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2009年2月

第81回米アカデミー賞をリアルタイムで楽しむ♪

今年は『スラムドッグ$ミリオネア』YEARでした!

50 レッド・カーペットでは、やはり女優陣のゴージャスなドレスがみどころ。特に人気のデザイナー、ヴァレンチノ氏ご本人も登場しました。私のイチオシはやっぱり、ペネロペの80年前?に作られたと言うヴィンテージ・ドレスかなあ…髪をアップスタイルにした彼女は、往年のオードリー・ヘップバーンを彷彿させます。女優としての彼女は、作品の為ならフルヌードも辞さないプロ根性の塊のような人だけれど…助演女優賞の受賞スピーチ「映画は世界をひとつにします。映画を守りましょう」も素晴らしかったです!

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今回のアカデミー賞の演出は出色ですね。オープニングから楽しめました。トニー賞受賞歴もある司会のヒュー・ジャックマンが歌い踊りながらノミネート作品を紹介。6分間に及ぶ見事なパフォーマンスです。

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【受賞作品もしくは受賞者(発表順、賞によっては作品名のみ)】

しかも今回は各演技賞で、歴代の受賞者の中から5人がステージに登場し、ひとりひとりが順送りに、ノミネートを受けた俳優を賞賛のメッセージと共に紹介。それに聞き入っているノミネート俳優の感激の表情に心を打たれました。歴代の先輩俳優に褒められるなんて…このような心憎い演出はかつねなかったこと。アカデミー賞の長い歴史と層の厚みを今更のように感じたシーンでした。

◆受賞スピーチ(公式サイトより、英語):http://www.oscar.com/oscarnight/winners/

Photo_4 ■助演女優賞:ペネロペ・クルス 
  『それでも恋するバルセロナ』

■オリジナル脚本賞 :『ミルク』

■脚色賞:『スラムドッグ$ミリオネア』

■長編アニメ賞:『WALL/E』


■短編アニメ賞:『つみきのいえ』 加藤久仁生氏
…邦画初受賞おめでとうshine


【2009.02.24追記】

加藤氏はROBOTと言う映像製作会社の社員なんですね。多摩美大卒の31歳。ニュース報道でご両親の言葉がありましたが、本来おとなしくて目立つことが嫌いな方だとか。しかし子供の頃から絵を描くことが好きで、ニュースでは小学生時代に描いたと言う鉛筆描きのマンガも紹介されていました。好きなことで認められるのは、本当に幸せなことですね。

■美術賞:『ベンジャミン・バトンの数奇な人生』

■衣装デザイン賞:『ある公爵夫人の生涯』

■メイクアップ賞:『ベンジャミン・バトンの数奇な人生』

■撮影賞:『スラムドッグ$ミリオネア』 アンソニー・ドッド・マントル

■短編実写映画賞:「トイランド」(ドイツ)

Photo_5 さらに半ばにはディーヴァ、ビヨンセを迎えてのヒュー・ジャックマンとのミュージカル・メドレー。両脇にはザック・エフロンを筆頭に次代を担う若手スター達、背後には大勢のダンサーを従えています。歌唱はもちろん、ダンス・パフォーマンスも圧巻でした!



■助演男優賞:『ダークナイト』 ヒース・レジャー

Photoヒースが故人なので、彼の家族、両親と妹が代理でオスカー像を受け取り、受賞スピーチを行いました。








■視覚効果賞:『ベンジャミン・バトンの数奇な人生』

■音響編集賞:『ダークナイト』

■録音賞:『スラムドッグ$ミリオネア』

■編集賞:『スラムドッグ$ミリオネア』

■ジーン・ハーショルト友愛賞(長年の社会貢献に対して):ジェリー・ルイス
ジェリー・ルイスは長年に渡り、筋ジストロフィー患者に対して累計10億ドルにも及ぶ援助活動を行って来たらしい。

■作曲賞:『スラムドッグ$ミリオネア』

■歌曲賞:『スラムドッグ$ミリオネア』 ”Jai Ho”

■外国語映画賞:『おくりびと』…邦画初受賞おめでとうshine

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日本人としては快哉を叫びたいところですが、受賞式は割とあっさりとした進行で、滝田監督の短めのスピーチが終わると、追い立てるように退場の音楽が流れました。滝田監督の仕草を見ると、主演のモックンにもスピーチを勧めていたように見えました。先ほどの短編アニメ賞の加藤監督もそうでしたが、言葉の壁は大きいですね。母語ならもっと含蓄のあるスピーチができたであろうに、と思います。国内向けのスピーチの内容との乖離が大き過ぎて悲しい。他の受賞者は英語圏の人はもちろんのこと、非英語圏の人々も自在に英語を操り、見事なスピーチをしています。こういった場面を目にする度に、(悔しいけれど)今や英語が国際語として幅をきかせている以上、日本人の英語下手が残念に思います。「郷に入りては郷に従え」と言う言葉もあるように、海外の公の場で発言する機会のある人は、英語で最低限のコミュニケーションは取れるようにして欲しい。米アカデミー賞では「まさか自分が受賞できるなんて」と言う謙遜はやめて、せめて丸暗記でも良いから入念に練られた受賞スピーチを用意して、受賞式に臨んで欲しい。或いは正式に通訳を立てた方が良いと思います。ハリウッドスターが来日会見で通訳を立てているように(【2009.03.06追記】←滝田監督の話によれば、アカデミー賞受賞式では通訳を立てることは原則禁止のようですね。さらに改めて受賞スピーチを見ると、非英語圏出身者で見事なスピーチをしているのは、人前で”表現”するのが仕事の俳優陣だけですね)

【2009.02.24追記】

『おくりびと』の外国語映画賞受賞は、米国マスコミでも”サプライズ”として受け止められていて、予想外の受賞だったようです。下馬評ではイスラエルのアニメ(内容はどうもイスラエル・パレスチナ紛争を題材にしたもの)か、と言われていたんですよね。しかし、未曾有の経済不況や各地での絶え間ない紛争などで疲弊した人々の心には、本作の”癒しの物語”が受け入れられたのかもしれません。

◆『おくりびと』私的レビュー:http://hanakonokoukishin.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-bcf7.html

■監督賞:ダニー・ボイル 『スラムドッグ$ミリオネア』

■主演女優賞:ケイト・ウィンスレット 『愛を読む人』

■主演男優賞:ショーン・ペン 『ミルク』

ショーン・ペンが謝辞の筆頭に「親友の…サト・マツザワ」と言う日本人名を挙げたのにはビックリしましたが、ショーン・ペンのパーソナル・アシスタントなんだそうです。ググってみたら、以下のような記事もありました。それによれば、サト・マツザワは女性で、長く彼の仕事上のサポート(映画のクレジットでも"miscellaneous staff"と書かれているので、日本で言うところの”付き人”なんでしょう)を務めている人のようです。さらに記事では、受賞スピーチで通常家族への謝辞を述べるケースが多い中で、ショーン・ペンは妻や子供達に一切言及しなかったことも、彼自身の考えがあってのことで(もちろん家族の支えには感謝している)、それが彼のスタイルなのだと書いています。

サト・マツザワって誰?
http://asianista.com/2009/02/24/identity-of-sean-penn-best-friend-sato-masuzawa-thanked-oscar-acceptance-speech-revealed/


■作品賞:4月の公開が待たれる『スラムドッグ$ミリオネア』

ノミネート最多13部門で話題を呼んだ『ベンジャミン・バトンの数奇な人生』との直接対決ではことごとく勝って、結局今年のアカデミー賞の顔となった本作。あのダニー・ボイル監督がボリウッドと組んだ意欲作です。期待大。

ところで『クイズ・ミリオネア』は英国発祥のクイズ番組で、今では世界70カ国のお国バージョンで放映されているらしい。日本版は最近もっぱらセレブ出演番組になってしまって、「芸能界内でお金回してどうすんのよ」って気がしないでもない。このクイズ番組は本来視聴者参加型で、一般人が四者択一のクイズで一攫千金を狙えるから人気を博したはずなのに、日本では司会者と出演芸能人(有名人)のやりとりがウリになってしまいました。芸能人(有名人)なんて、こんな番組を利用しなくても自分の才能で稼ぎ出せば良いのに。否、稼ぎ出せるでしょう?


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マンマ・ミーア!(原題:MAMMA MIA!)

ミュージカル映画としての完成度はさておき、楽しみましょう♪

既に昨夏には欧米で公開されていたこの作品。真冬の日本にギリシャの目映いばかりの陽光と暖かな風を運んで来た。それにしても待たせるなあ…

ミュージカル『マンマ・ミーア』が上演された
ロンドン、ウエスト・エンドのプリンス・オブ・ウェールズ劇場

Photo 言わずと知れた、1999年にロンドンのウエスト・エンドで初演以来、世界的人気を博した舞台ミュージカルの映画化作品である。私は2006年春に、写真の劇場で舞台を見た。さすが皇太子の称号を冠した劇場だけあって、外観も内部もゴージャスだった。旅行の1カ月前にticketmasterと言うサイトでオンライン予約して息子と二人分のチケットを確保したのだが、運良く前から2番目の真ん中に近い席が取れ、1mも離れていない所にオーケストラ(バンド?)の指揮者がいた。舞台下にはオーケストラ(バンド?)が控えており、奏者の表情も見えるほど。舞台上の出演者の飛び散る汗も届くような近距離だった(笑)。何でも舞台クライマックスでは観客も総立ちで一緒に歌い踊ると聞いていたが、マチネーで子供連れが多かったせいか、私が見た舞台はそれほどでもなかった。

とにかく、これはABBAの音楽を楽しむミュージカル”歌自身が持つ魅力が全て”と言って良い作品なのかもしれない。始めにABBAの音楽ありきで、ABBAの音楽が持つ明るさ、大らかさ、温かさ、優しさを味わう為に、無理矢理こじつけてミュージカルに仕立てたようなもの(笑)。巷では、そのストーリーの他愛のなさを指摘する声もあるが、そもそも芸術の中の芸術、総合芸術と呼ばれるオペラだってストーリーは他愛のないものが多い。最近、パブリック・ビューイングを利用してMETやUKのオペラを何本も見ているが、その多くは愛だの恋だのと歌っている。それを大仕掛けの舞台装置やドラマチックな歌唱で、高尚な芸術に昇華させているに過ぎない(って言ったら言い過ぎか(^_^;)しかし、そう考えるとオペラがより身近に感じられるのも事実)

70 映画が舞台に勝るのは、やはりロケーションの魅力だろう。舞台では視点は一点のみだが、映画ではさまざまな視点から、物語の舞台を、人々の姿を映し出す。ギリシャと言ったらエーゲ海。あの陽光降り注ぐ紺碧の海は、それだけで見る者の心を解き放つ。そもそも北欧スウェーデン生まれの歌が、ギリシャを舞台とする物語にうまく嵌ったのが不思議だが(と言うか、やはり無理矢理嵌め込んだ?)。

40 ドナ役のメリル・ストリープは9.11事件後にNYのブロードウエイで、舞台版を見て以来、その突き抜けた明るさにファンとなり、ふたつ返事でドナ役を引き受けたそうだ。意外にも彼女にとって初のミュージカル作品だが、学生演劇出身の彼女は学生時代にはよくミュージカルに出演していたらしい。それでも女優として既に揺るがない地位を築いた彼女が、新たな分野に挑戦する、そのチャレンジ精神は天晴れとしか言いようがない。来年には還暦を迎えようとしている彼女が、画面狭しと弾けまくっている(笑)。群舞で揃わないのはご愛敬か。歌唱はけっして上手くはない(音域が狭いかな?)が、演技派なだけあって情感豊か。

