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人間はどこまで”我儘”になれるのか?

Photo_11  近日公開の『サンシャイン 2057』では、寿命が尽きようとする太陽に核爆弾をブチ込んで再生させようと、科学者を中心としたクルーが太陽へと向かう。そうしなければ地球は凍り付いて、地上の生命は殆ど息絶えてしまうのだ。とは言え、この作品の主眼はそのミッションの遂行そのものより、そこに至るまでの、宇宙という特殊な舞台ならではの、或いは宇宙船という密閉空間での、クルー達の精神的・肉体的危機の状況(何れにせよ、今回のミッションは片道切符の死出の旅には違いないのだが)をサスペンス・タッチで描くことにあるようだ。

 映像的には、画面いっぱいに映し出される太陽の紅炎がド迫力で、灼熱感が視覚的に迫って来る。しかし映像の完成度の割にはプロットが雑で、矛盾点や疑問点が多々あり残念なところ。真田広之は宇宙船イカロス2号(なぜ2号なのかが、実はこの作品のミソ)のキャプテン役を知的に演じてはいるが思ったより露出が少なく、英国の鬼才ダニー・ボイル監督との仕事と言う意味では貴重な経験であったとしても、彼の代表作にはなり得ない作品だろう。

 私自身はこの作品の主題とは離れたところで、自然の摂理(太陽の滅び)に抗う人間の作為に興味を持った。他のところでも触れているが、生殖医療も「自然の摂理」と「人間の作為」のせめぎ合いのひとつと言えるだろうか。新しい生命の誕生とは、かつては人間の思うままにはできない神秘の領域であった。それがこのところの目覚ましい医療技術の進歩で、ある程度は人間による操作が可能になっている。生殖医療の進歩が、子供を望みながらも恵まれなかった夫婦に、我が子誕生のチャンスを広げているのは確かだ(それでも”100%ではない”というところは、やはり侵してはならない神の領域なのか)。これに関連して、先頃興味深いニュースがあった。

 高田延彦・向井亜紀夫妻の、代理出産で誕生した双子の男児の出生届け受理を巡る裁判の結果である。最高裁まで審理されたこの裁判は結局、高田・向井夫妻の敗訴となり、米国において米国人女性による代理出産で誕生した、事実上夫妻の双子のお子さんは、日本の法律上夫妻の子としては認められず、米国籍のまま、夫妻が保護責任者として養育する形となった。彼らは3年に一度在留届けを日本政府に提出せねばならず、日本人として、また夫妻の実子としての権利を何ら保障されない。特に双子のお子さんにとっては気の毒な結果になってしまった。

 幸いにして?このブログはマイナーなブログなので忌憚なく私見を述べさせてもらうが、私は双子のお子さんの境遇には同情しても、高田・向井夫妻に関しては共感できる部分とできない部分の両方がある。夫妻は裁判の敗訴を受けて「高い社会勉強代となったが得るものは何もなかった」とコメントされた。勉強代が高くついたのは当然の結果だと思う。こうした裁判を含め、お子さんの国籍問題も含め、諸々のリスクを覚悟の上での、日本では認められていない米国での代理出産という選択であったのだから。この日本に140万人にはいると言われている不妊治療者の中の一体どれだけの人々が、夫妻のような選択をできると言うのか。おそらく殆どの人がリスクを負うだけの経済力は持っておらず、そしてやむなく出産を諦め、新たな道を模索している人も少なくないはずだ。私の身近な友人にもいる。

 一方で、代理出産で誕生していながら、夫妻のように公言せずに出生届を提出し受理されたケースも年に10件以上はあると推定されている。それと比較して、高田・向井夫妻を「正直者が馬鹿を見るケースだ」とコメントした識者もいた。夫妻は公人としての露出度が高く、代理出産を秘密裏に進めることは最初から無理だったろうし、それならば自分達が矢面に立って代理出産の是非を公の場で問おう、という気概を持って臨んだのかもしれない。今回の裁判後の会見でも、単に代理出産だけでなく生殖医療全体についての見直し―公的援助の必要性を訴えていた。国が少子化問題を声高に訴えながら、生殖医療のバックアップ体制やそれに伴う法整備が十分でない点を広く知らしめたと言う意味では、夫妻の果たした役割はけっして小さくないと思う。

 ただどうしても、他人のお腹を借りて行う「代理出産」には、人間の不遜を感じてならないのだ。母体となる女性は金銭の代わりに、生命の危険という大きなリスクを負うことになる。そこにたとえ「人助けをしたい」「妊娠・出産は尊い行為」と言った高尚な言葉が並べ立てられようとも、(財力を)持てる者と持たざる者の社会的格差が見え隠れしている。また、ある程度の努力をしても子供が授からないのは、そこに”何らかの意思”が働いているのではとも思うのだ(哲学の国フランスでは「代理出産」は法律で禁じられている。米国でも州によって認めている州とそうでない州がある。それだけ議論の余地があるということなのだろう)

 子供が欲しい人にとっては残酷な運命なのかもしれないが、「諦めること」「運命を受け入れること」も、人間には必要なことではないかと、最近の人間社会全体の在り様を見て思う。「人間の叡智を以てすれば不可能なことはない」「自然は征服すべきもの」と言った傲慢な思いが今確実に人間社会を支配していて、それによって様々な問題が生み出されているのではないかと思えて仕方がない。果たして、人間の”我儘”はどこまで許されるのだろうか?

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コメント

Sakuraさん、新生活もやっと落ち着かれたようで何よりです。

私も体外受精はまだしも、他人にリスクを押しつけてまでの代理出産には疑問を持っています。そこにお金が絡むとなればなおのこと、持てる者の傲慢な振る舞いに思えてなりません。

過日、向井さんが「オーラの泉」というテレビ番組に出演した時に、レギュラー出演者(エハラ氏とミワ氏)が彼女の行為に対して礼賛一辺倒なのに驚きました。果たして、彼女の一連の振る舞いに何ら問題点はなかったのか?レギュラー出演者の見識を疑いました。

ある意味、日本で一番有名になってしまった双子の男児。もちろん、生まれて来た命をけっして否定するものではないですが、向井さんには母親としてもっと広い視野を持ち、他者の痛みにももっと敏感になっていただいた上で、お二人を育てていただきたいですね。「大きなお世話」と言われそうですが。

現状のままでは、多くの人々、不妊治療中の方々からさえも、理解や共感を得ることは難しいように思います。

何だか、随分とコチラは放ったらかしでした。またボチボチ書いて行こうと思っています。よろしければ、引き続きお付き合いくださいませ。

投稿: 管理人Hanako | 2007年6月15日 (金) 15時18分

こんにちは。内容盛りだくさんなので、ゆっくり読ませていただいています。代理出産の件は常々疑問を持っておりました。自然な受胎、妊娠においても染色体異常など、さまざまなリスクがあります。それを引き受けながら子育てをしている方々もいらっしゃいます。自然の摂理からははるかにかけ離れた形でお子さんを授かるのは向井夫妻にそれ相応の覚悟というものがおありだったと思います。3歳までは子供というのは一時も目が離せない恐ろしく手のかかるものです。双子のお子さんとの子育てに奮闘するご夫妻の様子もぜひ見てみたいものだと、思いました。

投稿: Sakura | 2007年4月25日 (水) 16時47分

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