映画(2008年)

君のためなら千回でも(原題:The Kite Runner)

60_5 絶妙なチームワークを見せる
ハッサンとアミール
2008年2月は『アメリカン・ギャングスター(American Gangster)』『ラスト、コーション(Lust,Caution)/色・戒』、そして表題の『君のためなら千回でも』と立て続けに見応えのある作品に出会えたことが嬉しい。

どの作品もそれぞれに印象深く、自分なりに思うところがあるが、今日はTV放映録画で見たペドロ・アルモドバル脚本・監督、ガエル・ガルシア・ベルナル(『モーターサイクル・ダイアリーズ』)主演の『バッド・エデュケーション(原題:LA MALA EDUCACION、英題:BAD EDUCATION、2004、スペイン)』と絡めて、表題作品について感じたことを書こうと思う。


戦争の最大の被害者は子供たち、即ち、その国の未来である

まず表題作でアフガニスタンのここ30年の歴史を、私は登場する少年達の辿った運命を通して見ることになったのだが、見終わると悲しくてやり切れない気持ちでいっぱいになった。冒頭、大空を舞う無数の凧(互いの凧の糸を絡ませ、相手の糸が切れるまで戦う勇壮な凧揚げのシーンは見もの!”ケンカ凧”と言うそうな。二人一組で戦うこの”ケンカ凧”。ひとりは巧みにたこ糸を操り、もうひとりは敗者の切れて落ちて行った凧を走って取りに行く。後者を”カイトランナー”と呼ぶらしい)に、30年前のアフガニスタンの自由の伊吹を感じるのだが、それも長くは続かない。ソビエトの侵攻、イスラム原理主義グループ、タリバンの台頭は、かつて「中央アジアの真珠」と呼ばれたアフガニスタンの様相を一変させたのだ。

40主人公アミールは裕福な家庭の子で、使用人の子ハッサンとは身分差を越えて友情を育んでいた。しかし、異なる民族(パシュトゥーン人とハザラ人)である二人の仲睦まじい関係をやっかむ者も中にはいて、そうした者達はことさら民族の優劣を言い立てては、特にハザラ人であるハッサンに辛く当たるのだった。そしてある日、二人の間に決定的な亀裂をもたらす事件が起きる。その後関係修復の機会もないまま、アミールは父と共にソ連軍侵攻のアフガニスタンから米国へと脱出する。

40_3それから20年以上の歳月が流れ、亡命先の米国で作家としての一歩を踏み出したアミールの元へ、アフガニスタンの隣国パキスタンから一本の電話が入る。「アフガニスタンに戻って来い」…20年ぶりの故国への旅は、アミールにとって懺悔と償いの旅である。故国に残して来た”大切なもの”を取り戻す旅。かつてのひ弱で卑怯な自分と対峙し、決別する旅でもあった。

さて、『バッド・エデュケーション』は現代スペイン映画界を代表する映画監督ペドロ・アルモドバルの自伝的作品らしく、彼が少年時代に過ごしたミッションスクールが舞台のひとつとなっている。何年か前に米国でカトリックの神父による少年への性的虐待が問題となったが、本作でもそれが重要なモチーフとなっている。監督の実体験をベースに虚実入り交じった物語なのだろうが、登場人物の痛々しさに心苦しくなることがしばしばだった(もちろん人によって、見方、感じ方はさまざまだろうけど)

神の御名において人間の正しい生き方を説く立場にある聖職者の、人道にもとる行為。それだけに衝撃的で倫理的に許し難い。それは『君のためなら千回でも』に登場するイスラム原理主義グループ、タリバンとて例外ではない。劇中、サッカー・スタジアムで衆人環視の中、姦通の罪に問われた男女の内、女性だけが石打ちの刑で殺害されるシーンがある。ことさらイスラムの戒律に厳しいタリバンが、一方で少年少女に性的虐待を加える。彼らの中でこのふたつは矛盾しないのか?神の前に恥じることはないのか?考えるだけで腹が立つ。

人はなぜ信仰を持つのか?より良く生きたい、人として正しく生きたいと思うからではないか?生き方の規範として神仏の教えを信じ、それに則って日々を過ごすことで精神的充足を得られるはずが、現実には、教義は宗派によりいかようにも解釈され、それが原因で宗派間の対立を招くことがある。行き過ぎた原理主義は人々を教義でがんじがらめにし、人々からあらゆる自由を奪う。世界各地の紛争原因の中にも宗教的対立が見え隠れしている。人々は信仰によって心の平安を得るどころか、苦しみ苛まれることも少なくない。でもこんなことを書くと、信仰の目的は現世的幸福の追求ではないと反論されるのだろうか?

『バッド・エデュケーション』『君のためなら千回でも』のニ作品を見て、どうしても宗教に対して懐疑的になってしまう自分がいる。宗教そのものより、それを信仰する人間の問題ではあるのだが、神により近いはずの人間がなぜ堕落するのか?神はなぜそれを止められないのか?敢えて止めないと言うのであれば、神はなんと厳しい試練を人間に課すのだろう。

邦題は劇中に二度登場する台詞。アミールとハッサンの固い絆を物語る言葉だ。「君のためなら千回でも」と叫んで、敗者の凧を取りに行く”カイトランナー”のハッサン。その後の”過酷な運命”を受け入れるしかなかった彼の生い立ちが哀しい。おそらく今も世界のどこかで、無数の”ハッサン”が苦難の人生を強いられているのだ。本作は”彼ら”の物語と言えるのかもしれない。