40_2 この作品はなんと言っても女性が主役。要所要所で笑わせてはくれるものの、女性陣の圧倒的パワーの前に、総じて男性陣は影が薄い印象。(個人的にはコリン・ファースが大好きなんだけれど、彼もすっかりオジサンになっちゃった。しかも今回の役は…)。これは女性、しかもABBA世代(40~50代)には堪らない作品だろうが、果たしてそれ以外の人にはどうなんだろう。とにかく、今の時代に最も元気な世代をさらに元気にさせる映画であることは間違いないと思う。

因みにタイトルの『マンマ・ミーア!(MAMMA MIA!)』はイタリア語で、直訳したら「私のお母さん」。しかし会話では「なんてこった!」と言うような驚きを表す意味で使われる。英語の"Oh my God!"や"Oh my goodness!"に近いニュアンスかな。この作品は確かに「なんてこった」なストーリー展開だし、母子の物語でもあるので、両方をかけたタイトルとして解釈できるだろうか。

懐かしいABBAの元メンバーと映画のキャストが勢揃い
Abba80

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レボリューショナリー・ロード~命燃え尽きるまで

60 「青い鳥」に気づけなかった夫婦の物語

かの『タイタニック』以来11年ぶりの共演でも話題となったレオナルド・ディカプリオ×ケイト・ウィンスレットの主演作である。監督は舞台演出をキャリアの出発点に、初映画監督作『アメリカン・ビューティ』(1999)で米アカデミー監督賞、作品賞を受賞したサム・メンデス(ケイト・ウィンスレットの夫でもある)。その鋭い人物描写は容赦なく、痛々しいまでに登場人物の心を丸裸にする。今回もその演出は冴えわたり、見る者の心に鋭く突き刺さるような葛藤のドラマが展開した。

【あらすじ】

時代は1950年代、米国は高度経済成長期を迎えていた。フランク(レオ)とエイプリル(ケイト)は娘と息子の二児に恵まれ、コネチカット州郊外のレボリューショナリー・ロードと呼ばれる新興住宅街に小綺麗な住居も構え、傍目には幸せな中流家庭の暮らしを実現しているかに見えた。

しかし二人は現在の生活に、内心納得の行かないものを感じていた。かつて描いていた理想と現実のギャップに、悶々としていた。特に、女優を志したエイプリルにとって、「平凡な郊外での暮らしに埋没すること」は受け入れ難い現実だった。彼女は夫のフランクに訴える。「かつての私たちは輝いていた。私たちはここの住人の誰よりも優れている。このままでいいの?」~そして、フランクの30歳の誕生日に、パリへの移住を提案するのである。

「思い切って貴方は仕事を辞め、自宅を売り払い、一家でパリへ移住する。パリでは貴方の代わりに、私が国際機関で秘書として働いて家計を支えるわ」~エイプリルの突拍子もない提案に最初は戸惑ったフランクも、次第にその気になって…しかし、運命の歯車は思わぬ方向へと二人を導いて行く。

【感想】

60_2 辛辣な人物描写が印象的だ。登場人物全員が悪人とは言わないまでも、その言動に何かしらの毒を含んでいる(キャシー・ベイツが登場した辺りから、毒を感じたのは配役の妙?)。他人の成功を妬み、失敗に安堵する。自分たちの幸福を、他人の不幸で相対化する。ここでは善意も友情も薄っぺらい。出る杭は、必然的に打たれるものなのだろうか。

ただし、人間関係も鏡のようなものだ。”自分たちは選ばれし者”と言う、主人公達の傲慢さや独善性が、周囲の悪意を呼び覚ましてしまったとも言えるのだ。彼らが優位に立つ限りは周囲も美辞麗句で賞賛するが、一旦ほころびが見つかるや、周囲は手のひらを返したように冷たく突き放す。人生に強気(貪欲?)であればあるほど、失敗には周囲から手痛いしっぺ返しが待っているのだ。

個人の上昇志向は、国勢も上向きだった時代にはそれほど珍しいことではなかったのかもしれない。”フランスに行きさえすれば道が開ける”とは暢気なものだ。数年間も専業主婦だった女性が、いきなり国際機関の秘書業務に就けるものなのか?そうした楽観主義も、”いけいけどんどん”な高度経済成長の時代の空気が生み出したものなのか?

しかし、過剰な上昇志向は、そうでない者には”鼻につくもの”であり、妬まれる要因にもなる。”現状に安住し、新たな一歩を踏み出せない、意気地なしの現実主義者達(←しかも、こちらの方がマジョリティ。かくいう私もこちら側)”を、内心蔑んでいた主人公達は、その傲慢さが周囲の人間達には見透かされていたのかもしれない。

主だった登場人物の中でも、マイケル・シャノン演じるジョンの吐き出す言葉は、そのことごとくが真実を衝いて、主人公二人の心を掻き乱す。ドラマの中ではキー・パーソンとも言える存在だろう。彼が登場する度に、見ているこちらまで緊張した。

それにしても、過剰な上昇志向がもたらした結果は、あまりにも哀しい。主人公達は既に確かにある幸福に気づけずに、さらなる幸福を求めて”外”を目指した。しかし、幸福とは”外”にあるのではなく、自らの”内”にあるものなのではないか。それに気づけなければ、どこまで行っても、いつまで経っても充足感は得られないと思う。

【気になったこと】

ヒロイン、エイプリルのチェーン・スモーカーぶりには驚いた。喫煙は彼女の苛立ちを表す重要な行為なのかもしれないが、それにしても凄い。調べてみると、1915~1950年にかけて、米国では急激に煙草の消費量が増えたそうだ。当時は喫煙行為と健康被害の因果関係についての調査もなされておらず、喫煙は嗜好品として堂々と市民権を得ていたようだし、女性の社会進出とも関係があるのだろう。それでも彼女のチェーン・スモーキングは常軌を逸している。その異常なまでのニコチン依存は、彼女の精神的均衡の喪失を暗示しているかのよう。

【スピーチ・ライター】

オバマ米大統領の演説原稿を手がけているのが、若干27歳のスピーチ・ライターと報道されて驚いたばかりだが、そもそも私はスピーチ・ライターなる存在も知らなかった。実は、この映画の原作小説の作者、リチャード・イェーツは、当時の司法長官ロバート・ケネディのスピーチ・ライターだったらしい。演説の骨格はスピーカー自身が作るものだろうが、それに肉付けするのはスピーチ・ライターの役目のはず。さまざまなデータの裏付けを取り、社会動向を見極めた上で聴衆の心を掴むような内容にまとめ上げる。そういうスピーチ・ライターの仕事は、彼の小説作りにも大いに生かされたのではないかと想像する。特に時代の空気を読み取るのは、彼の最も得意とすることだったのではないかな?

◆『レボリューショナリー・ロード~命燃え尽きるまで』公式サイト:http://www.r-road.jp/

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企業の要はやっぱり”人材”

未曾有の消費不況と言われる中、大手企業が大幅減益等を理由に、次々と大規模な人員削減を行っている一方で、増収増益を続けている企業もある。真っ先に浮かぶのは「任天堂」だが、ここでは靴小売業「ABC MART」について取り上げたい。この企業は先日のNHKの経済番組でも取り上げられた。今朝も「経済羅針盤」と言う番組で、野口実社長(43歳)を迎えて、その躍進の秘密がレポートされた。以下は、その番組から。

ABC MART、業績の浮沈を握るのは店員力
          (↑これは小売業全般に言えることだろうな)

ABC MARTは7年前に株式上場を果たしたばかりの、伸び盛りの企業だ。その成長を支えているのは、店員から社長にまで上り詰めた野口社長の、積極的な店舗拡大策に代表される攻めの経営姿勢と、各店舗に配置された店員ひとりひとりの高い販売能力である。それが、商機を逃さない→好業績に繋がっている。

◆積極的な店舗拡大策◆(←これは諸刃の剣と言えなくもない)

野口社長は就任以来、店舗拡大を積極的に進め、現在ABC MARTは全国に450店舗を構える。こうした拡大路線は以下のことを可能にした。

■店舗間で在庫を融通しあう

地域によって売れ筋商品には大きな違いが見られる。
→気候風土による需要の違い、消費者の色やデザインの好みの違い

全国規模のネットワーキングで、地域特性を考慮した在庫調整を行い、在庫商品を減らす。

■大量一括仕入れで、仕入れコストを引き下げる

全国展開と言うスケールメリットを生かして一括して大量に仕入れることで、一般メーカー品だけでなく、ブランド品のコストダウンも可能に。



◆店員の高い販売能力◆

意外にも、ABC MARTは同業他社の店舗に比べ、店員の配置率が40%高い。しかも正社員である。

「個々の販売能力が高ければ、高い人件費を補って余るほどの収益を上げることができる。」と社長。

■マニュアルに依存しない

マニュアルで細かく規定すると、通り一遍の接客しかできなくなる恐れがある。必要最低限の技術、マナーは押さえた上で、個々の店員が自分の頭で考えて接客にあたるよう促している。
→店員ごとの売り上げデータはこまめに更新するようにし、それを随時店員が意識することで競争意識を高める。

■現場第一主義

かき入れ時の週末は人事や仕入れ担当など、本社の管理部門の社員も店舗に動員して接客に当たらせる。その為、会社の定休日は金曜日。社長自ら店頭に立つことも珍しくない。
→仕入れ担当者は「今、市場ではどんな商品が求められているのか?」、人事担当者は「今、店員に必要なスキルは何か?どのような店員が求められているか?」を知る絶好の機会に。


(消費者の)買いたい時が、(商品の)売り時=商機

商機を逃さない接客の裏技?】

1)客の来店時には「いらっしゃいませ」と明るく声かけ

店の活況を印象づけると共に、店員は「自分の手が空いていますよ」と言うアピールにもなる。
→客の立場から言えば、気に入った商品があっても、近くに店員がいなくて困ることがままある。すぐに接客して貰えるのは嬉しい。

2)作業をしながらの声かけ

押しつけがましくない接客態度を心がけて、客に快く買い物をしてもらうような店内の雰囲気作り。

3)店員自身の体験談を交えて接客

実際に商品を使っての使用感や、使用する際の注意点などを具体的に述べて、客の購買意欲を高める

4)客が靴のサイズに迷った時には、まず大きめのサイズから薦める

→最初に小さい方を薦めると、きつかった場合に商品自体の使用感、イメージを損ねてしまう恐れがある。

5)レジでは精算時、靴だけでなく、最後の一押しでもう一品(手入れ用品等)薦める。

不況下では、客は「自分にとって、この商品は本当に必要なのか」と、いつも以上に吟味して商品を買い求める。その購買意欲をいかにして高めるかが店員の力量の見せ所である。

なお、今年の販売戦略としては「幅広い価格帯(高額商品から普及品まで)で、お得感を」だそうだ。

【感想】

店での店員の様子を見ると、とにかく走る、走る。店頭に客の求める商品のサイズがないと分かれば、倉庫へ走って取りに行く。客の求める商品がないと分かれば、近隣の店舗に在庫を問い合わせ、走って取りに行く。その一生懸命さが、客を逃がさないのだと思う。その直向きさは清々しい。それは人材を蔑ろにしない企業トップの経営姿勢が可能にしているのだろう。顧客重視の姿勢も、確実に消費者の心を掴んでいるように見える。

