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人生の大事なこと(の一部)は映画から学んだ

 私は3年前から美術館でボランティアとして教育普及の仕事をさせていただいており、学校向けギャラリートークや家族向けワークショップの実施等に関わっている。

 学校向けギャラリートークの形態は対話型トークと言われるもので、作品を前にして自分なりに感じたこと、考えたことを、私達ボランティアガイドとの対話を通して、児童生徒に言葉で表現してもらうものだ。

 作品に関する知識は文献資料を読めばわかることであり、本物を目の前にしているからこそできることは「作品との対話」である、という前提のもと、児童生徒には、作品そのものが自分に語りかけてくるものを自分なりの感性で受け止め、作品との出会いによって自分の脳内に起こる化学反応を楽しんでもらおうとの主旨だ(だから対話型とは言え、発言を強制するものでもない)。作品鑑賞を通じて育むのは”学力”ではなく、”感性”や”情操”と言えるだろうか。

 とは言え、トークをする立場としては、対象作品に関する知識、理解は一般鑑賞者以上に備えておかなければならない。面白いことに作品研究をすればするほど自らの勉強不足を痛感させられる。調べれば調べるほど、学べば学ぶほどに興味・関心の枝が広がり、日々が学びの連続である。実はこれこそが学ぶことの醍醐味と言えるのかもしれない。

 これは映画にも言えることだろう。映画を通して学ぶことは沢山ある。日常生活では知り得ない世界を知る。追体験する。それらに思いを致す。そしてそこから自分自身の問題として考える。昔『人生の大事なことはすべて砂場で学んだ』というようなタイトルのベストセラー本があったと記憶しているが、映画ファンは、もちろん全てとは言わないまでも、人生にとって大切なことの少なからぬ部分を、映画から学んでいるのではないだろうか。

 昨年公開された『GOAL!』の中でこんな台詞があった。「無料の診療所でしか治療を受けたことがなかった…」。英プレミアリーグでトライアル選手として日々練習に励むサンチアゴは実は喘息持ちで、吸入薬が手放せない。そのことがクラブに知られればプレミアリーグでのプレイのチャンスが潰えると恐れた彼はそのことをひた隠しにする。しかし、大事な試合前にその吸入薬を失ってしまう。呼吸が辛くて試合で本来の力を発揮できないサンチアゴ。不採用通告を受けた彼は帰国を余儀なくされるのか、といったところで、思わぬ助け船が出て、監督と話をする機会を得るのだが、そこで監督は彼の喘息を「そんなもの、薬で治るぞ」とこともなげに言う。それを受けての、段落冒頭の一言だったのだ。健康も金次第という、格差社会の一端を示すエピソードではないだろうか?

 持てる者と持たざる者の間にはさまざまな、そして大きな格差が存在する。資産格差、教育格差、雇用機会格差、医療格差、情報格差、etc…こうした格差が持てる者を益々優位にし、持たざる者の前に越え難い壁として立ちはだかるのだ。サンチアゴの嘆息と共に漏れた一言が、彼ら貧しい不法移民の苦難に思いを致すきっかけとなった。

 映画の台詞の何気ないひとことが社会を映す鏡になる。これは映画が果たす重要な役割のひとつと言えるだろう。もちろん、それに気付く感受性(アンテナ)が、見る側には求められる。できる限り感度を高めておきたいものだ。

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