報道によれば、本作はアフガニスタン本国では上映禁止となったらしい(→http://www.varietyjapan.com/news/movie/u3eqp30000027w6z.html)。出演した少年達も、描かれた内容が内容だけにアフガニスタンにいづらくなり、米配給会社の保護の下(彼らが18歳になるまでの生活費を全額補助)、家族帯同でUAEへの移住を余儀なくされたと言う。映画出演によって結果的に故国を追われることになった少年達の行く末を思うと心が痛む。それともこの展開は彼らに幸運をもたらすのだろうか?(→http://www.cinemaonline.jp/bei_review/2007/092.php)  

◆『君のためなら千回でも』公式サイト:http://eiga.com/official/kimisen/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィクサー(原題:MICHAEL CLAYTON)

60_4これまで見たジョージ・クルーニー出演作の中では一番面白い。邦題は弁護士事務所で面倒な事案を処理する(劇中では度々”清掃人”と自嘲ぎみに自称している)”もみ消し屋”を意味する「フィクサー」となっているが、原題はクルーニー演じる主人公の名前である。 

 「フィクサー」と言ったら日本では”黒幕”的意味合いが強くて、私などコダマヨシオ、オサノケンジ、ササガワリョウイチらの名前が浮かんだりするのだが(因みにその中のひとりの下で運転手を務めていた人物は、今や大手芸能プロダクションの経営者で、芸能界では絶大な権力を持つらしい。まるで映画「アメリカン・ギャング・スター」を地で行くような人生だ)、他の弁護士や事務所の尻拭いをする汚れ役も意味するとは、この映画で初めて知った。確かに「マイケル・クレイトン」より「フィクサー」の方がキャッチーではあるが、しかし、案外ミスリードしちゃんだな、これが(笑)。

てっきりクルーニーの「フィクサー」としての活躍を描いていると思いきや、そうでもない。寧ろ映画の中で、彼はフィクサーとしては何ら効力を発揮していないのである。事務所の汚れ仕事を一手に引き受け、いいように使われている主人公が、私生活でもギャンブルと身内のトラブルで多額の借金を抱え、いよいよ追い詰められた時、同僚花形弁護士の奇行(実際のところは花形弁護士の”良心”と、ある一人の少女への淡い”恋心”が、弁護士を「正義」へと走らせた結果なのだが)の尻拭いを命じられる。そこから主人公の”人間力”が試される、とでも言おうか。社会の裏側の汚い部分を散々見聞きし、そこにどっぷりと浸かっていた主人公の中に、まだ残されていた一片の良心。それを原動力に、彼はある意味鮮やかな逆転劇を演じてみせる。それでも万々歳と行かないところに、容易ならざる人生の厳しさが垣間見えて、最後のシーンでふと見せる彼の表情が深い余韻をもたらすのだろう(夫は最後のシーンを、あまりにも有名な「卒業」のラストシーンと重ねて見たらしい)

主演のジョージ・クルーニーとトム・ウィルキンソン、ティルダ・スウィントンら実力派俳優との丁々発止の対決シーンは見応えがある。製作に一流映画人が名を連ねたことからも本作の本気度が伺える(同時にそれはクルーニーの求心力を証明するものでもある)。近年では、映画の醍醐味を感じさせてくれる数少ない作品のひとつだと思う。

【心にグッと来たワンシーン】

離婚して、別居を余儀なくされている息子との車中での会話。 (酒に溺れた)マイケルの従兄弟の弱々しい姿を目にして怯えた表情を見せた息子に、走らせていた車を止めてマイケルは言う。「お前は心の強い子だ。お前なら大丈夫だ」―その目はしっかり息子を見据えて、声も力強く、新しい父親を迎えた家庭に今ひとつ馴染めない息子には、おそらく何よりの励ましとなったはずだ。

◆『フィクサー』データ(allcinemaonlineより)http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=328901

| | コメント (0) | トラックバック (0)

謎がいっぱい、大人の放課後~『アフタースクール』

70_6 存分に騙されてください(笑)

愉快!痛快!最後まで先の読めない展開!…そして騙される喜び!

今年見た邦画の中で、現時点(2008年5月)ではダントツに面白い!



常々、映画の”肝心要”は、監督の演出力、魅力的なキャスティングもさることながら、脚本の面白さだとコチラでも訴えているけれど、本作はまさに練りに練られた脚本の良さで、最後まで私(だけではないはず!とにかく場内が沸いていた!)を飽きさせないどころか、ワクワクさせてくれた。このような作品との出会いは滅多にないこと。幸せな気分で映画館を後にできた。私が見た次の回では監督・キャストによる舞台挨拶が予定されていた。大いに盛り上がったんだろうなあ…(あ~羨ましい!)

監督・脚本を手がけた内田けんじという人は、凄い人だなあ…。今頃知るなんて遅すぎる?!

とにかくさまざまな仕掛けが楽しませてくれる。それは各場面で視点をずらすカメラワークであったり、ミスリードを誘う登場人物たちの意味深な台詞であったり、行動であったり…。散りばめられた伏線の数々が、映画の後半に行くにつれて収斂されて、予測もつかない結末へと導いてくれる。まんまと騙される快感ってあるんだねえ(監督の前作を知る人には手法の手の内が読めたらしいけれど)

各々の登場人物から繰り出される台詞が、前半と後半とで合わせ鏡のような効果を発揮し、まさに生きている。特に大泉洋演じる神野先生と、佐々木蔵之介演じる探偵の応酬が楽しいし、最後の神野先生の切り返しはあまりにも鮮やかで、ジーンと来て、いつまでも心に残る台詞だ。

60_2 キャストも芸達者を揃えて文句なし!