最近、雇用の調整弁とも言われる派遣社員を容赦なく解雇する風潮が見られる。目先の利益に汲々として人材育成を正面から否定し、人間を人間として真っ当に扱わない雇用形態の非情さが、ここに来て露わになっていると言えるだろうか。もちろん、個人の努力(自らを高めようとする意識、向上心)の有無も問われるべきだが、その為の環境作りは、企業や社会の責任だと思う。天然資源に乏しいこの国で、最も価値のある資源は人材だ。それを大事にせずして、この国の未来はないと思う。

◆ABC MART公式HP:http://www.abc-mart.com/index.html

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ある理想のかたち~人が人として尊ばれる社会

先日、テレ朝の「ニュース・ステーション」で、素晴らしい会社のことが紹介されていた。まず、その会社の会長が言われた言葉に深い感銘を受けた。

人間の究極の幸福は、以下の4つです。

1.愛されること
2.褒められること
3.役に立つこと
4.人に必要とされること

それを障害者雇用と言う形で実践されている。そのきっかけは50年前に遡ると言う。その当時、ある養護学校の先生が会社を訪ねて来られた。卒業生の就職受け入れの要望だった。難色を示す会社に、その先生は言われたそうだ。

「このままでは、この子達は、一生働く喜びを知ることなく、人生を終えてしまうのかもしれないのです。」

この言葉に心を動かされた会社は、職業体験という形で生徒を2名、限られた期間(2週間?)受け入れることにした。すると、体験期間が終了を迎えた時、従業員から、生徒達の継続雇用を訴える声が上がった。

「わからないことがあれば、私たちが教えてあげます。面倒を見ます。ですから、この子達を雇ってあげてください」

生徒達のひたむきな働きぶりに、感銘を受けた従業員の心からの訴えだった。レポートでは、その時以来、50年間働き続けている女性も紹介された。彼女は嬉しそうに、こう言った。

「ここで働いて50年を迎えたので、今年9?歳になるお母さんが、お祝いにお赤飯を炊いてくれました」

この最初の障害者雇用以来、この会社は積極的に障害者を雇用し、今では雇用者の50%以上を占めると言う。工場長は、営業活動で苦境に立たされた時、彼らの「頑張ってね」の言葉に励まされ、その恩返しに今も精力的に営業活動を続けている。まさに、健常者と障害者が共に助け合って生きる社会が、この会社で実現している。

「障害を抱えているから無理」ではなく、どうしたら、そのハンデキャップを軽減できるか、作業工程の簡素化やワーク・シェアリングや丁寧な指導など、さまざまな工夫を凝らして、障害者に働く場を提供している。

そもそもHPを覗いてみると、この会社は昭和12年に、白墨を使用する教師の肺結核の多さを憂慮して、米国と同じ炭酸カルシウムを原料としたチョークの開発に着手したと言う逸話が残っている。その出発点から、「人を大事にする」会社なのだ。現在も、北海道で廃棄に苦慮していたホタテ貝の貝殻を原料に、折れにくく、粉が出ない「ダストレス・チョーク」を開発し、チョーク業界では7割のシェアを誇る。この主力商品は、環境にも配慮した画期的な発明と言える。

社員のひとりひとりが、生き生きとした表情で働く職場の様子に、社会のひとつの理想的な在り方を見たような気がした。この素敵な会社の名前をご紹介します。

川崎市にある「日本理化学工業株式会社」と言う会社です。この記事を読んで興味をもたれたなら、会社のHPを覗いてみて下さい。

日本理化学工業株式会社http://www.rikagaku.co.jp/

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旬を楽しむ~吉野梅郷を行く(2/2)

☆公園を後にして…

梅・梅・梅尽くしの公園を後にして、一般道に出ました。と言ってもここは梅の郷。街路でも個人の家の庭先でも種々の梅の木を目にすることができます。軒先で自家製梅干しを販売しているお宅も。閑静な住宅街の中に、個人経営の小規模な梅園も点在しています。地図を片手に観梅モデルコースに従って歩いて行きました。この時点で、まだコース全体の3分の1ほどを歩いたに過ぎません。梅の公園を出た後は見どころが点在しているので、住宅街の中をそぞろ歩くことになりました。

そこで、「ここにも」と少し驚かされたのが、昔ながらの集落の間に突然出現したかのような、いわゆるミニ開発の住宅街。一見瀟洒だけど、細切れな区画に隙間なく建てられた家々。その一帯だけ妙に新しく、旧来の住宅街からは浮いた存在です。かつてはそこに梅林や畑があったのでしょうか?各地を街散歩して、しばしば目につく光景でもあります。

途中に公家の装束も収蔵していると言う青梅きもの博物館がありましたが、特に食指も動かなかったので入館せず(着物や公家・大名の装束に興味のある方には必見だと思います)、次の見どころ、鎌倉の梅へ。

Photo_14 敷地に入ってすぐに目に飛び込んで来た黄色い花。青空に良く映えます。











Photo_15 鎌倉の梅
は陶芸品(「信楽焼」と看板が出ていました)や土産物を商う店の敷地内にありました。この一帯に旧鎌倉街道が通っていたらしく、それに因んでの命名のようです。樹齢約400年といわれる古木らしく、古武士のような風格を湛えた姿が印象的でした。

吉野梅郷には思いの外、陶芸の工房が多く目につきました。そう言えば、映画『明日の記憶』にも大滝秀治演じる老陶芸家が登場しましたが、その窯の所在地も奥多摩の設定。(私が知らなかっただけで)この辺りは陶芸が盛んな地なのですね。

古木ならではの味わいのある鎌倉の梅を見た後、中道梅園を横切って観梅通りに出ました。

■観梅モデルコース地図:http://www.omekanko.gr.jp/hiking/plum_promenade/access.htm 

Photo_16 《岩割りの梅》

時間も午後1時を過ぎて、そろそろお腹も空いて来たので、一部コースを端折りました。左手に下山八幡神社を見遣りながら少し急ぎ足で一路岩割りの梅へ。民家の庭先という目立たない場所にある為、観梅期には看板を立てて案内をしているようです。この梅はその名の通り、岩を割って根付いた梅の古木。土地の豪族、三田氏と北条氏の戦いの折に生まれた悲恋物語と縁ある梅らしく、別名悲恋の梅とも言われているようです。しかし詳細を知らないので、悲恋の梅と言われてもいまひとつピンと来ません。とにかく梅の木の、岩をも割って根付く、その生命力の逞しさに感心することしきりでした。


☆おいしかった、おいしかった 手打ちそば

観梅モデルコース地図には、当地のお食事処の案内もあります。山里で昼食と言ったら、やはりそばに限りますね。

Photo_17 岩割りの梅にほど近い、手打ちそば梅の内(めのうち?)に行ってみました。ここも住宅街の少し奥まった所にあって、一見して普通の民家を改造して設えた店のようでした。まるで知人の家を訪ねるような雰囲気。店名を染め抜いたのれん、左手に見える品書き板がなければ、普通の民家にしか見えません。キビキビと働いておられる女性もご近所の奥さんと言った風情。




Photo_19 メニューは3種類だったでしょうか?せっかくだからと50食限定(もしかしたら、全部で50食限定だったかもしれません)天ざる(1100円)を注文しました。山の幸・海の幸の天ぷらと極細麺。これがまたおいしかったのです!極細のそばはしっかりとしたコシで噛み応えがあり、定番のえび天以外に山菜やふきのとう、そして当地ならではの梅干し!の天ぷらが、サクっとした食感の薄衣に包まれ、絶品でした。そば湯もおいしく、つい飲み干してしまったほど。普段、いかに不味いそばを食べているのかを思い知らされました。

Photo_22 私達がおししい天ざるに舌鼓を打っている最中に、「申し訳ありません。もう完売になってしまいました」という声が。私達の後に入った夫婦連れの客で札止めとなったようです。つまり私達は47、48食目の客だったのです(ギリギリセーフ!)。支払いを済ませ、帰り際に「とてもおいしかったです」と言うと、「まあ、ありがとうございます」と店の女性は満面笑顔でした。その掛け値なしの素朴な喜びの表情がまた素敵で、とても心地よい満足感に浸りながら店を後にしたのでした。

おいしかったなあ…腹ごしらえを済ませて次に向ったのは即清寺(そくせいじ)。ここは吉野街道沿いの山裾にある真言宗豊山派の古刹です。そう言えば先月訪ねたばかりの足立区の寺町も豊山派が多かったような。例によって境内には弘法大師様の像がありました。ここにも招春梅という銘木があるらしいのですが、私はなぜか本堂や大師像に気を取られて見逃してしまいました。お腹がいっぱいで、ぼぉ~っとしていたのかもしれません(^_^;)。

■観梅モデルコース地図:
http://www.omekanko.gr.jp/hiking/plum_promenade/access.htm

21 即清寺の後は吉野街道を横切って、目と鼻の先にある大聖院へ。ここまで来れば、もうゴールの駅まであと少しです。境内に入る前に、塀際に立つ曲り松に目が釘付けになりました。
<img src="/hanakonoantena/timg/middle_1173766364.jpg" border="0">な、なんでしょう?この曲り具合は!
ほぼ直角に近いですね。自然に、というより細工して曲げたもの? 

この寺の本堂の裏手には、親木の梅と呼ばれる古木があります。これは青梅駅近くを走る旧青梅街道界隈にある金剛寺の将門誓いの梅(青梅地名由来の梅の木)を根分けしたものと伝えられる古木で、吉野梅郷の梅の始祖とされています。
                           
22 《親木の梅》

2万5千本ある梅郷の、始まりの1本…









☆最近何かと縁のある作家、吉川英治の記念館

25 資料館正面玄関

観光協会のHPでその存在を知るまで、まさか、ここに作家吉川英治ゆかりの場所があるとは想像もしませんでした。観梅コースの後半にも組み込まれている観光名所のようです。

吉川英治は横浜市出身ですが、戦争中に疎開したのをきっかけに、ここでも本格的な執筆活動を行ったようで、代表作のひとつ、『新平家物語』はここで執筆されたと言われています。かつては庄屋屋敷だった旧邸を、作家自ら「草思堂」と名付けたというエピソードからも、作家の愛着が感じられる場所ですね。名作が生み出された書斎もそのままの状態で保存、公開され、また別棟の資料館には、原稿、書画、書簡などが約300点展示されるなど、吉川英治ファンにはたまらない場所のようです。

24 玄関左側に鎮座する椎の古木。吉川英治が父親の事業の失敗により、小学校を中退して丁稚奉公に出され、苦学・苦行の末に作家として大成したことを、私は資料館に展示されている作家年表で初めて知りました。作家として名を成す前に20以上の職を転々とし、20代の前半にはあの職人の町、日本橋浜町で、象眼細工の下絵描きに従事していたとは驚きです。思わず観梅帰りに、地元駅ビルの書店で、彼の苦難の日々を詳述したとされる自叙伝『忘れ残りの記』(講談社吉川英治歴史時代文庫)を買ってしまいました。まだまだ知らないことは多いのだなあ…

■吉川英治記念館公式HP:http://www.kodansha.co.jp/yoshikawa/

上記公式HPを見てみたら、なんと今年(2007年)は開館30周年だそうで、それを記念して今月16日~18日の来館者を対象に抽選会があり、記念館ゆかりの品々等がプレゼントされるようです。

