トップページ | 2007年4月 »

2007年3月

サンシャイン2057

Photo_7  先日、TOHOシネマズ六本木ヒルズで行われたジャパン・プレミアを見て来た。今、現実世界では地球温暖化の危機が叫ばれている。ところが本作は、太陽の寿命が尽きようとすることが原因で寒冷化の危機にある50年後の地球、という設定である。地上の全てが凍てつく地球の危機を救うべく、世界中の核物質を掻き集めて製造されたNYマンハッタン島大の巨大な核爆弾を太陽に投下するミッションを負って、太陽へと向う科学者らを中心とした8人のクルー。閉ざされた宇宙船内で彼らの身に何が起きるのか、彼らは果たしてミッションを無事遂行し太陽を蘇生できるのか…

 もちろん、『トレイン・スポッティング』『28日後』を手掛けたダニー・ボイル監督のことである。一筋縄では行かないことを予感させる。大胆な着想で、また驚かせてくれるのではと期待大で開演を心待ちにした。開始早々に映し出された壮大なスケールの宇宙空間。弥が上にも心臓の鼓動が高鳴る。かつての天文学少女は、それだけで作品世界に引き込まれた。

 見終わっての印象を言うと、ツッコミどころ満載の映画であった(笑)。ネタバレになるから詳細は述べないが、矛盾点は多々あったように思う。例えば最初の任務の遂行においては、指揮系統のセオリーから言っても、ミッション遂行の優先順位という点でも、担当者の人選には大いに疑問の残るところであった。また監督は世界において将来アジアが大きな役割を担うとしてクルーの半数はアジア系を採用しているが、それでもクルーの中に黒人の姿がないのは腑に落ちないし、結局白人がヒーローで、それ以外の人種は白人を支える役回りでしかないと言う点も、昨年の『ポセイドン・アドベンチャー』を見た時と同様に感じたことである。所詮ハリウッド映画→訂正:英国フィルム・カウンシル提供でした(^_^;)。真田広之のインタビュー記事を見ると、ハリウッド資本のMade in U.K.?)白人発の映画ということなのだろうか(しかし、最近のロンドンは、庶民の利用する地下鉄なんて、英語よりそれ以外の言語の方が多く聞こえて来るぞ。ここ10年の多国籍化は凄い。場所によっては非白人の方が多いくらいだ。そんな状況だからこそなおのこと白人且つ英語圏の人間の存在感を誇示したいのかな)

 映像美は期待通りの素晴らしさだった。しかし既視感はある。過去の作品の影響は否めず、それらを超えたとも思えない(実際、過去の名作・傑作を超えるのは今をときめく監督を以てしても至難の業だよね)。また開演前の真田広之、キリアン・マーフィの舞台挨拶でも言及されたように、50年後の(船外活動用の)宇宙服にはビックリである。古代の土偶かと思った(笑)。もっとも40年近く前に人間は月面着陸したはずなのに、その後の宇宙開発は殆ど進展が見られていないのだから、今後50年を経ても大した進展はないのかもしれない。演出という点では、閉ざされた船内で追い詰められるクルーの焦燥感、恐怖感の描写は、ダニー・ボイル監督の真骨頂と言えるだろうか?あたかも自分自身がその船内にいるかのような錯覚に陥って、思わずイスから飛び上がったり、背筋が寒くなることもあった。「ポップコーンをしっかり抱えてね」と言う、舞台挨拶の最後のキリアン・マーフィのメッセージに納得である。

 さて、雄大な宇宙の前に人間は改めて自らの存在の些末さを自覚し謙虚になって、太陽の滅びと言う「自然の摂理への抵抗」を「神に対する冒涜」と感じるものなのだろうか?「人間の作為」と「自然の摂理」とのせめぎ合い。これは現代の人間世界が抱える問題でもある。例えば、生殖医療など、その最たるものだろう。しばしば「神」を口にする本作の登場人物の姿に、昔読んだ立花隆の『宇宙からの帰還』で取り上げられた宇宙飛行士らのエピソードが思い出された。