この作品ほど、あらすじを書くのが野暮な映画もないだろう。とにかく何が待ち受けているんだろうとワクワク気分で映画館に行ったら良いと思う。人の優しさを感じられる作品なのも良い。

Photo_2個人的には最近お気に入りの、佐々木蔵之介さまのワイルドな一面も堪能できて幸せでした(笑) 

内田けんじ監督は才能豊かな人のようですね。未見の前作「運命じゃない人」も、今後の作品も是非見てみたい。彼を世に出したぴあ・フィルム・フェスティバルの功績も大きいと思う。感謝!

監督プロフィール:http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/typs/id755262/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

かくも複雑で哀しい人間の心理~『接吻』

Photo 4月22日(火)。今日という日に、『接吻』と言う映画を見たことを、私は忘れないだろう。

昼過ぎにテレビを点けた。山口県光市母子殺人事件の広島高裁差し戻し審の判決を受けての、遺族本村洋氏の記者会見の模様が映し出された。20代の大半を、被害者遺族として裁判に明け暮れた本村氏。本人も言われるように9年は長かった。その間、本村氏は犯罪被害者と遺族の心情と権利を、そして凶悪犯罪を生み出す社会の病理を、誰もが驚くほどの冷静さで訴え続けて来た。その口から繰り出される言葉は年々研ぎ澄まされ、深い思索に裏打ちされた正論は百戦錬磨のマスコミさえ圧倒し、中途半端な反論を許さない強さを持っている。今日の会見はその集大成とも言うべきものだった。

「自らの死を以て罪を贖うことの重みを加害者少年は真剣に受け止めて欲しい」
「被害者、加害者、両者に死をもたらす凶悪犯罪の起きない社会にするには我々がどうすべきなのか、今回の死刑判決が、そのことを考える契機となって欲しい」
既に本村氏は個人的な遺族感情を超えた次元で、社会の在るべき姿への合意形成を訴えている。そこに至るまでに、この9年間に、彼はどれだけ苦悩しながら思索を重ねたのだろう?

映画『接吻』は、アウトサイダーを自認する男女が反社会のベクトルで共振するさまを描いている。男は無差別にある一家を惨殺し、女はその男と自分とを重ね合わせ、男に一途な思いを寄せることで、自分たちを軽んじた社会への復讐を果たそうとするのである。その二人の間に立ち、社会との接点を促す弁護士(彼もまた弁護士の職責とひとりの男しての心情の間で揺れる)。この3人の心理描写が見事だ。映画は、精神的に孤独な環境が男を犯罪に走らせたわけではない、と繰り返す。それでは何が彼を犯罪に走らせたのか?その問いはそのまま現実社会に投げかけられ、誰も明確な答えを出せないでいる。

人間の心理なんて一筋縄ではいかない。そもそも恋愛感情なんて一種の勘違いから始まるものなのかもしれない。自らを理解し、思いやる存在など皆無だと孤独感に絶望した男は、人間としての感情を失った果てに殺人を犯した。その男に同じ匂いを感じ、すり寄る女。女の情にほだされて人間としての感情を取り戻す男。それが逆に女には許せない。女は本当に男のことを理解していたのだろうか?その実、独りよがりに理解したつもりになっていただけではないのか?その二人の間に割って入る弁護士。3人の思いが複雑に絡まって事態は思いも寄らぬ方向へと展開して行く。最後まで緊張感を孕んで、片時も目が離せなかった。

人間はいかにして生の充実感を得られるのだろうか?小池栄子演じる女の、殺人者への恋慕をきっかけに俄然精気を得たような様子に、複雑な思いがした。長らく戦争、紛争状態とは無縁で、日常的な死からもっとも遠いはずのこの日本で、充実した生を全うすることのなんと難しいことよ。

それにしても小池栄子。こんなに演技が上手かったとは…最近は司会業でも利発なところを見せて注目していたけれど、いやはや恐れ入りました。

◆映画『接吻』小池栄子独占インタビュー記事(yahooより):
http://movies.yahoo.co.jp/interview/200803/interview_20080312001.html


◆『接吻』公式サイト:www.seppun-movie.com/

同じく犯罪者を描きながら、米映画『ノーカントリー』の乾いた空気とは対極の、じっとりと汗ばむような湿気を感じさせる作品だ。

【他人を傷つけることに鈍感な自分への一撃】

なぜかその存在を軽んじられる人間の心の痛みを、周囲の人間は気づいているのか?薄々気づきながらも、残酷に放置しているのか?

”女”が一人旅で遠出した時に、自殺を警戒した旅館に宿泊を断られた、と言うエピソードが胸を衝く。「それが何を意味するのか分かる?この女は人生を楽しむこともないのだろう、と思われている。私のことを知りもしないくせに勝手にそう決めつけている」―”女”のとった行動の是非はともかく、こうした周囲の無責任な思いこみに”女”は傷つき、絶望し、社会を敵視するに至ったことを忘れてはいけないのだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

