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ある偶然―本来あるべき場所

Photo_10  昨日4月9日付のSANKEI EXPRESS紙(以下、エクスプレス)は、電車内で読むのが気恥ずかしいくらいの、大写しになった石原都知事の高笑い?の顔が表紙を飾っていた(写真)。この新聞が創刊間もない頃に1週間のお試し購読をして以来、購読料も手頃(1,680円)だし、読物としても面白いので継続して読んでいる。

 全国紙は朝日新聞(以後、朝日)を長らく購読していたが、途中で日本経済新聞(以後、日経)の購読も始め、3年程前からは家計の節約もあって思想的には(朝日の扇情的な内容や誤報には辟易して来た?!膨大なチラシにも!)比較的ニュートラルな(経済至上主義なのかもしれないが)日経だけを購読している。
 ネット時代、新聞社もこぞってネットで記事を配信する時代である。普段の生活の中でふと興味を持った報道を比較検討するだけなら、ネット配信記事で十分だと思う。

 エクスプレス紙は首都圏+(なぜか)京都だけで発行しているタブロイド紙だ。政治的スタンスは発行元である産経新聞そのままだが、比較的若い女性をターゲットにしているらしく、タブロイド版で「持ちやすさ」、写真の多用で「取っつきやすさ」、取り上げる題材の多彩さ&コラムの充実で「読物としての面白さ」を追求しているように見える。既存の全国紙やスポーツ新聞との差別化を図り、ニッチ市場を狙った営業戦略は果たして成功するのだろうか?かつて朝日もタブロイド版の発行を試みたようだが、これは上手く行かなかったらしい(1カ月で廃刊?)。エクスプレス紙は昨年の11月創刊で4月現在まで続いているので、そこそこ上手く行っているのだろうか?それにしてもキムタクをCMに起用とは、大がかりなものだ(やっぱりターゲットはキムタク世代?しかし、そうでない私(おばさん)も結構楽しんでいる)。

 そのエクスプレス紙の中で、3面下段に掲載されているコラム「勿忘草」が私は特にお気に入りだ。その時々の話題について、記者の忌憚のない意見が述べられている。「こんなこと大っぴらに書いたら反発を呼ぶのではないのか?」というようなことも時には書かれていて、そこはタブロイド紙ならではの”軽さ”が救いになっているのかもしれない。
 その「勿忘草」で、昨日は高松塚壁画古墳の解体修理のことが取り上げられていた。その記事と当ブログの記事の内容の酷似に少し驚いた。「勿忘草」で取り上げられているのは高松塚壁画、当ブログでは《受胎告知》と、作品の違いこそあれ、主張していることは私が数日前に当ブログで書いたことと殆ど同じだった。「本来あるべき場所」「居心地が悪い」という言葉さえ一致している。さすがプロの書き手の文章だから、素人の私より的確に言わんとしていることを表現している。以下に抜粋してみる。

 かつて中国で、遺跡からはぎ取られた壁画が博物館の資料室に置かれていているのを見て、その神秘は半減していると思った。(中略)
 再び高松塚古墳の話。1300年もの間、同じ場所に眠り続けた美女だからこそ、神秘はより深まる。今の時代に生きる私たちは、神秘のベールが解かれる瞬間に立ち会えた。しかし、本来あるべき場所を離れた女神たちは、後世にも同様の魅力を湛え続けることができるのだろうか?
 後世の人に残すべきなのは、壁画だけではない。壁画を伝えた環境、歴史も含めて残すべきだ。ガラスにふさがれ、見ものにされてしまえば、奥ゆかしい美人たちも、さぞ居心地が悪いことだろう。
 

 つまりは、作品は「本来あるべき場所」を離れたら、その魅力は減退すること、作品とそれが生まれた環境、歴史は切っても切れない関係にあり、それも含んでの理解が重要であること。作品保護の見地から言っても、生まれた場所を離れることは本当は良くないのだろう(実際、渡米した叔母が日本のある工芸品をアメリカの自宅に置いていたところ、当地の乾燥した空気で傷んでしまったらしい。日本の湿潤な気候風土で生まれた物は、大陸の乾燥した気候には耐えられないのだ。それに気付かなかった叔母も叔母だが)。

 高松塚壁画古墳にしても、キトラ壁画古墳にしても、作品保護の見地から言えば、本来は開封すべきではなかったのだと思う。何千年もの間密閉状態であったものの封印を解くということは、たとえ学問的意義があるとしても、罰当たりな行為だったのかもしれない。そもそもそれらの壁画は、多くの人の目に晒されることを目的に描かれたものではなかったのだから。

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