Photo_20 奥多摩橋から多摩川を望む

28 10カ所巡って、スタンプハイク完歩。かくして充実した時間を過ごし、無事、観梅散歩を終えた私達は、心地よい疲れを全身に感じながら帰路についたのでした。(終)

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旬を楽しむ~吉野梅郷を行く(1/2)

今朝(2008.02.14付)の日経朝刊土曜版に、「おすすめの梅の名所」ランキングが紹介されていました。以下は、そのランキングで1位に選ばれた東京都青梅市の吉野梅郷に、2年前の3月半ばに行った時の記録です。ご参考になれば幸いです。

Photo しゅん【旬】
①(旬政・旬儀・旬宴の略)古代、朝廷で行われた年中行事の一。
②魚介・蔬菜・果物などがよくとれて味の最もよい時。
③転じて、物事を行うに適した時期。
(以上、広辞苑より)

”旬”の食材は一般的に価格が安く、栄養価も高いと言われ、食材が持つ生命エネルギーをいただくという意味でも、”旬”の食材を味わうことは自然の理に適うことです。

同様に、その時にしか楽しめないことを存分に楽しむことも大事なこと。その意味では、観梅も”旬”を楽しむ行為のひとつと言えるでしょう。”旬”に咲き誇る梅の花から放たれる精気を全身に浴びる好機。心も体も元気になること請け合いです。

これまでにも日帰りで、水戸の偕楽園熱海梅園曾我の梅林を訪ねたことがありますが、意外にも都内の梅の名所、吉野梅郷は今回が初めてでした。予め青梅市観光協会のHPで下調べをしたのですが、青梅市は吉野梅郷の梅祭りを大きな観光行事と位置づけているらしく、充実した内容のHPでした。

■青梅市観光協会公式HP:http://www.omekanko.gr.jp/

その中で紹介されていた観梅モデルコースに従って、今回は界隈散歩を楽しみました。観梅を堪能し、おいしい手打ちそばに舌鼓を打ち、吉川英治記念館を訪ねる盛りだくさんなコースで、まさに五感を刺激する楽しい散歩コースでした。

このコースは、

往きは青梅線日向和田駅下車で、
帰りは奥多摩寄りの二俣尾駅より乗車

ということで、多くの方々が帰る際に乗車する日向和田駅の、手前の二俣川駅で乗車するため座れる確率が高く(立川駅まで40分弱。時間帯によっては青梅駅で乗り換え)、歩き疲れた身体にも優しいコースです(笑)。

■吉野梅郷観梅モデルコース地図:http://www.omekanko.gr.jp/hiking/plum_promenade/access.htm 


☆それでは出発~♪


Photo_2
多摩川に架かる神代橋より多摩川を望む。多摩川河口近くから来た人間には、山中を蛇行する清流の多摩川の姿は新鮮に映る。寒い中、川に入って渓流つりを楽しむ人も?!(写真下部川の中央辺り、点に見えるのは人です)

27 橋を渡り切ると、沿道には食事処や土産物屋が並んでいます。途中に青梅市が開設した臨時の観光案内所があり、青梅市観光パンフレットと共に写真のA4サイズを2つ折りにした台紙を貰いました。青梅吉野梅郷観梅記念スタンプハイク。10カ所の観光名所を巡ってスタンプを押すスタンプラリーのようです。せっかくなのでスタンプを集めることにしました。

Photo_3 梅の公園入り口近くにある枝垂れ梅。時折吹く風にそよそよと枝がなびいて風流でした。枝垂れは優美で女性的ですね。キリッとした枝振りの木々の中に混じっているからこその優美さではありますが、思わず立ち止まって見入ってしまいます。飼い主に連れられて来たらしい犬は、その低い目線で何を見ているんだろう?とふと気になったり…

Photo_4 園内の並木道。梅花のトンネルです。

Photo_8

Photo_11









梅の公園
は上掲の観梅モデルコース地図を見て夫が気付いたのですが、その形状がインド亜大陸にそっくりですね。起伏に富んだ地形で、さまざまな表情の梅花、梅林を見せてくれる。

最も高い地点のあずま屋まで、やや急勾配の階段を昇るのですが、心臓をバクバク言わせて昇っただけのことはあります。頂上から見える景色は、手前に百花繚乱の梅の花、中景に青梅市の街並み、遠景になだらかな稜線の山並みと、色彩の対照も美しく、なかなか見応えのあるものとなっています。

Photo_12 頂上からの眺め。絶景です。いつも外出時に忘れないようにと、デジカメを玄関の靴箱の上に置いてあるのですが、今回はうっかりして忘れてしまいました。携帯カメラでは本物の素晴らしさを10分の1も伝えられるかどうか…肉眼で目にした風景への感動は、言葉でも言い尽くせません。

この時期、吉野梅郷全体で、2万5千本もの紅梅・白梅が咲き誇っているのですね。そう言えばHPの解説で初めて知ったのですが、紅梅白梅というのは花の色ではなく、切った枝の断面の色による分類らしい。これは意外でした!(もちろん、その為に素人が枝を折るなんて論外ですね)

Photo_21 梅の公園内には、もちろん他の木々や花々もあります。それらの木々や花々と梅花の取り合わせも、この時期ならではの楽しみと言えるでしょうか?紅白の梅花の中にニョキッとそびえ立つ?二本松(写真)など、なかなか絵になります。ちなみにこの公園、梅まつり期間中は有料ですが、それ以外の期間は入園無料らしい。普段の公園はどんな感じなんでしょうね。

■吉野梅郷梅まつり(観光協会HPより):http://www.omekanko.gr.jp/ume/kouen.htm

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かんぽの宿、オリックスへの譲渡問題の本質

宿泊・保養施設「かんぽの宿」のオリックス不動産への譲渡問題。どうやら鳩山総務相の物言いから、ついには野党まで動き出して、この件は白紙となるようだ。

しかし、しかし、一国民として腹に据えかねるのは、そもそもこうした不採算事業(年間40~50億円規模の赤字!)を、どうして適正な事業計画もないまま日本郵政公社の前身、郵政省は始めたのだろうねえ?そのことの責任追及なしに、譲渡手続き問題だけが大きく取り沙汰されるのが腑に落ちない。

郵政省がこの「かんぽの宿」事業に投入した資金は、元を辿れば国民の預貯金(簡保の保険料)だよね?その投資が回収できないこと自体とんでもないことだ。国民の誰も作ってくれとは頼んでいないはず(それとも地方の雇用創出?)。民間企業なら考えられないことだよ。投資額に見合うだけの利益を上げることもできない事業に多額の資金を投入するなんて?!なんて大甘な需要予測なんだろう。

官主導の事業の問題点は、損益をあまりにも考えなさ過ぎること(社会にとって、それがどうしても必要なものならともかく)、さらに失敗した場合に誰も責任を取らないことだと思う。昨日で就任1年を迎えた大阪の橋下知事も、関西国際空港の大幅赤字に関して、官の経営感覚の無さを指摘していたけれど、まったくもって、この無責任体質には憤りを覚えてならない。世界有数の経済大国が、こうした杜撰な赤字事業の数々で、世界有数の借金大国に成り下がり(少子高齢化による社会保障費の増大と不況による税収の伸び悩みが大きな原因ではあるだろうけれど、赤字事業の損益も”塵も積もれば山となる”だろう)貧困国(厳密に言えば国家だけが富んで、国民は貧困に喘ぐ国)に向かって転がり続けている。

息子が卒業した、築50年のボロボロの小学校の校舎(今、地震が起きたら、ひとたまりもないぞ!)を見ながら、「この国は一体誰の為に存在するのか」と溜息をつくばかりだ。

【参考サイト】
↓私が常々愛読している貞子さんのブログには、この件に関して以下の通り興味深い記事があった。一体、何が真実なのか?(因みに貞子さんはアルファブロガーです)

霞が関と邦銀大手が敵視、「かんぽの宿のオリックス」は庶民の味方:http://angel.ap.teacup.com/newsadakoblog/1235.html

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君のためなら千回でも(原題:The Kite Runner)

60_5 絶妙なチームワークを見せる
ハッサンとアミール
2008年2月は『アメリカン・ギャングスター(American Gangster)』『ラスト、コーション(Lust,Caution)/色・戒』、そして表題の『君のためなら千回でも』と立て続けに見応えのある作品に出会えたことが嬉しい。

どの作品もそれぞれに印象深く、自分なりに思うところがあるが、今日はTV放映録画で見たペドロ・アルモドバル脚本・監督、ガエル・ガルシア・ベルナル(『モーターサイクル・ダイアリーズ』)主演の『バッド・エデュケーション(原題:LA MALA EDUCACION、英題:BAD EDUCATION、2004、スペイン)』と絡めて、表題作品について感じたことを書こうと思う。


戦争の最大の被害者は子供たち、即ち、その国の未来である

まず表題作でアフガニスタンのここ30年の歴史を、私は登場する少年達の辿った運命を通して見ることになったのだが、見終わると悲しくてやり切れない気持ちでいっぱいになった。冒頭、大空を舞う無数の凧(互いの凧の糸を絡ませ、相手の糸が切れるまで戦う勇壮な凧揚げのシーンは見もの!”ケンカ凧”と言うそうな。二人一組で戦うこの”ケンカ凧”。ひとりは巧みにたこ糸を操り、もうひとりは敗者の切れて落ちて行った凧を走って取りに行く。後者を”カイトランナー”と呼ぶらしい)に、30年前のアフガニスタンの自由の伊吹を感じるのだが、それも長くは続かない。ソビエトの侵攻、イスラム原理主義グループ、タリバンの台頭は、かつて「中央アジアの真珠」と呼ばれたアフガニスタンの様相を一変させたのだ。

40主人公アミールは裕福な家庭の子で、使用人の子ハッサンとは身分差を越えて友情を育んでいた。しかし、異なる民族(パシュトゥーン人とハザラ人)である二人の仲睦まじい関係をやっかむ者も中にはいて、そうした者達はことさら民族の優劣を言い立てては、特にハザラ人であるハッサンに辛く当たるのだった。そしてある日、二人の間に決定的な亀裂をもたらす事件が起きる。その後関係修復の機会もないまま、アミールは父と共にソ連軍侵攻のアフガニスタンから米国へと脱出する。

40_3それから20年以上の歳月が流れ、亡命先の米国で作家としての一歩を踏み出したアミールの元へ、アフガニスタンの隣国パキスタンから一本の電話が入る。「アフガニスタンに戻って来い」…20年ぶりの故国への旅は、アミールにとって懺悔と償いの旅である。故国に残して来た”大切なもの”を取り戻す旅。かつてのひ弱で卑怯な自分と対峙し、決別する旅でもあった。

さて、『バッド・エデュケーション』は現代スペイン映画界を代表する映画監督ペドロ・アルモドバルの自伝的作品らしく、彼が少年時代に過ごしたミッションスクールが舞台のひとつとなっている。何年か前に米国でカトリックの神父による少年への性的虐待が問題となったが、本作でもそれが重要なモチーフとなっている。監督の実体験をベースに虚実入り交じった物語なのだろうが、登場人物の痛々しさに心苦しくなることがしばしばだった(もちろん人によって、見方、感じ方はさまざまだろうけど)

神の御名において人間の正しい生き方を説く立場にある聖職者の、人道にもとる行為。それだけに衝撃的で倫理的に許し難い。それは『君のためなら千回でも』に登場するイスラム原理主義グループ、タリバンとて例外ではない。劇中、サッカー・スタジアムで衆人環視の中、姦通の罪に問われた男女の内、女性だけが石打ちの刑で殺害されるシーンがある。ことさらイスラムの戒律に厳しいタリバンが、一方で少年少女に性的虐待を加える。彼らの中でこのふたつは矛盾しないのか?神の前に恥じることはないのか?考えるだけで腹が立つ。

人はなぜ信仰を持つのか?より良く生きたい、人として正しく生きたいと思うからではないか?生き方の規範として神仏の教えを信じ、それに則って日々を過ごすことで精神的充足を得られるはずが、現実には、教義は宗派によりいかようにも解釈され、それが原因で宗派間の対立を招くことがある。行き過ぎた原理主義は人々を教義でがんじがらめにし、人々からあらゆる自由を奪う。世界各地の紛争原因の中にも宗教的対立が見え隠れしている。人々は信仰によって心の平安を得るどころか、苦しみ苛まれることも少なくない。でもこんなことを書くと、信仰の目的は現世的幸福の追求ではないと反論されるのだろうか?