歩いても歩いても

70_5
楽しいと言うより、ほろ苦い。
温かいと言うより、切ない…かな

若くして亡くなった長男の命日に、老親の住む実家に集った次男家族と長女家族。ある一家のほんの2日間(正味24時間?)の出来事を綴った物語なのだが、予告編を見る限り心温まるホームドラマかと思いきや、意外にそうでもなかった。後方でやたらと大笑いをしている年配男性がいたが、私は笑えなかった。何気ない家族のやりとりの中に、身につまされる内容が多かったからだろうか?自分自身を夏川結衣演じる嫁に投影したり、娘役のYOUに重ねたり…そうして物語にのめり込んで見ると、結構しんどかったぞよ。たぶん、見る人の(家族関係における)立場によって、印象はかなり異なるのだろうなあ。

時に、芸達者な樹木希林演じる義母の言動に、底意地の悪さを感じて背筋が寒くなった。映画タイトルの由来だって、結構皮肉が利いているし。年を取ると人間は円くなるなんて、たぶん若い頃尖っていた人にこそ当てはまることなんだろう。善人、良妻賢母と言われた人は、寧ろ、いい加減周囲に気遣いすることに疲れて、本音で生きたくなるものなのか?案外、タガが外れたようにズケズケとした物言いで、身近な人間を驚かせているのかも。ここだけの話、義母は定年退職を迎えた義父に「これまで苦労をかけたな」とねぎらいの言葉をかけて貰った時に、「はい、散々苦労しました」と(冗談ではなく真顔で?!)答えたそうだ。妻の意外な返答に、義父は心底驚いたんじゃないかな?何年か前の正月の帰省で台所仕事をしていた時に、義母からその話を聞かされて、私も本当に驚いた。日頃の義母の言動からは想像もつかない言葉だったからだ。

家族関係は難しい。特に子供がそれぞれ大人になり、独立してそれぞれの家庭を持った後の親子関係、兄弟関係は、他人(嫁、婿)が入り込むことによって確実に変質する。互いに気を遣いあい、牽制しあう。時には打算も働く。それは良い悪いの問題ではなく、成り行き上、そうならざるを得ないものなんだと思う(子供が大人になる、親から自立するって、つまりはそういうことなんだろうし)。そうした家族関係の軋轢が、是枝脚本の鋭い人間観察によって容赦なく露わにされたのが、この家族のわずか2日間の物語なのかなと、私は受け止めた。亡くなったわが子への執着も親ならではのもので、無下に否定できないだけに、周囲の人間は気を遣うし、心を傷つけられもする。墓参りのシーンでは温かさを感じつつも、全体的にはほろ苦くて、切ない印象が強いかな。

私は夫婦でこの映画を土曜日の午後に見たのだが、観客の年齢層はかなり高かった。見渡すとシニアばかり。シニアの間で口コミ人気でも広がっているのか?シニアの眼にはどう映ったのだろう?樹木希林の言動に納得したり、溜飲を下げたりしたのだろうか?

【どうしても気になった些細な事柄】

80_4 ←これが、その証拠写真(笑)

高橋和也演じるYOUの夫が義母におべんちゃらを使いながら、子供たちと台所で麦茶を飲むシーン。麦茶をゴクゴクと飲んでいる間ずっと冷蔵庫が開けっ放しなのだ。おいおい電気代の無駄だ、と思わず突っ込んでいる自分がいた。たぶん、婿のいい加減な性格の一端を示す描写なんだろうけれど。是枝監督、芸が細かいと言うか、人間観察が嫌らしいくらい鋭いと言うか…



◆『歩いても歩いても』公式サイト:
www.aruitemo.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おくりびと 【第81回米アカデミー賞外国語映画賞受賞!】

70_3 人は誰でもいつか
おくりびと
おくられびと…

見終わった後、このコピーが心の中で何度もこだました。自身の親が老い、友人の中には既に親を見送った者も少なくない年代であるがゆえに、身につまされる物語だった。死は見えないだけで、実は日常と隣り合わせに存在する。愛する者、身近な者の死にどう向き合うか?死者をいかに見送るか、否応なく考えさせられる作品である。

最近義父を見送ったと言う友人との鑑賞。突然旅立ってしまった義父の葬儀は、身内の戸惑いと混乱の中、その殆どが葬儀社任せで執り行われたと言う。この物語の核を成す”納棺師”とは、特に儀式を重んじる地方では独立した職業なのか?私はその存在をこの映画で初めて知った。

愛する者の死に直面して、悲嘆と戸惑いで心が千々に乱れんばかりの遺族の前で、納棺師は死者の体を拭き清め、死装束を整え、美しく死化粧を施して、棺に納める。その厳かな儀式は、悲嘆にくれる遺族の心を癒し、死者との穏やかな別れを演出する。

納棺師を演じる山崎努と本木雅弘の所作が美しい。特に本木はテレビ番組等での露出が少ないせいか、その端正な顔立ちと相俟って、俗世間とは一線を画したかのような品の良さが滲み出て、この作品の品位を高めているように見える。

この作品の中で、私たち鑑賞者は、実に多くの死者の納棺に立ち会うことになる。死者の年齢層も人となりも幅広く、一口に納棺の儀式と言ってもその様態はさまざまだ。目前で悲喜こもごもののドラマが展開し、中にはきれい事では済まないケースもある。これは、なかなか興味深い”体験”であろう。

同時にこの映画はひとりの人間の成長物語でもある。失業をきっかけに故郷に戻り、意外な形で納棺師の職を得た主人公が、その特異な職務に当初は戸惑いつつも、真摯に取り組み、経験を重ねる内に、職業意識に目覚めて行くさまが丁寧に描かれている。

ややもすると納棺師は「人の死を飯の種にしている」と蔑まれがちである。しかし、誰かがやらねばならない仕事であり、死者との別れを告げるプロセスの中で、その職務が果たす役割はけっして小さくない(生活の”穢れ”の部分を引き受けてくれる、と言うことで高報酬でもある)

