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ホテル・ルワンダ(南アフリカ・英・伊、2004年)

Photo_16  そもそも私達日本人は『ホテル・ルワンダ』という映画に出会うまで、ルワンダと言う国についてどれだけ知っていたのだろうか?アフリカのどの位置にあり、どのような人々が暮らし、1994年そこで何が起こったのかを。

 例年そうだが、米アカデミー賞レースで取りざたされる作品の約半分は、授賞式の時点で日本未公開だ。私は華やかな授賞式を、まるで何か粗相をして餌のお預けをくらったペットのように(イマドキの飼い主はそんなことはしないかもしれないが)歯がゆい思いで見ている。受賞式会場にいる映画関係者や観客の興奮や歓びはテレビ画面を通して伝わっては来るが、同時にそれを共有できない悔しさを感じている。一昨年もそんな気分の中で幾つかの作品を目にし、その日本での公開を心待ちにしていた。

 『ホテル・ルワンダ』もそのひとつだった。しかし残念ながらアカデミー受賞式の時点では、日本での興行的成功は難しいと判断されたのか、日本公開の目処は立っていない、と報道された。

 ところが、である。20代の若者が発起人となり、インターネット上で公開嘆願署名運動を展開し、なんと僅か3カ月で4000通を超える署名を集めて、公開を実現させたのだ。若者の瑞々しい感性、行動力、そしてインターネットの情報伝播力の前には、「あ~あ日本公開はないのか。残念だね」と歯がみするしかなかったおばさん(私)は、本当に「参りましたm(_ _)m」とひれ伏すしかない(笑)。

 1994年半ば頃まで、私達家族は中東にいた。ちょうど日本への帰り支度を始めた頃だったのだろうか?同じ頃、アフリカ東部のケニアに近い小国ルワンダでは対立する部族間で大虐殺が行われていた。僅か100日で100万人もの罪のない人々が虐殺されたのだ。これをジェノサイドと言わずして、何と言おう。

 当時の私はその事実を知らなかった。(環境的に、或いは自らの怠惰で)情報過疎の中にいたからだ。自宅ではアラビア語放送が中心のTVは殆ど見ることもなく、新聞にしてもタブロイド版の英字紙と日本の全国紙の衛星版を熱心に読むでもない。電話の回線状態すら不安定でインターネット環境も整っていなかった(インターネットなしの生活は考えられない現在とは雲泥の差である)。乏しい情報の中で、日本人も100人いるかいないか(子供に至っては10数人程度)と言った状況下で、正直心細い思いを抱えつつ、子育て中心の毎日を過ごしていた。
 
 そんな中での虐殺報道である。
当時夫が毎日聞いていたBBCニュースで、おそらくルワンダの名を何度か耳にはしていたはずだ。しかし私の関心の外だった。それどころか、この映画を知って、改めてルワンダの虐殺に関心を持ったと言っていい。自分が恥ずかしい。

【感想】

 言うまでもなく国連を牛耳っている大国とて、”自国の利益のため”を第一義に動いている。人道的見地の優先順位は思いの外低く、たとえ国連加盟国のどこかで暴挙が行われようとも、自国と利害関係がないと見るや見て見ぬ振りも辞さない。そして非大国はと言えば自国を守るのに必死で、他を顧みる余裕すらない。1994年のルワンダにおける大量虐殺は、そんな世界がルワンダを見殺しにした結果だ。

 映画『ホテル・ルワンダ』は、事実に基づいた物語だ。世界の非情ぶりが、そして容赦ない虐殺の経過がつぶさに語られている。ホテル・ミル・コリンの支配人ポール・ルセサバギナの口を通して、行動を通じて。

 ホテル・ミル・コリン。1泊の宿泊代金が当時のルワンダ国民の年収の半分に相当するほどの高級ホテルだ。そこでフランス人上司の下で支配人として働くポールは、対立する民族フツ族・ツチ族の両方に巧みに取り入って、何とか家族の平穏無事だけでも守ろうと日々必死だ。機転のきく利発さと、時には権力者と堂々と渉り合うしたたかさが何とも頼もしい。ポールの一挙手一投足を目で追いながら、自分だったら、夫なら、どうするのだろうと想像を巡らせた。

 危うい民族間の力の均衡が破られた時、ポールや彼の家族、そしてルワンダの無辜の民は、どのような試練に立たされ、いかにしてそれを乗り越えたのか?この映画は、それを目撃する作品である。

Photo  ルワンダはコンゴ、ウガンダ、ブルンジに囲まれた小国。

 そもそもルワンダという国は多民族国家で、長く民族間の諍いもなく、平和に共存していたらしい。それが18世紀以降王宮の影響力拡大に伴い、民族間で階級格差などが生じたのをきっかけに民族間の対立が起きたと言うのだ。

 それを悪化させたのが、第一次世界大戦後のベルギーによる支配だ。国家としてまとまっていたルワンダを分裂させるべく、民族の容姿の違いをことさら言い立て、差別意識を植え付け、対立感情を煽ったのだ。同じ所に住み、同じ言葉を喋り、同じ宗教を信じ、人種間結婚もしているフツ・ツチ両民族は、異なる民族集団としては捉えられない、というのが歴史家、民族学者の見解である。ここにも、かつての帝国主義国家の植民地政策のツケをいまだに支払わされ続けているアフリカの不幸がある。

 霧の中、突き進むバン。道路は起伏が激しく、バンは前後左右に大きく揺れる。その感触の一種異様さは画面からも伝わって来る。それが何なのか、あなた自身の目で確認して欲しい。

 自分の無知・無関心に、刃のように突き刺さる映画。自分の偽善や浅慮に容赦ない批判が浴びせられるような感覚を覚える。でも目をそむけてはいけないのだと思う。

【参考リンク】
■『ホテル・ルワンダ』公式サイト:http://www.hotelrwanda.jp/index.html
■『ホテル・ルワンダ』公開問題:http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20050616

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コメント

公開のきっかけが若者のネットによる働きかけだったことは特筆に値しますね。まだまだ若者も捨てたもんじゃないと。
日本のマスメディアの報道はどうしても偏向しがちだし(海外ニュースと言えばどうしても米中絡みのものが多い)、アフリカは地理的に遠いこともあってどうしても関心を持ちにくい。こうした映画をきっかけに、不公正な世界の現実を知ることは大事なことですよね。

日本は歴史的にアフリカや中東諸国と支配・被支配関係になかったこと、さらに他国に対して武器輸出をしていない国という意味で、当該諸国へ最もフェアな形で援助活動が可能だと思います。

投稿: Hanako | 2007年7月 2日 (月) 17時31分

Hanakoさん、こんにちは^^

この映画が埋もれず日本でも公開されたことは素晴らしいことだと思いました。 映画の使命の中にこういったメッセージと史実を風化させ姿勢は崩さないで欲しいと思いました。ただ決して美化されずに描かれて欲しいですけどね。

投稿: cyaz | 2007年6月25日 (月) 12時32分

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