『バッド・エデュケーション』『君のためなら千回でも』のニ作品を見て、どうしても宗教に対して懐疑的になってしまう自分がいる。宗教そのものより、それを信仰する人間の問題ではあるのだが、神により近いはずの人間がなぜ堕落するのか?神はなぜそれを止められないのか?敢えて止めないと言うのであれば、神はなんと厳しい試練を人間に課すのだろう。

邦題は劇中に二度登場する台詞。アミールとハッサンの固い絆を物語る言葉だ。「君のためなら千回でも」と叫んで、敗者の凧を取りに行く”カイトランナー”のハッサン。その後の”過酷な運命”を受け入れるしかなかった彼の生い立ちが哀しい。おそらく今も世界のどこかで、無数の”ハッサン”が苦難の人生を強いられているのだ。本作は”彼ら”の物語と言えるのかもしれない。

報道によれば、本作はアフガニスタン本国では上映禁止となったらしい(→http://www.varietyjapan.com/news/movie/u3eqp30000027w6z.html)。出演した少年達も、描かれた内容が内容だけにアフガニスタンにいづらくなり、米配給会社の保護の下(彼らが18歳になるまでの生活費を全額補助)、家族帯同でUAEへの移住を余儀なくされたと言う。映画出演によって結果的に故国を追われることになった少年達の行く末を思うと心が痛む。それともこの展開は彼らに幸運をもたらすのだろうか?(→http://www.cinemaonline.jp/bei_review/2007/092.php)  

◆『君のためなら千回でも』公式サイト:http://eiga.com/official/kimisen/

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フィクサー(原題:MICHAEL CLAYTON)

60_4これまで見たジョージ・クルーニー出演作の中では一番面白い。邦題は弁護士事務所で面倒な事案を処理する(劇中では度々”清掃人”と自嘲ぎみに自称している)”もみ消し屋”を意味する「フィクサー」となっているが、原題はクルーニー演じる主人公の名前である。 

 「フィクサー」と言ったら日本では”黒幕”的意味合いが強くて、私などコダマヨシオ、オサノケンジ、ササガワリョウイチらの名前が浮かんだりするのだが(因みにその中のひとりの下で運転手を務めていた人物は、今や大手芸能プロダクションの経営者で、芸能界では絶大な権力を持つらしい。まるで映画「アメリカン・ギャング・スター」を地で行くような人生だ)、他の弁護士や事務所の尻拭いをする汚れ役も意味するとは、この映画で初めて知った。確かに「マイケル・クレイトン」より「フィクサー」の方がキャッチーではあるが、しかし、案外ミスリードしちゃんだな、これが(笑)。

てっきりクルーニーの「フィクサー」としての活躍を描いていると思いきや、そうでもない。寧ろ映画の中で、彼はフィクサーとしては何ら効力を発揮していないのである。事務所の汚れ仕事を一手に引き受け、いいように使われている主人公が、私生活でもギャンブルと身内のトラブルで多額の借金を抱え、いよいよ追い詰められた時、同僚花形弁護士の奇行(実際のところは花形弁護士の”良心”と、ある一人の少女への淡い”恋心”が、弁護士を「正義」へと走らせた結果なのだが)の尻拭いを命じられる。そこから主人公の”人間力”が試される、とでも言おうか。社会の裏側の汚い部分を散々見聞きし、そこにどっぷりと浸かっていた主人公の中に、まだ残されていた一片の良心。それを原動力に、彼はある意味鮮やかな逆転劇を演じてみせる。それでも万々歳と行かないところに、容易ならざる人生の厳しさが垣間見えて、最後のシーンでふと見せる彼の表情が深い余韻をもたらすのだろう(夫は最後のシーンを、あまりにも有名な「卒業」のラストシーンと重ねて見たらしい)

主演のジョージ・クルーニーとトム・ウィルキンソン、ティルダ・スウィントンら実力派俳優との丁々発止の対決シーンは見応えがある。製作に一流映画人が名を連ねたことからも本作の本気度が伺える(同時にそれはクルーニーの求心力を証明するものでもある)。近年では、映画の醍醐味を感じさせてくれる数少ない作品のひとつだと思う。

【心にグッと来たワンシーン】

離婚して、別居を余儀なくされている息子との車中での会話。 (酒に溺れた)マイケルの従兄弟の弱々しい姿を目にして怯えた表情を見せた息子に、走らせていた車を止めてマイケルは言う。「お前は心の強い子だ。お前なら大丈夫だ」―その目はしっかり息子を見据えて、声も力強く、新しい父親を迎えた家庭に今ひとつ馴染めない息子には、おそらく何よりの励ましとなったはずだ。

◆『フィクサー』データ(allcinemaonlineより)http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=328901

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ノーカントリー(NO COUNTRY FOR OLD MEN)

60_2アントン・シガー、劇中彼の背景説明が一切なされないのも言いしれぬ恐怖を誘う。彼がどこから来て、どこへ向かおうとしているのか観客には一切明かされないのである。

ボディブローのようにジワジワと効いてくる映画だ。

 ”一般人”には理解し難いメンタリティと哲学を持った犯罪者への恐怖は現実世界も同じ。「殺すのは誰でも良かった」「殺したことを後悔していない」「被害者への謝罪は…特にない」。映画の中の職業としての「殺し屋」と日本の「無差別殺人犯」。一見かけ離れたような存在のようで、「理解不能な存在」という意味では一致。できれば関わりたくないタイプの人間(でも、いつどこで、そのような輩と出逢うやも知れぬ。それが昨今の恐ろしさ。タイトルも、もはや年寄りが安穏と暮らせる国は無くなった、とも取れ、社会の変質を暗示させる)。しかし、その有無を言わさぬ暴力の理不尽さに、嫌悪感と恐怖を覚えながらも、劇中のトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官の傍観者的態度に共感する(理解を示す?)人は案外多いのではないか(下手に関わると、こっちの身が危ないもんね。戦争下のような切迫した状況でない限り、愛する存在がいる人間は、わざわざ危険な賭には出ないと思う。たとえ意気地なしと呼ばれても。勇気ある者への賞賛は一時的なもの。その多くは、残された者の悲しみだけを残して、人々から忘れ去られてしまう)

本作は苦い後味を残すが、見応え十分。コーエン兄弟恐るべし。

 実のところ、”一般人”と”殺人者”のボーダーも最近は曖昧なんだよね。周囲が驚くほどあっけなく両者の間にある”壁”を乗り越えてしまう人々がいる。そんな状況を「明日は我が身」と内心恐怖におののきながら生きているのが現代人なんだろうか?自分は絶対”アチラ側の人間”にはならないと確信が持てる人は、今の日本に果たしてどれだけいるのだろう?

◆映画『ノーカントリー』公式サイト:http://www.nocountry.jp/
◆映画データ:http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=328975 (cinemaonlineより)

60_3












以下はネタバレにつき、映画をご覧になった方だけ読まれたし。

【つっこみどころ】

冒頭、殺し屋アントン・シガーが後ろ手に手錠をはめられ保安官事務所に連行される。その後の彼の無敵ぶりを見たら、なぜ彼が保安官ごときに逮捕されたのか理解できない。この保安官事務所における、彼の極悪非道ぶりをまざまざと見せつける殺害シーンの描写は、出口のない恐怖ショーへの導入として確かに効果的ではある。

【ついでながら、気になること】

「とにかく誰かを殺したかった」―最近ニュースで耳にした、あまりにも理不尽な殺害動機(厳密には”動機”とは言い難いが)。同じ様な台詞を最近、米ドラマ『クリミナル・マインド FBI行動分析官』で耳にしたばかりである。ドラマでは殺人衝動の妄想に悩む少年が、その抑え難い衝動を結果的に他者ではなく、自分自身に向けた(→自殺をはかる)のだった。

従来はドラマの少年のように絶望の果てに自傷に至っていた人間が、今や他者への攻撃(殺傷)へと走るケースが珍しくない。自らの破滅に、自分とは無関係な人間を道連れにする。理不尽な殺人は自分を受容しなかった社会全体への究極の復讐とも見てとれる。そのターゲットにされた被害者は堪ったものでない。何が人間を変質させたのだろう。犯罪者個人を断罪したところで解決できる問題ではないような気がする。寧ろ社会全体で、そうした殺人者を生み出した土壌としての責任を負う覚悟が必要なのかもしれない。

【あの気になる髪型についてのメモ】
2008.5.2付日経夕刊13面コラム「モードの方程式」(中野香織氏)に、ハビエル・バルデム演じるシガーのあの独特な髪形についての言及があった。それによれば、ヘアードレッサー、ポール・ルブランは「十字軍」にヒントを得て、あの殺し屋ヘアーを考えついたと言う。「十字軍の騎士とイスラム教徒が殺し合う時代の髪形。時を超えた危険な雰囲気をハビエルに与えたかった」と英「ガーディアン」紙に語ったらしい。意外なルーツにビックリ。

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謎がいっぱい、大人の放課後~『アフタースクール』

70_6 存分に騙されてください(笑)

愉快!痛快!最後まで先の読めない展開!…そして騙される喜び!

今年見た邦画の中で、現時点(2008年5月)ではダントツに面白い!



常々、映画の”肝心要”は、監督の演出力、魅力的なキャスティングもさることながら、脚本の面白さだとコチラでも訴えているけれど、本作はまさに練りに練られた脚本の良さで、最後まで私(だけではないはず!とにかく場内が沸いていた!)を飽きさせないどころか、ワクワクさせてくれた。このような作品との出会いは滅多にないこと。幸せな気分で映画館を後にできた。私が見た次の回では監督・キャストによる舞台挨拶が予定されていた。大いに盛り上がったんだろうなあ…(あ~羨ましい!)

監督・脚本を手がけた内田けんじという人は、凄い人だなあ…。今頃知るなんて遅すぎる?!