どんな職業であれ、人は職務に真摯に取り組むことで、結果的に人々の偏見を払拭し、自らの仕事に、人生に、誇りを持って生きていけるのかもしれない。

さらにこの作品は、主な舞台となった庄内地方の四季折々の風景の美しさと共に、夫婦愛、親子愛、そして故郷の人々の温かさと、みどころは尽きない。細かな点では辻褄の合わない部分もあるが、その欠点を補って余りあるほどの素晴らしさが、この作品にはあると思う。

◆『おくりびと』公式サイト:http://www.okuribito.jp/

【本作が世界でも認められました!】

◆モントリオール国際映画祭グランプリ受賞!:http://movies.yahoo.co.jp/m2?ty=nd&id=20080903-00000972-san-ent

【2008.09.17追記】

試写会を見てから3週間が経過して感じたこと。

「おくりびと」は素敵な映画だと思う。新人納棺師の成長を通して、「死」の厳粛さと同時に「生」の尊さを教えてくれる、とでも言おうか。でも最近ちょっと騒がれ過ぎ(モックン、テレビに出過ぎ、しゃべり過ぎ(^_^;))…できれば静かにしみじみとみたい作品だ。

脚本が「料理の鉄人」のシナリオを書いていた小山薫堂という人らしく、物語は「死」を扱いながらもクスッと笑えるようなシーンもあり、けっして湿っぽくない。特に食事シーンは、納棺(”死”出の旅立ち)とは対極の”生”の悦びを描いて出色だ。小山薫堂ならではの拘りが、そこに見て取れる。

出演陣も各自キッチリ自分の仕事をしているのが小気味よい。しかし、広末涼子はどちらかと言うと苦手。今回のキャスティングはどうなんだろう?彼女の生活感のなさが、今回のような作品ではどう作用したか、評価は分かれるだろう。何れにしても山崎努とモックンの存在感が圧倒的なので、彼女の影は薄い。妻役が広末涼子である必然性はなかったような気がしないでもない。

【2008.09.23 追記】

夫にも是非見て欲しかったので、秋分の日、夫婦50割引で見て来た。2度目は映画館の完璧なスクリーン、音響で見たこともあり、感動は倍加したように思う。試写会で初めて見た時に気になったところが全て気にならないほど、今回は作品世界に浸れた。庄内地方の風光明媚な景色の中で奏でられる、たおやかなチェロの調べが、すごく心地良かった。改めて人の絆の温かさが心に沁みた。自分の身近にいる人を、もっと大事にしたい、と思った。

以下はネタバレにつき…




【ふと、目に付いたところ】

同級生の母親で、昔なじみの銭湯のおかみさん役の、吉行和子の(特殊メイクかもしれないけれど)アカギレの手。銭湯一筋に懸命に生きた証のようで、印象的だった。

【夫婦の絆】

妻の不在中も主人公は結構楽しそうだった(特に食事のシーン。小山薫堂ならではの拘りか?)のがチョット引っかかる(笑)。本当に「妻がいないと駄目」なのか?何だか説得力に欠けるなあ…妊娠の時期もいつだったのか?一冬不在だった割にはお腹の膨らみが…計算が合わないぞ~?!

【確かに名人芸なんだけれど…】

笹野高史はこのところ露出が多過ぎて、その演技に(自他共に認める演技力に自身で酔ってはいないか?)、私は素直に感動できなくなっているような気がする。名バイプレーヤーとして重宝がられるのも、良し悪しなのかもしれないなあ…どんな役もそつなくこなしてしまう器用さが、却って仇になっているようにも見える。好きな俳優だけに、ちょっと残念(←でも2度目の時は素直に感動できた) 。

50_6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ぐるりのこと。

70人は人によって傷つけられ
人によって救われる

私たち夫婦とほぼ同時期に結婚生活をスタートさせた一組の夫婦の、10年間に渡る絆の物語。それは必ずしも順風満帆なものではない。新たな家庭を築く過程での心を通じ合えないもどかしさや(それはそうだ。元々異なった環境で生まれ育った他人同士なのだから)、埋めようのない喪失感に心を病む苦しさや、その苦しみや哀しみを分かち合う優しさ、そして固い絆によって立ち直る人間の心のしなやかさが、丁寧に、繊細に描かれている。ひとつひとつのエピソードが、二人の台詞が、その表情が、心に染み入るようだった。思わず自分たちの10年と重ねて見入ってしまった。見終わった後、自分自身の”平凡な日常”に愛おしささえ感じた。

40_2被告の罵詈雑言に
思わず絵筆を持つ手が止まるカナオ


映画は、法廷画家を生業とする夫の目を通して、その10年の間に起きた様々な凶悪事件の公判の様子も伝える。すべてフィクションの体裁を取りながら、実際に起きた事件を容易に連想させる描写になっていて、改めてそれぞれの事件の不条理に愕然とさせられた。

並行して描かれる、ある夫婦の10年と凶悪事件が次々と起こる世相の10年。原作・脚本・編集・監督を一手に担った橋口亮輔監督の意図するところは、世の中でどんなことが起ころうとも、どんなに荒んだ状況にあろうとも、個人のささやかな営みはそれらに影響されることなく連綿と続くものであって欲しい、と言う願いなのだろうか?

