■観梅モデルコース地図:http://www.omekanko.gr.jp/hiking/plum_promenade/access.htm 

Photo_16 《岩割りの梅》

時間も午後1時を過ぎて、そろそろお腹も空いて来たので、一部コースを端折りました。左手に下山八幡神社を見遣りながら少し急ぎ足で一路岩割りの梅へ。民家の庭先という目立たない場所にある為、観梅期には看板を立てて案内をしているようです。この梅はその名の通り、岩を割って根付いた梅の古木。土地の豪族、三田氏と北条氏の戦いの折に生まれた悲恋物語と縁ある梅らしく、別名悲恋の梅とも言われているようです。しかし詳細を知らないので、悲恋の梅と言われてもいまひとつピンと来ません。とにかく梅の木の、岩をも割って根付く、その生命力の逞しさに感心することしきりでした。


☆おいしかった、おいしかった 手打ちそば

観梅モデルコース地図には、当地のお食事処の案内もあります。山里で昼食と言ったら、やはりそばに限りますね。

Photo_17 岩割りの梅にほど近い、手打ちそば梅の内(めのうち?)に行ってみました。ここも住宅街の少し奥まった所にあって、一見して普通の民家を改造して設えた店のようでした。まるで知人の家を訪ねるような雰囲気。店名を染め抜いたのれん、左手に見える品書き板がなければ、普通の民家にしか見えません。キビキビと働いておられる女性もご近所の奥さんと言った風情。




Photo_19 メニューは3種類だったでしょうか?せっかくだからと50食限定(もしかしたら、全部で50食限定だったかもしれません)天ざる(1100円)を注文しました。山の幸・海の幸の天ぷらと極細麺。これがまたおいしかったのです!極細のそばはしっかりとしたコシで噛み応えがあり、定番のえび天以外に山菜やふきのとう、そして当地ならではの梅干し!の天ぷらが、サクっとした食感の薄衣に包まれ、絶品でした。そば湯もおいしく、つい飲み干してしまったほど。普段、いかに不味いそばを食べているのかを思い知らされました。

Photo_22 私達がおししい天ざるに舌鼓を打っている最中に、「申し訳ありません。もう完売になってしまいました」という声が。私達の後に入った夫婦連れの客で札止めとなったようです。つまり私達は47、48食目の客だったのです(ギリギリセーフ!)。支払いを済ませ、帰り際に「とてもおいしかったです」と言うと、「まあ、ありがとうございます」と店の女性は満面笑顔でした。その掛け値なしの素朴な喜びの表情がまた素敵で、とても心地よい満足感に浸りながら店を後にしたのでした。

おいしかったなあ…腹ごしらえを済ませて次に向ったのは即清寺(そくせいじ)。ここは吉野街道沿いの山裾にある真言宗豊山派の古刹です。そう言えば先月訪ねたばかりの足立区の寺町も豊山派が多かったような。例によって境内には弘法大師様の像がありました。ここにも招春梅という銘木があるらしいのですが、私はなぜか本堂や大師像に気を取られて見逃してしまいました。お腹がいっぱいで、ぼぉ~っとしていたのかもしれません(^_^;)。

■観梅モデルコース地図:
http://www.omekanko.gr.jp/hiking/plum_promenade/access.htm

21 即清寺の後は吉野街道を横切って、目と鼻の先にある大聖院へ。ここまで来れば、もうゴールの駅まであと少しです。境内に入る前に、塀際に立つ曲り松に目が釘付けになりました。
<img src="/hanakonoantena/timg/middle_1173766364.jpg" border="0">な、なんでしょう?この曲り具合は!
ほぼ直角に近いですね。自然に、というより細工して曲げたもの? 

この寺の本堂の裏手には、親木の梅と呼ばれる古木があります。これは青梅駅近くを走る旧青梅街道界隈にある金剛寺の将門誓いの梅(青梅地名由来の梅の木)を根分けしたものと伝えられる古木で、吉野梅郷の梅の始祖とされています。
                           
22 《親木の梅》

2万5千本ある梅郷の、始まりの1本…









☆最近何かと縁のある作家、吉川英治の記念館

25 資料館正面玄関

観光協会のHPでその存在を知るまで、まさか、ここに作家吉川英治ゆかりの場所があるとは想像もしませんでした。観梅コースの後半にも組み込まれている観光名所のようです。

吉川英治は横浜市出身ですが、戦争中に疎開したのをきっかけに、ここでも本格的な執筆活動を行ったようで、代表作のひとつ、『新平家物語』はここで執筆されたと言われています。かつては庄屋屋敷だった旧邸を、作家自ら「草思堂」と名付けたというエピソードからも、作家の愛着が感じられる場所ですね。名作が生み出された書斎もそのままの状態で保存、公開され、また別棟の資料館には、原稿、書画、書簡などが約300点展示されるなど、吉川英治ファンにはたまらない場所のようです。

24 玄関左側に鎮座する椎の古木。吉川英治が父親の事業の失敗により、小学校を中退して丁稚奉公に出され、苦学・苦行の末に作家として大成したことを、私は資料館に展示されている作家年表で初めて知りました。作家として名を成す前に20以上の職を転々とし、20代の前半にはあの職人の町、日本橋浜町で、象眼細工の下絵描きに従事していたとは驚きです。思わず観梅帰りに、地元駅ビルの書店で、彼の苦難の日々を詳述したとされる自叙伝『忘れ残りの記』(講談社吉川英治歴史時代文庫)を買ってしまいました。まだまだ知らないことは多いのだなあ…

■吉川英治記念館公式HP:http://www.kodansha.co.jp/yoshikawa/

上記公式HPを見てみたら、なんと今年(2007年)は開館30周年だそうで、それを記念して今月16日~18日の来館者を対象に抽選会があり、記念館ゆかりの品々等がプレゼントされるようです。

Photo_20 奥多摩橋から多摩川を望む

28 10カ所巡って、スタンプハイク完歩。かくして充実した時間を過ごし、無事、観梅散歩を終えた私達は、心地よい疲れを全身に感じながら帰路についたのでした。(終)

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