とにかくさまざまな仕掛けが楽しませてくれる。それは各場面で視点をずらすカメラワークであったり、ミスリードを誘う登場人物たちの意味深な台詞であったり、行動であったり…。散りばめられた伏線の数々が、映画の後半に行くにつれて収斂されて、予測もつかない結末へと導いてくれる。まんまと騙される快感ってあるんだねえ(監督の前作を知る人には手法の手の内が読めたらしいけれど)

各々の登場人物から繰り出される台詞が、前半と後半とで合わせ鏡のような効果を発揮し、まさに生きている。特に大泉洋演じる神野先生と、佐々木蔵之介演じる探偵の応酬が楽しいし、最後の神野先生の切り返しはあまりにも鮮やかで、ジーンと来て、いつまでも心に残る台詞だ。

60_2 キャストも芸達者を揃えて文句なし!

この作品ほど、あらすじを書くのが野暮な映画もないだろう。とにかく何が待ち受けているんだろうとワクワク気分で映画館に行ったら良いと思う。人の優しさを感じられる作品なのも良い。

Photo_2個人的には最近お気に入りの、佐々木蔵之介さまのワイルドな一面も堪能できて幸せでした(笑) 

内田けんじ監督は才能豊かな人のようですね。未見の前作「運命じゃない人」も、今後の作品も是非見てみたい。彼を世に出したぴあ・フィルム・フェスティバルの功績も大きいと思う。感謝!

監督プロフィール:http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/typs/id755262/

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かくも複雑で哀しい人間の心理~『接吻』

Photo 4月22日(火)。今日という日に、『接吻』と言う映画を見たことを、私は忘れないだろう。

昼過ぎにテレビを点けた。山口県光市母子殺人事件の広島高裁差し戻し審の判決を受けての、遺族本村洋氏の記者会見の模様が映し出された。20代の大半を、被害者遺族として裁判に明け暮れた本村氏。本人も言われるように9年は長かった。その間、本村氏は犯罪被害者と遺族の心情と権利を、そして凶悪犯罪を生み出す社会の病理を、誰もが驚くほどの冷静さで訴え続けて来た。その口から繰り出される言葉は年々研ぎ澄まされ、深い思索に裏打ちされた正論は百戦錬磨のマスコミさえ圧倒し、中途半端な反論を許さない強さを持っている。今日の会見はその集大成とも言うべきものだった。

「自らの死を以て罪を贖うことの重みを加害者少年は真剣に受け止めて欲しい」
「被害者、加害者、両者に死をもたらす凶悪犯罪の起きない社会にするには我々がどうすべきなのか、今回の死刑判決が、そのことを考える契機となって欲しい」
既に本村氏は個人的な遺族感情を超えた次元で、社会の在るべき姿への合意形成を訴えている。そこに至るまでに、この9年間に、彼はどれだけ苦悩しながら思索を重ねたのだろう?

映画『接吻』は、アウトサイダーを自認する男女が反社会のベクトルで共振するさまを描いている。男は無差別にある一家を惨殺し、女はその男と自分とを重ね合わせ、男に一途な思いを寄せることで、自分たちを軽んじた社会への復讐を果たそうとするのである。その二人の間に立ち、社会との接点を促す弁護士(彼もまた弁護士の職責とひとりの男しての心情の間で揺れる)。この3人の心理描写が見事だ。映画は、精神的に孤独な環境が男を犯罪に走らせたわけではない、と繰り返す。それでは何が彼を犯罪に走らせたのか?その問いはそのまま現実社会に投げかけられ、誰も明確な答えを出せないでいる。

人間の心理なんて一筋縄ではいかない。そもそも恋愛感情なんて一種の勘違いから始まるものなのかもしれない。自らを理解し、思いやる存在など皆無だと孤独感に絶望した男は、人間としての感情を失った果てに殺人を犯した。その男に同じ匂いを感じ、すり寄る女。女の情にほだされて人間としての感情を取り戻す男。それが逆に女には許せない。女は本当に男のことを理解していたのだろうか?その実、独りよがりに理解したつもりになっていただけではないのか?その二人の間に割って入る弁護士。3人の思いが複雑に絡まって事態は思いも寄らぬ方向へと展開して行く。最後まで緊張感を孕んで、片時も目が離せなかった。

人間はいかにして生の充実感を得られるのだろうか?小池栄子演じる女の、殺人者への恋慕をきっかけに俄然精気を得たような様子に、複雑な思いがした。長らく戦争、紛争状態とは無縁で、日常的な死からもっとも遠いはずのこの日本で、充実した生を全うすることのなんと難しいことよ。

それにしても小池栄子。こんなに演技が上手かったとは…最近は司会業でも利発なところを見せて注目していたけれど、いやはや恐れ入りました。

◆映画『接吻』小池栄子独占インタビュー記事(yahooより):
http://movies.yahoo.co.jp/interview/200803/interview_20080312001.html


◆『接吻』公式サイト:www.seppun-movie.com/

同じく犯罪者を描きながら、米映画『ノーカントリー』の乾いた空気とは対極の、じっとりと汗ばむような湿気を感じさせる作品だ。

【他人を傷つけることに鈍感な自分への一撃】

なぜかその存在を軽んじられる人間の心の痛みを、周囲の人間は気づいているのか?薄々気づきながらも、残酷に放置しているのか?

”女”が一人旅で遠出した時に、自殺を警戒した旅館に宿泊を断られた、と言うエピソードが胸を衝く。「それが何を意味するのか分かる?この女は人生を楽しむこともないのだろう、と思われている。私のことを知りもしないくせに勝手にそう決めつけている」―”女”のとった行動の是非はともかく、こうした周囲の無責任な思いこみに”女”は傷つき、絶望し、社会を敵視するに至ったことを忘れてはいけないのだと思う。

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歩いても歩いても

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楽しいと言うより、ほろ苦い。
温かいと言うより、切ない…かな

若くして亡くなった長男の命日に、老親の住む実家に集った次男家族と長女家族。ある一家のほんの2日間(正味24時間?)の出来事を綴った物語なのだが、予告編を見る限り心温まるホームドラマかと思いきや、意外にそうでもなかった。後方でやたらと大笑いをしている年配男性がいたが、私は笑えなかった。何気ない家族のやりとりの中に、身につまされる内容が多かったからだろうか?自分自身を夏川結衣演じる嫁に投影したり、娘役のYOUに重ねたり…そうして物語にのめり込んで見ると、結構しんどかったぞよ。たぶん、見る人の(家族関係における)立場によって、印象はかなり異なるのだろうなあ。

時に、芸達者な樹木希林演じる義母の言動に、底意地の悪さを感じて背筋が寒くなった。映画タイトルの由来だって、結構皮肉が利いているし。年を取ると人間は円くなるなんて、たぶん若い頃尖っていた人にこそ当てはまることなんだろう。善人、良妻賢母と言われた人は、寧ろ、いい加減周囲に気遣いすることに疲れて、本音で生きたくなるものなのか?案外、タガが外れたようにズケズケとした物言いで、身近な人間を驚かせているのかも。ここだけの話、義母は定年退職を迎えた義父に「これまで苦労をかけたな」とねぎらいの言葉をかけて貰った時に、「はい、散々苦労しました」と(冗談ではなく真顔で?!)答えたそうだ。妻の意外な返答に、義父は心底驚いたんじゃないかな?何年か前の正月の帰省で台所仕事をしていた時に、義母からその話を聞かされて、私も本当に驚いた。日頃の義母の言動からは想像もつかない言葉だったからだ。

家族関係は難しい。特に子供がそれぞれ大人になり、独立してそれぞれの家庭を持った後の親子関係、兄弟関係は、他人(嫁、婿)が入り込むことによって確実に変質する。互いに気を遣いあい、牽制しあう。時には打算も働く。それは良い悪いの問題ではなく、成り行き上、そうならざるを得ないものなんだと思う(子供が大人になる、親から自立するって、つまりはそういうことなんだろうし)。そうした家族関係の軋轢が、是枝脚本の鋭い人間観察によって容赦なく露わにされたのが、この家族のわずか2日間の物語なのかなと、私は受け止めた。亡くなったわが子への執着も親ならではのもので、無下に否定できないだけに、周囲の人間は気を遣うし、心を傷つけられもする。墓参りのシーンでは温かさを感じつつも、全体的にはほろ苦くて、切ない印象が強いかな。

私は夫婦でこの映画を土曜日の午後に見たのだが、観客の年齢層はかなり高かった。見渡すとシニアばかり。シニアの間で口コミ人気でも広がっているのか?シニアの眼にはどう映ったのだろう?樹木希林の言動に納得したり、溜飲を下げたりしたのだろうか?

【どうしても気になった些細な事柄】

80_4 ←これが、その証拠写真(笑)

高橋和也演じるYOUの夫が義母におべんちゃらを使いながら、子供たちと台所で麦茶を飲むシーン。麦茶をゴクゴクと飲んでいる間ずっと冷蔵庫が開けっ放しなのだ。おいおい電気代の無駄だ、と思わず突っ込んでいる自分がいた。たぶん、婿のいい加減な性格の一端を示す描写なんだろうけれど。是枝監督、芸が細かいと言うか、人間観察が嫌らしいくらい鋭いと言うか…



◆『歩いても歩いても』公式サイト:
www.aruitemo.com/

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おくりびと 【第81回米アカデミー賞外国語映画賞受賞!】

70_3 人は誰でもいつか
おくりびと
おくられびと…

見終わった後、このコピーが心の中で何度もこだました。自身の親が老い、友人の中には既に親を見送った者も少なくない年代であるがゆえに、身につまされる物語だった。死は見えないだけで、実は日常と隣り合わせに存在する。愛する者、身近な者の死にどう向き合うか?死者をいかに見送るか、否応なく考えさせられる作品である。

最近義父を見送ったと言う友人との鑑賞。突然旅立ってしまった義父の葬儀は、身内の戸惑いと混乱の中、その殆どが葬儀社任せで執り行われたと言う。この物語の核を成す”納棺師”とは、特に儀式を重んじる地方では独立した職業なのか?私はその存在をこの映画で初めて知った。

愛する者の死に直面して、悲嘆と戸惑いで心が千々に乱れんばかりの遺族の前で、納棺師は死者の体を拭き清め、死装束を整え、美しく死化粧を施して、棺に納める。その厳かな儀式は、悲嘆にくれる遺族の心を癒し、死者との穏やかな別れを演出する。

納棺師を演じる山崎努と本木雅弘の所作が美しい。特に本木はテレビ番組等での露出が少ないせいか、その端正な顔立ちと相俟って、俗世間とは一線を画したかのような品の良さが滲み出て、この作品の品位を高めているように見える。

この作品の中で、私たち鑑賞者は、実に多くの死者の納棺に立ち会うことになる。死者の年齢層も人となりも幅広く、一口に納棺の儀式と言ってもその様態はさまざまだ。目前で悲喜こもごもののドラマが展開し、中にはきれい事では済まないケースもある。これは、なかなか興味深い”体験”であろう。

同時にこの映画はひとりの人間の成長物語でもある。失業をきっかけに故郷に戻り、意外な形で納棺師の職を得た主人公が、その特異な職務に当初は戸惑いつつも、真摯に取り組み、経験を重ねる内に、職業意識に目覚めて行くさまが丁寧に描かれている。

ややもすると納棺師は「人の死を飯の種にしている」と蔑まれがちである。しかし、誰かがやらねばならない仕事であり、死者との別れを告げるプロセスの中で、その職務が果たす役割はけっして小さくない(生活の”穢れ”の部分を引き受けてくれる、と言うことで高報酬でもある)