人は弱くて強い…一見矛盾するようで、実は人の在りようを言い得ているような気がする。その弾力性に富む心は、たとえ人に傷つけられ一度は閉ざしたとしても、再び人を受け入れ、再生する。その力を信じたい。そうした希望を託したこの作品は、世の荒みに恐怖する人々を癒し、励ます存在になると思う。6年間のブランクを経て(この間、監督の身にはさまざまなことが起きたようですが、それが血肉となった結果の本作ですね。人間転んでもタダでは起き上がりません(笑)。監督自身にとっても本作の制作は「再生の物語」だったのでしょう)、橋口監督はとても素敵な贈り物を世の人々に届けたものだと思う。感謝。

50_2 再び絵筆を取る翔子

【ぐるり】自分の身のまわり、自分をとりまくさまざまな環境

【俳優陣のこと】
これが映画初主演と言う木村多江とリリー・フランキー。二人の演技とは思えない自然体が、普通っぽさが、作品を我がことに引き寄せて見られる効果を生み出しているように思う。この二人を主演に起用した時点で、この映画は8割方(って数値には根拠はないです)成功したと言って良いのかもしれない。木村多江の清楚な、”和”な美しさ(特に二の腕が美しい)は得難いものだよなあ…最近の報道によれば、2月に第一子を出産した彼女は、切迫流産の為に8カ月もの間入院したのだとか。プライベートでは大変な思いをされていたのだね。どうぞ、お大事に。またリリー・フランキーの近年の活躍には眼を見張るものがある。「ココリコ・ミラクル」では下ネタ、エロ・ジョーク連発で、どう見てもヘンなオヤジだったが、その実、撮影中監督を最も励まし、支えた人物と橋口監督が告白したこともあって、私の中でリリー株は上昇中(笑)。脇を固める倍賞美津子や寺島進、榎本明、寺田農らベテラン勢も、それぞれの役に期待通りの堅実な演技で実在感を与え、映画の質を高めてくれたように思う。

【自分に引き寄せて考えると…】
生真面目さ、几帳面さは、周りの人間に圧迫感を与えるだけでなく、時として自らを必要以上に縛り、行き過ぎると自らの首を絞め、自らを追いこんでしまう。「もっとゆる~く生きようよ」「もっと大らかに生きようよ」と、リリー・フランキーの存在自体(それはあくまでもコチラが勝手に抱いているイメージなんだけれども)が、演技を超えて語りかけて来るような気がした。ねぇ、聞いてる?Yちゃん。

何があっても壊れない絆…
50_5 『ぐるりのこと。』公式サイト:http://www.gururinokoto.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラースと、その彼女(原題:LARS AND THE REAL GIRL、米)

70愛すべきラースの成長物語

母屋に暮らす兄夫婦は、ガレージを改装して作った離れにひとり暮らす弟ラースのことが気がかりでならない。30近くにもなって女性との浮いた噂ひとつなく、自宅と会社、或いは自宅と教会を往復するだけの毎日なのである。特に義姉のカリンは身重の体で、彼のことを本当の弟のように気遣うのだった。兄のガスはガスで、過去の負い目もあって、今ひとつ弟に本音をぶつけることが出来ない。

ラースはカリンが食事に誘っても気乗りしない様子で、しつこく食い下がると黙り込んでしまう。相手が誰であろうと一定の距離を置き、彼の心に踏み込もうとしようものなら、沈黙で拒んでしまうのだった。

そんな彼がある日、珍しく自分から兄夫婦の家を訪れた。遠い国からネットを通じて知り合った女性が彼を訪ねた来たのだが、自分の家に泊めることは憚られるので、兄夫婦の家に泊めて欲しいと言うのである。ついに弟にも春が巡って来たかと喜んだのも束の間、彼が連れて来たのは等身大のリアル・ドール!兄夫婦の驚きと戸惑いにはお構いなく、ラースは”ブラジル生まれの、ブラジル人とデンマーク人のハーフ”という彼女、ビアンカに楽しげに話しかけるのである。彼の中ではビアンカとの会話は成立しているらしいが、兄夫婦には彼の独り芝居にしか見えない。このところ弟は様子がおかしかったが、とうとう…大変だ!そうだ、バーマン医師に相談しよう!

50 米国中西部の小さな街で、街中を巻き込んでのラースとビアンカの恋物語。彼とビアンカを取り巻く、兄夫婦を始め、同僚、主治医、周囲の人々の眼差しが暖かい。ラースを愛すればこその、街の人々のビアンカへの処遇。ハリウッド映画にありがちな説明過多でないのも良い。さりげなく登場人物の台詞の端々に込められた断片情報から、徐々にラースの人となりが、明らかになるのだ。それにしても写真のビアンカ、遠目に見れば、何の違和感もない。本当に生きているみたいだ。このリアル・ドールなるもの。ネット通販でお好みの物が入手できるらしいが、ビアンカはアンジェリーナ・ジョリーに激似(笑)。ぽってりとした唇は”セクシー美女”の代名詞?!