―人間は宇宙で神に出会うのだろうか?それとも…

【追記】
 今回はジャパン・プレミアで真田広之キリアン・マーフィが舞台挨拶に登場すると聞いて、それも大きな楽しみのひとつだった。私は友人と二人VIP席のすぐ後ろに陣取って、彼らの登場を今か今かと待ち構えた。約600人の入場者の場内案内に手間取って予定より遅れた舞台挨拶(どうにかならないのか?非効率的な誘導方法!)。
 まず、司会進行のリリコが登場。その後真打ちの二人が登場。凜とした佇まいの真田広之とカジュアルな雰囲気のキリアン・マーフィ。キリアンの傍らにピタリと寄り添うのは字幕翻訳家の戸田奈津子。意外に小柄なキリアン。真田広之と殆ど同じ背格好である。遠目にはあの瑠璃色の瞳の輝きが判然としない。残念!
 今年、米アカデミー賞のプレゼンターを務めた渡辺謙の華々しさの陰に隠れがちな我らが真田広之!まだ世界は彼の魅力の半分も知らないでいるのだと思う。常々日本の俳優のスピーチ下手には閉口しているが、今回の真田広之の舞台挨拶は堂々としたもので、時にはユーモアも交えながら過不足なく映画の魅力を伝えて見事だった。
 彼は5歳で子役としてデビュー。その後一時中断したものの、中学時代には既に世界を見据えて、毎日3時間、アクション、空手、日舞、芝居、ジャズダンスを日替わりでこなし、日曜日は2~3本立てで映画を見ていたと言う。「ラスト・サムライ」でも、描かれるサムライがよりリアルな日本人像に近付けるよう積極的に監督にアピールした話は有名。
 渡辺謙に続き、彼がブレイクする日が近いことを祈りたい。その意味では今回の『サンシャイン2057』のカネダ船長役は思ったより出番が少なく、いささか不満が残る。彼自身はそんなことなど気にしていない様子。そこが真田広之らしいと言えば、らしい。今後も着実に実績を積み上げて、その存在感を世界に見せつけて欲しいと思う。

【追記2】
 プロットについて。SFサスペンス大作かと思いきや、突然スリラーへの転調。そう言えば、最近似たような転調を見た覚えがある。そう『デジャヴ』だ。本格推理サスペンスか超常ミステリーと思いきや、途中でSFになっていた。まあ『デジャヴ』はブラッカイマー制作だから分かるとして(笑)。そういう意味でも、本作は正統派A級よりB級テイストな作品だと思った。宇宙の映像が荘厳なだけに、プロットの荒っぽさ(緻密さに欠ける)が目立ってしょうがない(でも嫌いじゃないよ)


【作品データ】
提供:FOXサーチライト・ピクチャーズ/DNAフィルムズ 制作:アンドリュー・マクドナルド
脚本:アレックス・ガーランド 監督ダニー・ボイル 撮影:アルウィン・カックラーB.S.C
美術:マーク・ティルテスリー 編集:クリス・ギル 音楽:ジョン・マーフィ/アンダーワールド
出演:ローズ・バーン(SW EP2、ホワイト・ライズ、トロイ、マリー・アントワネット)
    クリフ・カーティス(トレーニング・デイ、クジラの島の少女、ニューオリンズ・トライアル)
    クリス・エヴァンス(セルラー、ファンタスティック・フォー)
    トロイ・ギャリティ(バンディッツ、ダイアモンド・イン・パラダイス、ジェーン・フォンダの息子)
    キリアン・マーフィ(28日後…、真珠の耳飾りの少女、プルートで朝食を、
    バットマン・ビギンズ、麦の穂をゆらす風、他多数)
    真田広之(柳生一族の陰謀、戦国自衛隊、ラストサムライ、上海の伯爵夫人、他多数
    ベネディクト・ウォン(堕天使のパスポート)
    ミシェル・ヨー(ポリス・ストーリー3、宋家の三姉妹、007/トゥモロー・ネバー・ダイ
    グリーン・デスティニー、SAYURI、他多数、元ミス・マレーシア、倍賞美津子似?)

【参考リンク】
■『サンシャイン2057』公式サイト:http://movies.foxjapan.com/sunshine2057/
■監修:ブライアン・コックスって何処かで聞いた名前だなと思ったら…:http://international.aol.co.jp/voices/briancox.html
■逆のケースもあったか…キリアン、無神論者に:http://ncr2.net/2007033594.php

■真田広之インタビュー:http://international.aol.co.jp/voices/hiroyukisanada.html
■全世界版と日本版とでは宣伝ポスターが違う?!見終わった後の違和感はこれだったのか?http://blogs.yahoo.co.jp/tkr_21/45551323.html
■ブログ内関連記事:http://hanakonokoukishin.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_1cea.html

| | コメント (5)

ミュンヘン

Photo_4  公開当時、本作について一部映画評はなかなか辛口であった。「何を今さら。既に言い古されたテーマ」「あのスピルバーグをして、このテーマについてこの程度のことしか言えないのか」など。しかし、この作品に描かれた当時の状況は、30年を経た今も殆ど変わらず、人々を苦悩の内に置いている。スピルバーグは途切れることのない憎悪の連鎖を、それによって繰り返される暴力を本作で描きたかったのではないか、と個人的には思った。このことを忘れないで、そして自分の問題として考え続けて…と。

