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ミュンヘン

Photo_4  公開当時、本作について一部映画評はなかなか辛口であった。「何を今さら。既に言い古されたテーマ」「あのスピルバーグをして、このテーマについてこの程度のことしか言えないのか」など。しかし、この作品に描かれた当時の状況は、30年を経た今も殆ど変わらず、人々を苦悩の内に置いている。スピルバーグは途切れることのない憎悪の連鎖を、それによって繰り返される暴力を本作で描きたかったのではないか、と個人的には思った。このことを忘れないで、そして自分の問題として考え続けて…と。

 ラストシーンの、今はなきWTCビルの姿が象徴的だ。劇中でもパレスチナ・ゲリラの一人、アリが熱く語っている。「土地を取り戻すまで、100年でも我々は闘う」彼の地には、この言葉通りの現実がある。彼らはそこにパレスチナ国家を樹立するまで、それこそ百年でも数百年でも千年でも闘い続けるのではないか?主人公アブナーはアリの言葉にこう反駁するのだった。「あの岩ばかりの土地でもか?」

 私は彼の地の近隣に住んだことがあるので、その地勢は行ったことのない人よりは多少は知っているつもりだ。確かに土漠と言ってもよい草木の殆どない地域もある。しかし、例えばヨルダン渓谷周辺には田園風景や果樹園が広がっていた。そこで収穫される農作物には旬があり、季節毎に八百屋の品揃えには変化があった。果実は乾燥した空気で乾きがちな喉を潤すに十分な果汁を含み、野菜も日本のハウス栽培野菜と違って味にコクがあった。そうしたキュウリやニンジンをおやつ代わりにかじりながら、地元の少年達は布を巻き付けて作ったお手製のサッカーボールを路上で蹴って遊んでいたりする。瑞穂の国、日本と比べれば乾燥した岩ばかりで、水の確保も難しい生存環境の厳しい土地と言えるのかもしれないが(だからこそ、世界4大宗教のうち、3つまでもがこの地で生まれた?!)、そこで生まれ育った人間にとっては、かけがえのない故郷と言えるのだろう。

 他人には窺い知れぬ愛着が、その土地の人間にはあるのだ。それは、例えば日本の豪雪地帯の人々にも言えるのではないだろうか。昨年はいつにない大雪で、集落が雪のために交通路を断たれ孤立するケースが続出した。比較的自然災害の少ない都会の人間の中には、「あんな所にはとてもじゃないが住めない」と思った人も多いのではなかろうか?しかし、そこにはその土地を愛し、そこに執着する人々がいるのだ。テレビ中継で映し出される映像には、年寄りだけでなく10代の若い姿もあった。こうした土地の冬の厳しさの後には素晴らしい春の訪れがある、と人づてに聞いたことがある。劇的な四季の変化はその土地の宝と言えるのかもしれない。

 土地に執着する人々の思いを、誰が否定できよう。何千年というスパンで見れば、ユダヤ民族パレスチナ民族共に同じ土地で平和裏に共存していた時代もあったはずだ。それが”国家”という単位になると事態がややこしくなる。国体護持のために、個人の幸福が犠牲になる。それは非情にも人類の歴史で繰り返されて来たことだ。命を賭して、家族との平穏な生活を犠牲にして、国家に忠誠を尽くした結果はどうだ?国家は彼らの愛国心に応えてくれたのか?本作ではアブナーやアリを語り部に、その不条理を衝いている。現実問題として、国家の存在、そして安定なしに自分の平穏な暮らしはないとは理解はしていても、「国家なんてクソくらえ」と、本作を見て思った。

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