ラースはけっして人嫌いなんかじゃない。彼の出生に纏わるトラウマと、その後の生い立ちから、他人とうまく関われないだけなんだと思う。人は幼い頃から段階を踏んで、自分以外の人間との関わり方を学んで行くものだろうに、そのプロセスが、諸事情から彼にはスッポリ抜け落ちていただけ。彼はビアンカとの対話を通して~結局、それは自分自身との対話だったのだろうか?~初めて、そのプロセスを踏むことができたのではないだろうか?その意味で、この作品は彼の内的な成長物語なんだと思う。劇中、兄に「いつ大人になったの?」と質問するラース。その質問は主治医バーマン医師の指導に従っただけのことかもしれないが、この作品の核心に触れた台詞のように思える。

リアル・ドールに恋する大人の男、という一見奇異な出来事で始まったこの物語は、ひとりの人間の成長物語として至極真っ当な結末?へと至り、見る者をおおいに納得させ、そしてその心に暖かな灯りをともす。ラースとビアンカの恋は果たしてどうなったのか?それは映画を見てのお楽しみ!すごく素敵な作品だ。お薦めです。(後日、出演者等について加筆の予定)

◆『ラースと、その彼女』公式サイト:http://lars-movie.com/

| | コメント (1) | トラックバック (0)

アメコミ三昧(『アイアンマン』他)

天才トニーー・スターク、パワード・スーツ開発中
50_3
何だかんだ言って、アメコミ(Marvel ComicsやDC Comics)の映画化作品は結構見ている。今年だけでも『インクレディブル・ハルク』(超人ハルク)、『ダークナイト』(バットマン)、『アイアンマン』(アイアンマン)を見た。

過去には『スパイダーマン』『X-メン』『デアデビル』『ファンタスティック・フォー』『ゴーストライダー』『ブレイド』『トランスフォーマー』(以上Marvel Comics)、『スーパーマン』『スーパーガール』『キャットウーマン』(以上DC Comics)など。ストーリーは荒唐無稽だし、パワー礼賛(=悪は力でねじ伏せる)色が濃いけれど、良くも悪くも米国を体現しているアメコミ作品群。米国と言う国に対して愛憎相半ばの者にとっては、アメコミやその映画化作品は要チェック項目なのだ(笑)。

◆『インクレディブル・ハルク』は、前作の『ハルク』に比べれば、主演のハルク役に演技派エドワード・ノートン、その相手役に魅力的なリヴ・タイラーを迎え、人間ドラマの部分はなかなか見応えがあった。惜しむらくは、超人ハルクに変身後の格闘シーンで、CG表現にこれと言って目を引くものがない上に、冗長な印象が拭えなかったこと。途中で見飽きてしまった。

エドワード・ノートンがアメコミ映画主演とは意外…
45冒頭のブラジルの貧民街の描写は、4年前に公開されたデンゼル・ワシントン主演の『マイ・ボディガード(Man on Fire)』の舞台のひとつとなったメキシコの貧民街そのままに、建築基準法など存在しない、丘の斜面にへばりつくようにして縦横無尽に増殖した粗末な住宅群だったのが印象的だった(追っ手から逃れるべく、ハルクはその複雑に入り組んだ街路を疾走する。入り組んだ住宅街を疾走と言ったら、『ボーン・アルティメイタム』もそうだね)。映画の本筋とは関係ないが、なぜか記憶に残る映像である。

◆クリスチャン・ベールをブルース・ウエイン&バットマン役に据えた、クリストファー・ノーラン監督第2作目の『ダークナイト』は、前評判通りの完成度の高さと面白さで出色だった。

特に善と悪のせめぎ合い(バットマンVSジョーカー、また善人然としたデント検事の内的葛藤)とその均衡の危うさ(法治国家の下ではバットマンもまた裁かれるべき存在。あのエシュロンを想起させる盗聴システム=禁断の果実にまで手を出す下りが象徴的)、そして善悪が合わせ鏡のように存在するジレンマが、最後まで緊迫感が途切れることなく描かれ、見応えがあった。

鬼気迫る演技だったヒース・レジャー 50_4

さる評論家に「ジョーカー役を演じたヒース・レジャーは、過去にジョーカーを演じた怪優ジャック・ニコルソンを凌駕するほどの迫真と狂気の演技で、自らの命を縮めてしまったのでは?」とまで言わしめたほどのヒースの熱演。それは、現実世界に存在する確信犯的な、罪を犯すことそのものを犯行の目的とする、常人には理解不能な犯罪者を想起させ、言い知れぬ恐怖を誘った。バットマン・シリーズは敵役に大物俳優を起用するのがその特徴のひとつだが、本作の場合、ハリウッドの次代を担ったであろう気鋭の若手が、その命を燃やし尽くしたとも言える演技で、完全に主役を喰っていた。この後に演じる敵役は常にヒースを意識せざるを得ず、さぞかし演じづらいだろう。

◆『アイアンマン』は期待以上の出来だった。予告編より本編の方が断然面白い。主演のロバート・ダウニー・Jrが天才兵器開発者を演じるのだが、あり得ない状況下(笑)でのパワードスーツ開発過程の描写など、リアリティという点ではツッコミどころ満載ながら、これが結構面白いのである。試行錯誤を繰り返す中で徐々に完成に近づく、もの作りのワクワク感を追体験できるという感じだ。
      
Tg40_2 キャスティングも魅力的。有能で、公私に渡って主人公の支えとなるペッパー・ポッツ役のグウィネス・パルトロウ、同じく全幅の信頼を寄せる友人役のテレンス・ハワード、そして、何やら最初からいわくありげな共同経営者役のジェフ・ブリッジス(最初風貌のあまりの変化に誰だかわからなかった)と、役者が揃っている。それにしてもグゥイネス、昔より今の方が、ずっとチャーミング!また、前半で主人公と行動を共にするイェンセン役のショーン・トーブの存在も忘れ難い。イランをルーツに持つ彼は、様々な映画で中東人を演じているが、過去に出演した『クラッシュ』『マリア』『君のためなら千回でも』のいずれの作品でも、鮮烈な印象を残している。