 ラストシーンの、今はなきWTCビルの姿が象徴的だ。劇中でもパレスチナ・ゲリラの一人、アリが熱く語っている。「土地を取り戻すまで、100年でも我々は闘う」彼の地には、この言葉通りの現実がある。彼らはそこにパレスチナ国家を樹立するまで、それこそ百年でも数百年でも千年でも闘い続けるのではないか?主人公アブナーはアリの言葉にこう反駁するのだった。「あの岩ばかりの土地でもか?」

 私は彼の地の近隣に住んだことがあるので、その地勢は行ったことのない人よりは多少は知っているつもりだ。確かに土漠と言ってもよい草木の殆どない地域もある。しかし、例えばヨルダン渓谷周辺には田園風景や果樹園が広がっていた。そこで収穫される農作物には旬があり、季節毎に八百屋の品揃えには変化があった。果実は乾燥した空気で乾きがちな喉を潤すに十分な果汁を含み、野菜も日本のハウス栽培野菜と違って味にコクがあった。そうしたキュウリやニンジンをおやつ代わりにかじりながら、地元の少年達は布を巻き付けて作ったお手製のサッカーボールを路上で蹴って遊んでいたりする。瑞穂の国、日本と比べれば乾燥した岩ばかりで、水の確保も難しい生存環境の厳しい土地と言えるのかもしれないが(だからこそ、世界4大宗教のうち、3つまでもがこの地で生まれた?!)、そこで生まれ育った人間にとっては、かけがえのない故郷と言えるのだろう。

 他人には窺い知れぬ愛着が、その土地の人間にはあるのだ。それは、例えば日本の豪雪地帯の人々にも言えるのではないだろうか。昨年はいつにない大雪で、集落が雪のために交通路を断たれ孤立するケースが続出した。比較的自然災害の少ない都会の人間の中には、「あんな所にはとてもじゃないが住めない」と思った人も多いのではなかろうか?しかし、そこにはその土地を愛し、そこに執着する人々がいるのだ。テレビ中継で映し出される映像には、年寄りだけでなく10代の若い姿もあった。こうした土地の冬の厳しさの後には素晴らしい春の訪れがある、と人づてに聞いたことがある。劇的な四季の変化はその土地の宝と言えるのかもしれない。

 土地に執着する人々の思いを、誰が否定できよう。何千年というスパンで見れば、ユダヤ民族パレスチナ民族共に同じ土地で平和裏に共存していた時代もあったはずだ。それが”国家”という単位になると事態がややこしくなる。国体護持のために、個人の幸福が犠牲になる。それは非情にも人類の歴史で繰り返されて来たことだ。命を賭して、家族との平穏な生活を犠牲にして、国家に忠誠を尽くした結果はどうだ?国家は彼らの愛国心に応えてくれたのか?本作ではアブナーやアリを語り部に、その不条理を衝いている。現実問題として、国家の存在、そして安定なしに自分の平穏な暮らしはないとは理解はしていても、「国家なんてクソくらえ」と、本作を見て思った。

| | コメント (0)

彼らをテロへと向わせるもの『パラダイス・ナウ』

Photo_3 「物事を”邪悪”と”神聖”にわけるのはナンセンスだ。私は複雑きわまりない現状に対する人間の反応を描いているのです」
―ハニ・アブ・アサド監督


 イスラエルで繰り返されている自爆テロのニュースでは、いつ、どこで、どういったシチュエーションで、何という組織の何人の加害者によってそれが行われ、何人の被害者が出たか…が伝えられるのみである。 しかし、各々の事件の背景には私達日本人には計り知れない現地の複雑な歴史的・地政学的事情が控えており、不幸にして被害者対加害者として関わらざるを得なかったイスラエル人とパレスチナ人それぞれの個々の人生があったはずである。かつて何千年にも渡って同じ地で平和裏に共生していたはずの両民族に、この100年足らずの間に何が起きたのか。

 この作品は冒頭で引用した監督の言葉にもあるように、イスラエル・パレスチナ問題において誰が正しく、誰が誤りなのかを問うているのではない。イスラエル在住のパレスチナ人監督が、パレスチナ人の視点から自爆テロへの道程を描いてはいるが、だからと言って、けっして自爆テロを肯定するものでもない。あくまでも複雑な背景を抱えた土地に住む、ごく普通の~冷酷無慈悲な殺人鬼ではない~青年が、未来を展望できない八方塞がりな現状に苦悩し、内面的葛藤を経て、非情な自爆テロ犯へと至るまでの姿を淡々と綴った映画である。

