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2009年1月

『リトル・ミス・サンシャイン』(米、2006)

走り乗れっ、ポンコツ・ワゴンへ!
Photo_2
「市場原理主義」とか、「成果主義」とか、「勝ち組」とか、「負け組」とか、イイ加減疲れませんか?今の世の中!

そんなに常に競争にさらされて、精神的に緊張を強いられ、たとえ努力して、運にも恵まれ、勝ち馬」に乗れたとしても、それが未来永劫保障されるわけでもなく、自分の努力の甲斐もなく転落することもあるわけで…長らく農耕文化で、互いに助け合うことで生きて延びて来た大多数の日本人には、今はかなり辛い世の中になっていると思う(こう書くと、自ら「負け組」宣言しているようなものだね・苦笑)

自分が生き抜くことに精一杯だから、人々の心から他人を思いやる余裕さえ失われつつある。思えば戦後最も物質的には豊かであるはずなのに、すっかりギスギスした世の中になってしまったものだ。

単に「弱肉強食」「自然淘汰」なら、そこいらの動物と何ら変わりないじゃないないか?否、寧ろ今の人間の強者は、自然界に生きる動物達より弱者には情け容赦ない。某日「NHKスペシャル」では厳しい自然環境の中で、動物達が懸命に助け合う姿が映し出されていた。南極ではブリザード吹きすさぶ零下60度の中、100匹以上のオスの皇帝ペンギンがハドルと呼ばれる体勢でひと塊になって体を寄せ合い、孵化前の卵をお腹で温めていた。北極では麝香牛の群れが、その幼子を円陣で囲って狼から守っていた。彼らは皆、自分達の種を絶やすまいと必死の行動をとっている。

それからしたら、今の日本人は種を絶やさんばかりに、大人が子供に対して虐待をしたり、暴行を働いたり、殺戮したり、助かる命をないがしろにして死に至らしめたりと、その行動からは種の保存本能さえ失われつつあるように見える。

しばしば言われていることだが、「映画は時代を映す鏡」。そして「社会の実相を描き出すキャンバス」でもある。この映画が作られた背景には、「市場原理主義」「成果主義」「勝ち組」「負け組」の本家本元の米国でも、その熾烈な競争社会に異を唱える人々の声が大きくなったことがあるのだろうか?そもそも一握りの「勝ち組」に対し、大多数の「負け組」である。小さな声も数が集まれば大きな声になるはず。

本作は、その米社会で「負け組」に位置する家族の物語。

Photo_3 ビューティ・コンテスト優勝を夢見る7歳の少女オリーブ。ちょっと太めな体型で、大きな眼鏡がちょっとダサイ。しかし心優しく愛らしい彼女の、「リトル・ミス・サンシャイン」コンテストへの”棚からぼた餅”的本選出場が決まったのを機に、崩壊寸前の「負け組」家族の再生物語が展開して行くのだ。

人生で「勝ち組」になることに大きな価値を置くオリーブの父親。自らが編み出した「成功のステップ」論の出版化で一攫千金、社会的名声の獲得を目論んでいる。常に彼の口をついて出るのは「勝たなきゃダメなんだ」。しかし自ら、その成果を体現していなければ、立派な理論も説得力を持たない。

他に、老人ホームを追い出されてしまった好色家の祖父。学者としては一流ながら、抜き差しならぬ事情で、一家と同居することになった叔父(母親の兄)。願掛け?に、自室内で体を鍛えながら「無言の行」を何ヶ月も続けている15歳の兄。そして、こうした個性的な面々を愛情と忍耐でかろうじて束ねている母親、という面々。

Photo_4 「負け組」とは言え、写真の室内、そんなにみすぼらしくもない。しかし、やっぱり気になったのは家族の夕食の場面。う~ん、これは侘びしいぞ。テイクアウトのフライドチキンと野菜サラダにスプライトなんて。「食」に貧しさが顕われている(その昔読んだ桐島洋子の『淋しいアメリカ人』中の、マクドナルド創業者宅の冷蔵庫についての言及がふいに思い出された。その中は、マクドナルドの店舗で提供される商品の栄養バランスとは対極の、豊かな食材に溢れていたのである。「食」は本当の意味での「豊かさ」の指標なのかもしれない)