どんな職業であれ、人は職務に真摯に取り組むことで、結果的に人々の偏見を払拭し、自らの仕事に、人生に、誇りを持って生きていけるのかもしれない。

さらにこの作品は、主な舞台となった庄内地方の四季折々の風景の美しさと共に、夫婦愛、親子愛、そして故郷の人々の温かさと、みどころは尽きない。細かな点では辻褄の合わない部分もあるが、その欠点を補って余りあるほどの素晴らしさが、この作品にはあると思う。

◆『おくりびと』公式サイト:http://www.okuribito.jp/

【本作が世界でも認められました!】

◆モントリオール国際映画祭グランプリ受賞!:http://movies.yahoo.co.jp/m2?ty=nd&amp;id=20080903-00000972-san-ent

【2008.09.17追記】

試写会を見てから3週間が経過して感じたこと。

「おくりびと」は素敵な映画だと思う。新人納棺師の成長を通して、「死」の厳粛さと同時に「生」の尊さを教えてくれる、とでも言おうか。でも最近ちょっと騒がれ過ぎ(モックン、テレビに出過ぎ、しゃべり過ぎ(^_^;))…できれば静かにしみじみとみたい作品だ。

脚本が「料理の鉄人」のシナリオを書いていた小山薫堂という人らしく、物語は「死」を扱いながらもクスッと笑えるようなシーンもあり、けっして湿っぽくない。特に食事シーンは、納棺(”死”出の旅立ち)とは対極の”生”の悦びを描いて出色だ。小山薫堂ならではの拘りが、そこに見て取れる。

出演陣も各自キッチリ自分の仕事をしているのが小気味よい。しかし、広末涼子はどちらかと言うと苦手。今回のキャスティングはどうなんだろう?彼女の生活感のなさが、今回のような作品ではどう作用したか、評価は分かれるだろう。何れにしても山崎努とモックンの存在感が圧倒的なので、彼女の影は薄い。妻役が広末涼子である必然性はなかったような気がしないでもない。

【2008.09.23 追記】

夫にも是非見て欲しかったので、秋分の日、夫婦50割引で見て来た。2度目は映画館の完璧なスクリーン、音響で見たこともあり、感動は倍加したように思う。試写会で初めて見た時に気になったところが全て気にならないほど、今回は作品世界に浸れた。庄内地方の風光明媚な景色の中で奏でられる、たおやかなチェロの調べが、すごく心地良かった。改めて人の絆の温かさが心に沁みた。自分の身近にいる人を、もっと大事にしたい、と思った。

以下はネタバレにつき…




【ふと、目に付いたところ】

同級生の母親で、昔なじみの銭湯のおかみさん役の、吉行和子の(特殊メイクかもしれないけれど)アカギレの手。銭湯一筋に懸命に生きた証のようで、印象的だった。

【夫婦の絆】

妻の不在中も主人公は結構楽しそうだった(特に食事のシーン。小山薫堂ならではの拘りか?)のがチョット引っかかる(笑)。本当に「妻がいないと駄目」なのか?何だか説得力に欠けるなあ…妊娠の時期もいつだったのか?一冬不在だった割にはお腹の膨らみが…計算が合わないぞ~?!

【確かに名人芸なんだけれど…】

笹野高史はこのところ露出が多過ぎて、その演技に(自他共に認める演技力に自身で酔ってはいないか?)、私は素直に感動できなくなっているような気がする。名バイプレーヤーとして重宝がられるのも、良し悪しなのかもしれないなあ…どんな役もそつなくこなしてしまう器用さが、却って仇になっているようにも見える。好きな俳優だけに、ちょっと残念(←でも2度目の時は素直に感動できた) 。

50_6

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ぐるりのこと。

70人は人によって傷つけられ
人によって救われる

私たち夫婦とほぼ同時期に結婚生活をスタートさせた一組の夫婦の、10年間に渡る絆の物語。それは必ずしも順風満帆なものではない。新たな家庭を築く過程での心を通じ合えないもどかしさや(それはそうだ。元々異なった環境で生まれ育った他人同士なのだから)、埋めようのない喪失感に心を病む苦しさや、その苦しみや哀しみを分かち合う優しさ、そして固い絆によって立ち直る人間の心のしなやかさが、丁寧に、繊細に描かれている。ひとつひとつのエピソードが、二人の台詞が、その表情が、心に染み入るようだった。思わず自分たちの10年と重ねて見入ってしまった。見終わった後、自分自身の”平凡な日常”に愛おしささえ感じた。

40_2被告の罵詈雑言に
思わず絵筆を持つ手が止まるカナオ


映画は、法廷画家を生業とする夫の目を通して、その10年の間に起きた様々な凶悪事件の公判の様子も伝える。すべてフィクションの体裁を取りながら、実際に起きた事件を容易に連想させる描写になっていて、改めてそれぞれの事件の不条理に愕然とさせられた。

並行して描かれる、ある夫婦の10年と凶悪事件が次々と起こる世相の10年。原作・脚本・編集・監督を一手に担った橋口亮輔監督の意図するところは、世の中でどんなことが起ころうとも、どんなに荒んだ状況にあろうとも、個人のささやかな営みはそれらに影響されることなく連綿と続くものであって欲しい、と言う願いなのだろうか?

人は弱くて強い…一見矛盾するようで、実は人の在りようを言い得ているような気がする。その弾力性に富む心は、たとえ人に傷つけられ一度は閉ざしたとしても、再び人を受け入れ、再生する。その力を信じたい。そうした希望を託したこの作品は、世の荒みに恐怖する人々を癒し、励ます存在になると思う。6年間のブランクを経て(この間、監督の身にはさまざまなことが起きたようですが、それが血肉となった結果の本作ですね。人間転んでもタダでは起き上がりません(笑)。監督自身にとっても本作の制作は「再生の物語」だったのでしょう)、橋口監督はとても素敵な贈り物を世の人々に届けたものだと思う。感謝。

50_2 再び絵筆を取る翔子

【ぐるり】自分の身のまわり、自分をとりまくさまざまな環境

【俳優陣のこと】
これが映画初主演と言う木村多江とリリー・フランキー。二人の演技とは思えない自然体が、普通っぽさが、作品を我がことに引き寄せて見られる効果を生み出しているように思う。この二人を主演に起用した時点で、この映画は8割方(って数値には根拠はないです)成功したと言って良いのかもしれない。木村多江の清楚な、”和”な美しさ(特に二の腕が美しい)は得難いものだよなあ…最近の報道によれば、2月に第一子を出産した彼女は、切迫流産の為に8カ月もの間入院したのだとか。プライベートでは大変な思いをされていたのだね。どうぞ、お大事に。またリリー・フランキーの近年の活躍には眼を見張るものがある。「ココリコ・ミラクル」では下ネタ、エロ・ジョーク連発で、どう見てもヘンなオヤジだったが、その実、撮影中監督を最も励まし、支えた人物と橋口監督が告白したこともあって、私の中でリリー株は上昇中(笑)。脇を固める倍賞美津子や寺島進、榎本明、寺田農らベテラン勢も、それぞれの役に期待通りの堅実な演技で実在感を与え、映画の質を高めてくれたように思う。

【自分に引き寄せて考えると…】
生真面目さ、几帳面さは、周りの人間に圧迫感を与えるだけでなく、時として自らを必要以上に縛り、行き過ぎると自らの首を絞め、自らを追いこんでしまう。「もっとゆる~く生きようよ」「もっと大らかに生きようよ」と、リリー・フランキーの存在自体(それはあくまでもコチラが勝手に抱いているイメージなんだけれども)が、演技を超えて語りかけて来るような気がした。ねぇ、聞いてる?Yちゃん。

何があっても壊れない絆…
50_5 『ぐるりのこと。』公式サイト:http://www.gururinokoto.jp/

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2008年公開映画作品Hanako的総括

50 先日、改めて昨年映画館で見た映画の本数を確認したら90本だった。体調不良で一時期見られなかったのに、年間を通しては結構な本数を見たのだなあと我ながら驚いている。もちろん、映画フリークを自称される方々の本数には到底及ばないけれど、「主婦業そっちのけで映画を見ていたのか」と夫には怒られそうだ~(^_^;)。

既に周知の通り、老舗映画情報誌『キネマ旬報』で、恒例のベスト・テンが発表された。某アカデミー賞より、こちらの方がどう見ても映画の作品としての”質(出来?)”を的確に反映しているように見える。

ランキングで、赤字表示となっているのは私も見た映画。さらにアンダーラインが引いてあるものは、このブログ内にレビューが存在する。興味を持たれたなら、カテゴリーの「映画(2008年)」を参照されたし。意外にも私は洋画のレビューを殆ど書いていないんだなあ…洋画は邦画と違って、記事を書くに当たって調べなければならない事柄が多いので、ついつい書くのが億劫になっているのかもしれない。これではあきまへんなあ。映画をきっかけに見聞を広げることが、映画を見る目的のひとつでもありますから。今年は時間と体調の許す限り、頑張って書き綴って行こうと思う!

【邦画】

1位)おくりびと 
2位)ぐるりのこと。 ←私の中では邦画ベスト1!shine
3位)実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
4位)トウキョウソナタ
5位)歩いても 歩いても 
6位)闇の子供たち
7位)母べえ
8位)クライマーズ・ハイ
9位)接吻
10位)アフタースクール

【洋画】

1位) ノーカントリー 
2位) ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 
3位)ダークナイト 
4位) イントゥ・ザ・ワイルド 
5位) ラスト、コーション
6位) イースタン・プロミス
7位) その土曜日、7時58分
8位) エグザイル/絆
8位) つぐない
10位) チェチェンへ アレクサンドラの旅

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【MY BEST MOVIES】

一般的な映画評は別として、私なりに印象に残った作品、感銘を受けた作品、考えさせられた作品は以下の通り。基本的にもう一度見たいと思う作品かな。タイトルの後に、ひとことコメントをつけてみた♪上記に同じく、アンダーラインの引いてあるものは、このブログにレビューが存在している(一部まだ未up)。

《邦画》

1位 ぐるりのこと。:人の脆さと強さ、人の絆の強さと深さを改めて教えられる
2位 おくりびと:納棺師の仕事を通じて知る、人の”死”の厳粛さと”生”の尊さ
3位 歩いても歩いても:家族の誰に自分を投影するかで、印象が大分変わる作品
4位 アフタースクール:騙される快感、と言うものを初めて知った。温もりもある
5位 接吻:社会の片隅で顧みられることなく生きる人間の哀しみを小池栄子が好演
6位 しあわせのかおり:グルメ映画であり、再生の映画でもある
7位 天国はまだ遠く:とにかくチュートリアルの徳井がいい味出している
8位 落語娘:男社会で奮闘する落語娘が健気。主演のミムラの清潔感が好ましい
9位 闇の子供たち:いろいろ物議を醸したが、見る価値はある。特に買春問題
10位 ハッピー・フライト:飛行機一機飛ばすのに、何と多くの労力が費やされていることか

惜しくも選外だけれど、『グーグーだって猫である』『百万円と苦虫女』『母べえ』『イキガミ』『トウキョウソナタ』『ホームレス中学生』『うた魂』『デトロイト・メタル・シティ』も良かった。その良さというのは、俳優の”好演”や”素の魅力”であったり、作品の時代批評精神であったり、人間の普遍的な在り方を描いた点であったりする。いずれにしても、洋画より邦画の方が今年も見応えがあったように思う。今年度は未曾有の不況で映画製作にブレーキがかかるだろうとの不穏な予測が出ている。こんな時こそ、国を挙げて、文化保護の一環で映画を守るべきだと思う。人はパンのみで生くるに非ず。