「ここでの生活は牢獄と変わらない」(サイード)
「地獄で生きるより、頭の中の天国の方がマシだ。今は死んだも同然」
(ハーレド)


 舞台となっているヨルダン川西岸地区のナブルスは、(見ての通り)乾いた岩だらけの土地である。丘の斜面にへばりつくように石造りの家が建ち並び、遠目にはガレキの山のようにも見え、色彩感の乏しい街並みだ。それだけにその背景に広がる青空がやけに眩しく色鮮やかに見える。そんなナブルスで自動車修理工として働く幼なじみの二人、サイードとハーレド。客もまばらで暇を持て余しぎみ。貧しく、娯楽も乏しく、何をするでもない。それでも恋はする。サイードにはほのかに思いを寄せる女性がいる。しかし、貧しすぎて、彼女との幸福な未来像を描くことさえ叶わない。そんな中、抵抗組織に勧誘される二人。つい数時間前までウダウダしていた彼らが、自爆テロ犯に仕立て上げられる過程があまりにもあっけなく、それだけに彼らの身近に平然と存在するテロの在り方が恐ろしい。胴体に爆弾を装着され、礼服に身を包み、テロ実行へと向う二人。実はここから彼らの葛藤が始まるのである…

 そもそもイスラエル・パレスチナ問題は、ヨーロッパにおけるユダヤ人差別が端緒であった。そのエピソードは古今の映画でも描かれている通りである(『ベニスの商人』では思わず、アル・パチーノ演じるシャイロックに感情移入してしまった)。その決定打となったのはナチス・ドイツによるユダヤ人ジェノサイドである。これにより、ヨーロッパを中心に世界各地に離散していたユダヤ人に、ユダヤ国家建設願望が沸き起こり、程なくシオニズム運動へと発展した。”土地なき民に土地を”のスローガンのもと、これを後押ししたのが、欧米諸国である。ヨーロッパ在住のユダヤ人の「移民」が否応なく進められると同時に、それまで平和に暮らしていたパレスチナ人は強制的に自らの土地から追いやられ、離散の憂き目に遭った。

■ユダヤ人差別についてのブログ内関連記事:
http://hanakonokoukishin.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_29a3.html

 限られた土地を巡って新旧の居住者が争うのは日を見るより明らかである。イスラエル・パレスチナ闘争とは、パレスチナ人から見れば何千年にも渡って住み続けて来た土地、ユダヤ人からすれば神から約束されたユダヤの土地を、互いに奪還しあう闘いなのである。こうした土地を巡る闘争は、互いの血を非情なまでに流し合い、民族間の対立のみならず、個人的な憎悪まで生み出している。両国と利害関係のない日本から見れば、これは理解し難い、不毛のそして不幸な闘いである。しかし現在進行形の闘いなのである。

立ち位置が違えば、見える景色も違う

 私達にまず必要なのは、当事者達が置かれた状況の中で、彼らの目に何が見えているのかを想像することなのかもしれない。実はこの”想像力の欠如”が、世界中で起きている問題に対して、私達を国際社会を、罪深き傍観者にしているかもしれないのだから。

3月10日(土)より東京都写真美術館ホールにて公開。
『パラダイス・ナウ』公式サイト

【参考文献】
・ルーシー・S・ダビドビッチ/大谷堅志郎訳
 『ユダヤ人はなぜ殺されたか』(サイマル出版会、1975)
・エリアス・サンバー/飯塚正人監修、福田ゆき・後藤淳一訳
 『パレスチナ』(創元社・「知の再発見」双書、2002)
・立山良司『イスラエルとパレスチナ』(中公新書、1989)

| | コメント (0)

ココログ・デビューであります♪

 初めまして。「はなこ」と申します。こちらには主に映画館や試写会で見た映画について書いて行こうと思っています。映画を糸口にあれこれ調べたり考えることが好きです。それは社会問題であったり、歴史であったり、科学であったり、人の心であったり…といろいろ。映画を通じてさまざまなことを学んでいる自分がいます。

 ココログには記事を書くに際して字数制限はないようなので、思うままに書いています。筆が走って(笑)ついつい長文になりがちですが、よろしくお付き合いくださいませ。楽しいコメント&示唆に富んだコメント、作品理解を深めるきっかけとなるTBを歓迎します。ただし、当ブログの主旨にそぐわない(具体的にはダイレクト・メールまがいのもの、意味不明のサイトへの接続など)と管理人が判断した場合、断りなく削除させていただきますので、その旨ご了承ください。

【とりあえずの目標】できるだけマメにブログを更新する。

| | コメント (0)

トップページ | 2007年4月 »