一家はカリフォルニアのビーチサイドにあるホテルのコンテスト会場を目指して、アリゾナの自宅からポンコツ車を走らせるのだが、道中でさまざまな出来事に見舞われる。その出来事のひとつひとつに涙と笑いとペーソスがあって、最後まで目が離せない。 

いわゆるロードムービーなのだが、愛情の深さは人のどのような振る舞いに顕れるのか、人間にとって何が本当の幸せなのか、旅路でのハチャメチャな家族の一挙手一投足に、時には笑い声をあげながら、教えられたような気がした。数年前に起きた「ジョンベネちゃん殺害事件」を思い起こさせる過熱ぎみとも言える美少女コンテストへの皮肉もたっぷり効いて、「勝ち組」「負け組」という括りのバカバカしさ、虚しさが感じられた一家なりの幸福な結末?が後味爽やかだった。

◆映画『リトル・ミス・サンシャイン』データ:http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=326063

◆リトル・ミス・サンシャイン公式サイト:http://movies.foxjapan.com/lms/

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ダーウィンの悪夢(2004年、仏、オーストリア、ベルギー合作)

Photo 以前、沖縄の某観光施設で「ハブとマングース」の決闘ショーを見たことがある(映画『007 カジノ・ロワイヤル』でも確か「コブラとマングース」の決闘シーンがあった) 。マングースは外来種で元々沖縄には生息していなかったのだとか。ハブ駆除に役立てようと外から持ってきて、ハブの生息する山野に放ったのだろうか?

今しがたNHKのラジオニュースで、沖縄本島北部にのみ生息する特別天然記念物ヤンバルクイナが絶滅の危機にあると伝えていた。なんと、その原因はマングースだという。自然界は弱肉強食。マングースも毒を持ったハブを襲わずに、動きがトロいヤンバルクイナを狙うということなのだろう。人間が余計なことをすると、ほぼ間違いなく生態系を壊す、悪しき事例のひとつと言えるのかもしれない。

日経夕刊の《シネマ万華鏡》でも『ダーウィンの悪夢』というドキュメンタリー映画のレビューで同様のことが書かれていた。かつて「ダーウィンの箱庭」と呼ばれた自然豊かなアフリカ・ヴィクトリア湖に、半世紀前に人間が安易に外来種の肉食魚を放ったが為に、湖の生態系を破壊してしまったというのだ。

さらに皮肉なことに、この魚の白身をヨーロッパや日本が大量に購入する為、湖畔には一大加工産業が生み出されたと言う。映画は現地でさまざまな人々を対象にインタビューを重ね、「豊かな資源に恵まれながら貧困にあえぐ現地の人々の姿」を描き出しているらしい。記事の見出しには「グローバル化の痛み」とあり、「市場経済の拡大によるグローバリゼーションが、貧富の差を世界に拡大した」「その象徴がアフリカである」と述べている。

映画『ナイロビの蜂』『ホテル・ルワンダ』のことがにわかに思い出された。「湖に外来種を放ち生態系を破壊」と言ったら、琵琶湖のブラックバス問題も思い出される。

この種の、世の不正・不条理(特に「南北問題」)を告発するドキュメンタリー映像を目にするたびに、極東アジアの小国ながら、先進国かつ経済大国として位置づけられる”日本”に生まれ育った自分が、”搾取する側”にいることを、否応なく意識せざるを得ない。見終わった後に、どこか後ろめたい罪悪感のようなものが、心の澱となって残る重苦しさはどうしても否めない。

本作でも、同様の後味の悪さは残る。かつて短い期間ではあったが、国際協力事業の末端にいて、世界の50カ国余りの開発途上国の人々と関わりを持ち、さらにそこから離れた後も、彼らのこと、彼らの国のことを忘れまじと、国際援助団体フォスター・プランに参加し、10年間、アフリカのケニアとアジアのスリランカの子供のフォスター・ペアレントとして幾ばくかの援助をして来たことが、単なる自己満足や欺瞞や偽善に思えて、胸が苦しくなった。そうやって自分は「”いい人”ぶっているだけなのかもしれない」「罪悪感から逃れたいだけなのかもしれない」国家単位で考えても、同じことなのではないだろうか?