《洋画》

ランキングをつけるのが難しい。特に印象に残ったものを公開順に列挙してみる。何せ見た数が多いので、10では収まらない。

1)アメリカン・ギャングスター: リドリー・スコット×デンゼル・ワシントン×ラッセル・クロウ=見応えある男のドラマ
2)ラスト、コーション:大胆な性描写ばかりが取り沙汰されたが、激動と緊迫の時代描写も秀逸
3)潜水服は蝶の夢を見る:実話に基づく物語。人の生き様について考えさせられる
4)君のためなら千回でも:戦争で最も傷つくのは、いつも子供達=その国の未来
5)ペネロピ:豚の鼻を持って生まれた女の子の幸せ探しの行方
6)バンテージ・ポイント:ひとつの場面を様々な角度から見せる演出手法が面白い
7)ノーカントリー:有無を言わせない暴力の恐ろしさ
8)つぐない:少女の嘘が人の運命を狂わせる。その罪を贖うことはできるのか?
9)フィクサー:”もみけし屋”にも五分の魂、もとい五分の正義感?
10)ゼア・ウィルビー・ブラッド:ダニエル・デイ・ルイスの熱演で描く山師の血塗られた生涯
11)マンデラの名もなき看守:崇高なマンデラの精神に感化される、ある看守の物語
12)幻影師アイゼンハイム:エドワード・ノートンファンには嬉しい彼の主演作
13)パリ、恋人たちの2日間:米仏カップルの恋の顛末。とにかく二人の会話が楽しい
14)イースタン・プロミス:ヴィーゴ・モーティンセンの体を張った熱演。ロンドンのロシアン・マフィアの恐怖
15) インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国:なんと言っても19年ぶりですから…
16)奇跡のシンフォニー:”やはり血は争えない”~奇跡の子供の物語
17)ドラゴン・キングダム:意外にも初”競演”のジャッキー・チェンとジェット・リーの「孫悟空」
18)旅するジーンズと19歳の旅立ち:成長した4人の女の子達の旅立ちの物語
19)ダークナイト:アメコミが深遠なるドラマに。ヒース・レジャーの怪演が印象的
20)アクロス・ザ・ユニバース:ビートルズ・サウンズで綴る青春物語
21)落下の王国:物語の流れより、映像美、世界各地の風景も楽しめる
22)ウォンテッド:新感覚の映像美に度肝を抜かれる。しかし物語は陳腐かな?
23)アイアンマン:意外に面白いんだな、これが。ものづくりのワクワク感を追体験
24)宮廷画家ゴヤは見た:とにかく、こんなに沢山のゴヤの絵を見たことがない
25)僕らのミライへ逆回転:低予算でSF大作も作っちゃった。皮肉?それともオマージュ?
26)P.S.アイ・ラブ・ユー:こんな愛情の表現の仕方もあるのね、と知った。
27)ブーリン家の姉妹:歴史の陰に女の野望あり。若手女優の競演も見応えあり
28)ブロードウエイ~コーラスラインへの道:ブロードウエイを目指す俳優達の奮闘は涙あり、感動あり
29)レッドクリフ1:まだまだ本編には到達せず。これは前哨戦の物語なのだ
30)ダイアリー・オブ・ザ・デッド:描いているのは、無責任な主観情報氾濫への警鐘?
31)WALL・E:ピクサー・アニメのひとつの到達点?壮大な宇宙空間の描写は必見!
32)ザ・ローリングストーンズ・シャイン・ア・ライト:ロックは年齢を超越する?!もう化け物に近い!
33)ワールド・オブ・ライズ:諜報戦は騙し合い。中東の緊張は今も続く。
34)ラースとその彼女:好青年ラースの心の成長を描く、スモール・タウン・ムービー
35)永遠の子供たち:失踪した我が子を捜す母が最後にたどり着いた場所は…

リストアップしながら、それぞれの作品について思い出した。私の拙いひとことコメントで、どれだけ、その魅力が伝わるのだろうか?昨年は時間的・精神的余裕がなくて、レビューを書き損ねた作品は多い。今年はできるだけレビューを書いて行きたい。

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子どもに育てられる

最近は一般人でも「でき婚」(所謂、妊娠をき っかけに結婚すること) は珍しいことではないが(実際私の2人の妹もそうだったし(^^;))、若い芸能人カップルの結婚には、特にこのケースが多いような気がする。個人的には若いカップルが二人の絆を深める間もなく、親になる心の準備もないままに妊娠して、一度に結婚生活と親業を始めることには、その継続に懸念を抱いている。印象として「でき婚」カップルは、そうでないカップルに比べ離婚率も高いように思うのだが、実際のところはどうなのだろう?

以前、「でき婚」後ほどなくして離婚してしまったアイドル歌手、今井絵理子について、批判めいた記事を書いたことがある。その今井絵理子は昨秋、10年近く休止していた所属グループ「SPEED」の活動を再開させた。そのきっかけのひとつは、今4歳になる息子が生まれながらに聴覚障がい者であることを公表したことだった。2009年2月3日(火)付日経夕刊の「子どもと育つ」と言うコーナーに、その彼女へのインタビュー記事が掲載されていた。彼女の人間としての成長が滲み出た内容で、私は素直に感銘を受けた。子育ては人を成長させてくれるものなのだなあ…と改めて思う。以下はその記事の抜粋(漢字表記は記事の通りに)

生後3日目で障害が分かった時は、涙ってこんなに出るのかというくらい泣いた。でも翌日には、どう育てていくかと頭を切り換えた。今、笑顔でいられるのは、その後に出会った母親仲間のおかげ。子育てで一緒に悩み、考えられるようになったからだ。

◆元々自分は人見知り。息子が生まれてくれたからこそ、人と人のつながりの大切さを学ぶことができた。今は自分が励まされたように、母親仲間を「独りじゃないよ」と励ましてあげたい。息子が私を母親に選んだのは、この役割を与えるためだったのではと思っている。

◆一番辛かったのは2歳の頃。息子が言いたいことをわかってあげられない。息子ははがゆさから、かんしゃくを起こしていた。でも、二人で手話を習い始めてからはうまくいくようになった。(中略)こちらも一生懸命勉強して、彼の思いを受け止めないといけない。

◆手話では表情も大切。息子は耳が聞こえない分、目でたくさんのことを感じている。だから、いつも息子と同じ目線で表情を見せる。どんなに仕事でストレスが溜まっていても、彼にはしかめっ面は見せない。(後略)。

◆(前略)彼には「聴覚障害はあなたの個性。不便ではあるけど不幸ではない」と伝えていきたい。人一倍努力しないといけないだろうが、その分、楽しみや喜びも多く感じることができるはず。私自身の後ろ姿で、そのことを伝えたい。

今は彼を授かって本当に人生で得をした気分。昔は想像もしなかったことを学べるし、より多くの喜びや悲しみも味わえる。沖縄には「なんくるないさぁ」という方言がある。どうにかなるさという意味だ。私はこのプラス思考を両親から受け継いだ。彼にも「何事もなんくるなるさぁ」の精神を伝えていきたい。

私は叔母のひとりが知的障がい者で、一時期一緒に住んだこともあったので、障がい者は身近な存在だった。しかも現在は障がい児も健常児と共に義務教育を受ける統合教育が一般的にもなっているので、子ども達にとっても障がい児はけっして遠い存在ではないし、息子たちを見ても互いの違いを受け入れて共に育っているのを感じる★1(←但し、その為には学校側の細心のケアが欠かせない)。もちろん障がいの程度に応じて、相応の専門的教育を受ける体制も整っていることが前提だ。

それでも一部の母親には未だ偏見が残っていて、徒にその存在を恐れたり、煙たがったりする人もいる。ある人は「障がいを持って生まれたお子さんは、自分達の子どもに成り代わって障がいを引き受けて生まれてくれた有り難い存在」というような発言をされていたが、これはこれで、健常児の親としての傲慢な発言とも受け取れて(けっして悪気はないんだろうけれど、何だか障がいを得たことが”外れクジ<当たりクジ?>”と言っているようにも聞こえて)、私は素直に頷けなかった。

今井絵理子さんは、何より息子さんのありのままを受け入れ、息子さんを通して多くのことを新たに学んだだけでなく、溢れるような感謝の思いで日々を生きながら、多くの人々に対して力強いエール(応援メッセージ)を送っていることが素晴らしいと思う。彼女の歌手活動を通じて、中学生の頃からの彼女を知っているが、立派な大人になったなあ、頼もしい母親になったなあと、その成長には感慨深いものがある。その成長を促したのは他でもない、聴覚障がいを持って生まれた息子さんとの出会いだろう。その意味では、彼女の「でき婚」にも大きな意味があったのだろう。人生で経験することに無駄なことはひとつもないのだと、彼女の人間的成長を目の当たりにして、改めて思い知らされたような気がする。

★1 以前、テレビでボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に自宅が砲撃を受け、大やけどを負った少女が日本のNGOの援助で度々来日し、手術を受けているレポートを見た。その中で戦争の惨禍を訴えるために小学校を訪問するシーンがあったが、そこでも大やけどの後遺症で容貌に損傷のある(何度かの手術でだいぶ改善はされている)彼女を見た小学生は「気持ち悪い」「怖い」と言う容赦ない言葉を初対面で吐きながらも、一度うち解けて(=受け入れて)しまえば、彼女と屈託なく楽しげに会話していた。「子どもとは、そんな存在なのです」と付き添いのNGOの女性も、偏見に囚われない子どもの鷹揚さ、柔軟性を称えていた。だからこそ、子ども時代にさまざまな経験、見聞を通して視野を広げることは大事なんだと思う。

【追記】

彼女が息子さんの聴覚障害を公表したのが日テレの番組「24時間テレビ」中であったことを私は知らなかったが、その際に賛否両論あったことも知らなかった。ネット上のコメントを見るとかなり激しい批判もあったが、どんな言動であれ、さまざまな考えの人々がいる以上、多少の批判は避けられないことだろう。

しかし一方で、彼女を全否定するかのような批判には違和感を覚える。人間は自覚的に生きることによって絶えず成長することができる存在だと思うからだ。彼女の過去の言動だけを見て、現在の彼女を批判することに何の意味があるのだろうか?彼女の人生において、彼女の過去の過ちを引き受けるのは彼女自身である。そのことによって、第三者が不利益を被るとは考え難いが(だから、激しい批判に違和感を覚えるのだ)、息子さんの方は少なからず影響は受けるだろう。しかし、それが親子関係でもある。否応なく親と言う存在に振り回されるのも、子どもの運命のような気がする(だから、何でこんな親のもとに生まれたんだろうと悩むことになる)。誰しも自分自身を振り返れば、その点について思い当たることがあるのではないだろうか?

そもそも完璧(完全無欠)な人間なんていないはずだ。その完璧でない人間が他者を批判することは、かなり高いハードルをクリアして初めて可能なことなのではないだろうか?(って私が言うのも何だけど…まあ批判というより、人のフリ見て我がフリを直すというスタンスです)そうでなければ、ただのイジメでしかないような気がする。他者を批判する前に、自分自身がそうするに値する人間なのか、常に自問する必要があるのかもしれないなあ…と自戒を込めて、ここに書き留めておきたい。

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