本作でも、善と悪の相互依存性(共依存?)が皮肉だ。善があっての悪。最強の兵器は最悪の脅威となり得る。アイアンマンだって、悪の手に渡れば脅威となる。その危うさが、現実世界にもそのまま当てはまりそうで怖い。40_3
                                          

| | コメント (0) | トラックバック (0)

しあわせのかおり~幸福的馨香~

Photo 見終わった後、思わず中華料理を食べに行った…
いつにも増して、おいしかった(笑)

今年も例年通り、見ている本数としては圧倒的に洋画が多いはずなのに、なぜか心に残る、ここに感想を書かずにはおれない作品は邦画が割合に多い。この作品も、そんな1本。

舞台は金沢。しかし、私の知る金沢ではない。観光客が見ることのない、すっぴんの金沢。地元の人々の生活が息づく、ジモッティな金沢。

デパート営業部勤務の貴子は、デパ地下の新たな目玉にと、地元で人気の中華料理店「小上海飯店」の出店誘致を任される。しかし老練の店主、王はけんもほろろに、その申し出を断った。それでも毎日ように王の店に出向き、日替わり定食を食べるうちに、貴子はいつしか仕事を忘れて、その味に夢中になる。えも言われぬおいしさ~心がホッとするような”優しい味”なのだ。

物語が進むうちに、徐々に貴子と店主、王の人となりが明らかになる。それぞれに、家族にまつわる心温まる思い出と傷心の過去があった。

一言で言うと、地味な作品だ。特にドラマチックな展開があるわけでもない。寧ろ容易に読める筋書きだ。そう、途中までは。

ある出来事をきっかけに、貴子は王の押しかけ弟子となる。それほどに、貴子は王の料理に魅せられた。この作品、「グルメ映画」とも言うべき様相を呈している。次から次へと喉が鳴るような料理が、冒頭から登場する。地元の新鮮な食材を使った、目にも楽しい中華料理。料理単独のクローズアップシーンも多いので、<b>料理はこの作品のもうひとつの主役</b>なんだろう。

王役の藤竜也と貴子役の中谷美紀は、この映画の出演に向けて中華料理店で特訓したと言う腕前を披露する。う~ん、凄い!作品を見た限りでは、王の頑固一徹な料理人気質に貫禄を感じ、貴子がその弟子として徐々に料理の腕を上げて行くさまにはワクワクした。掛け値なしに、二人の俳優は料理人になりきっていた。

俳優は役柄を通して、数多くの人生を経験する。それまでは一切素養がなくても、時には音楽家として楽器を弾きこなし、教師として教壇に立ち、料理人として見た目にもおいしそうな料理を作り上げる。これこそ俳優たる才能だろう。今回も、その才能に快哉を叫びたくなった。

劇中、一番印象に残った台詞は、
「一生懸命生きようとしているあの子に、あなたは何を言うんですか?」
と言う王の叫び。普段は言葉少なで木訥な彼の、内に秘めた情の濃さと熱さを感じた。これは予告編でも耳にすることができる。やっぱり、この作品の見せ場のひとつかな。

見せ場はクライマックスにもある。それは、王や貴子を取り巻く人々の、優しい気遣いが導く奇蹟のようなもの。思わず胸が熱くなった(特に八千草薫田中圭が演じる、「??」と「農家の3代目」は常に二人を見守る存在。物語の”その後”が気になるなあ…)。

Photo_2 この作品には悪人は出て来ない。正確に言うと直接的に人間の悪意は描かれない。それが物語の抑揚を削ぐことにもなり、その結果、全体的に平板で、地味な印象の作品になってしまったのかもしれない。しかし、
「地味で何が悪い」
と反論したくなるような滋味深~い作品なのだ。

関東でも上映館は銀座のシネスイッチ銀座と川崎のチネチッタのみ。何という少なさだろう(もしや中国の食を巡る様々な問題が、暗い影を落としているのか?)。これでは多くの人の目に心に、この作品が届かない。次善の策として、DVD化された暁には、是非ご覧あれ!

【ほぉ~と思ったこと】

中国の紹興では、地酒である紹興酒を、娘が生まれた年に瓶に入れ、土中に埋めて醸成させた後、娘が結婚する時に、その紹興酒で祝杯を挙げる慣習があるそうだ。これと似たような慣習は沖縄にもある。沖縄では娘が生まれた時に泡盛を瓶に入れて保存し、娘の祝い事で飲む習慣があるそうだ~と言う話を以前テレビで知った。さすがに琉球王国の時代、中国との交易が盛んだっただけあって、中国の慣習が伝来していたんだね。

【山定食 海定食】

日替わり定食はこの2種類。と言っても、それぞれ日替わりで、多彩な「山の幸」「海の幸」がメインに登場するのだ。中でも卵とトマトを炒めただけの「卵トマト炒め」は、素材も調理法もシンプルなだけに、料理人の腕が問われるのだろうか?

【大人の純愛】

「あなたがいたから私も頑張れた」って、もしかして愛の告白なのでは?この控え目さ加減が素敵かも。

◆「しあわせのかおり」公式サイト:http://www.shiawase-kaoru.jp/

【主演ふたりのインタビュー記事がありました!】

◆藤竜也(産経ニュース・インタビュー):http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/081018/tnr0810180759000-n1.htm</a>
中谷美紀(シネマぴあインタビュー):http://www.pia.co.jp/cinema/interview/081016_shiawase/shiawase_in.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)