【お断り】

誤解を招く恐れがあるのでここで一言書き添えますが、ここでの発言はフォスタープランの活動を否定するものではけっしてありません。本作を見て、その圧倒的な悲惨さの前に衝撃を受けて、自分の行為にどれだけの意味があったのか、自問せざるを得なかったのです。もちろん何もしないより、微力でも何かをした方が良いのです。同じ人間として一番の罪深いのは、この地球上のどこかで、どれだけ悲惨なことが起きているのか知らないこと、知ろうと努力しないことだと思います。無関心は罪です。恵まれた境遇にある先進国の人間は、「誰を踏み台にしてその豊かさを享受しているのか」を知るべきなのだと思います。

最近巷間を賑わせている洋菓子メーカー「不二家」の問題。一部工場における原材料の消費期限を無視しての使用、製造商品のズサンな管理体制など、その呆れた実態が次から次へと明るみに出ている。発端の消費期限切れ原材料使用問題は、あくまでも問題の端緒でしかなく、問われているのは、消費者不在の金儲け主義という「不二家」の企業体質そのものなのだろう。社員が外部へ内部情報をリークせざるを得ないほどの病巣が会社を蝕んでいたということなのだろうか?しかし、こうした「食の安全」という先進国では一大事な事柄が、アフリカの各地で起きている、より醜悪で悲惨な状況の前では、色褪せて見えてしまう。右往左往する様は滑稽ですらある。

本作で、EUや日本向けに輸出された白身魚の残骸を干す作業をしている痩せこけた女性の足下をよく見てみたらいい。無数のウジ虫がウジャウジャと、その指の間を這っている。そして加工後の(ウジの湧いた)白身魚の残骸は捨てられるのではなく、アフリカの貧しい人々の胃袋に納まるのだ。

人は自分の身に思いがけず災難や不幸が降りかかった時、自分が”世界一不幸な人間”だと思いがちだ。”自分だけが不幸”で、周りの人間の幸福そうな姿がうらめしく思えたりするものかもしれない。しかし、実際には”不幸”は巷に幾らでも溢れかえっている。悲惨な状況は、世界を見渡せば私達の想像を絶するものが幾らでも存在する。そこには涙も枯れ果て悲しむことすらできない、ましてや明るい未来を夢見ることなど叶わない、無数の人々がいる。そして負の連鎖はさまざまな形で世界に蔓延している。

本作は2005年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、その際には映画祭側が用意した字幕での上映だったそうだが、配給会社は一般公開にあたって改めて字幕を作り直したらしい。それは本作で言及した問題が遠いアフリカの出来事ではなく、日本人とも深い関わりがあることを実感できるようにとの配慮からだと言う。果たしてどれだけの人々が、映画館に足を運び、お金を払って、この映画を見てくれるのだろうか?作り手や映画に登場した人々の真摯な思いは、できるだけ多くの日本人に届いて欲しいのだが…

【世界の過酷な現実を見せてくれる最近の映画たち】

『ホテル・ルワンダ』(ドン・チードル主演)
『すべては愛のために(Beyond Borders)』(A・ジョリー主演)
『ザ・インタープリター』(ニコール・キッドマン主演)
『イノセント・ボイス~12歳の戦場』(カルロス・バディジャ他)
『ロード・オブ・ウォー』(ニコラス・ケイジ主演)
『ナイロビの蜂』(レイフ・ファインズ主演)
『シティ・オブ・ゴッド』

(時制は2007年1月当時)

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