みんなが幸せになる方法(ひとつの考え方)

民主党代表選に出馬する岡田氏が会見で「国民が幸せになるよう後押ししたい」と述べた。結局スローガンだけで、具体的にどのような政策で国民の幸福を実現するのかについての言及はなかった。具体性のなさは対抗馬の鳩山氏も同じ。「友愛政治」って何よ?

すべての国民が、と言うのはかなりハードルが高いかもしれないが、多くの国民が幸せになる為にはどうしたら良いのだろう?本当は人任せ(例えば政治に期待するとか…)にしては、いつまで経っても実現しないのではないか?結局のところ、国民ひとりひとりの心がけにかかっているのではないか?

最近、「神の手を持つ」と賞賛される脳外科医、福島孝徳氏の本(『福島孝徳 脳外科医 奇跡の指先』(PHP文庫))を読んで感銘を受けた。何に感銘を受けたかと言えば、福島医師の仕事に対する姿勢だ。彼は「すべてを患者さんのために」と言う心構えで、脳外科医という仕事に全力で取り組んでいる。

1日も早く一人前の外科医になりたいと若い頃は率先して手術経験を積み、患者の身体的負担を減らすべく画期的な手術技法と様々な手術器具を自ら開発し、要請があれば世界各地へと赴く。しかも手術器具が整っていない国・地域には自腹で器具を持参し、術後には寄付。さらには、できるだけ多くの患者を救うべく、脳外科医育成財団を設立したり、自らの手術の様子をビデオ教材として提供し、後進の育成にも力を注いでいる。

そのすべてが「患者さんのために」というただひとつの目的に収斂される。そこに私利私欲は一切ない。彼が得た世界的名声は、彼の類い希な業績の結果に過ぎない。その名声さえ利用して、彼は脳外科学会、ひいては医学界全体の発展に尽くし、その成果を患者に還元しようとしている。その点に私は心を打たれた。

その型破りな言動は、日本の医学界の枠には収まりきらず、彼は40代で国外へと飛び出してしまった。今や独自に確立した「鍵穴手術」で、脳外科手術の世界的権威。世界をまたにかけて複数の大学の教授を兼任している。これは所謂「頭脳流出」ですな。世界の為には良かったが、日本にとっては大きな損失だったのではないか?こうした大器を生かす余裕が、日本の医学界になかったのがとても残念だ。

福島氏は近著で、日本の医療に対し率直な提言を行っているが、果たしてどれだけ理解され、受け入れられるのだろう?アメリカナイズされた合理性がそのまま日本の医療に適用できるとは思わないが、謙虚に耳を傾けるべき点は多々あると思う。なぜなら、彼の視点は一貫して「患者本位」だからだ。

福島氏についてさらに興味深い点は、「神の手を持つ」と賞賛されながらも自らの限界を自覚し、最後は「神」(福島氏は明治神宮の神官の家に生まれた)に患者の命を委ねる「謙虚さ」である。真の実力者はけっして驕り高ぶらない(逆に実力のない者ほど、自らを強く、大きく見せようとする)。自らが長年に渡って培った技術を惜しみなく後進に伝えるという姿勢も、彼の偉ぶらない人柄をよく伝えている。

人はそれぞれ何らかの役割を担って、この世に生を受けたはずだ。ひとりひとりが私利私欲に囚われることなく自分の役割を誠実に全うすれば、世の中は劇的に変わるのではないか?別に大それたことではけっしてないと思う。日本国民は日本国民として、親は親として、子供は子供として、職業人は職業人として、自分が今何をすれば最善なのか誠実に考えて、行動に移すだけのこと。それが長年に渡って疎かにされて来たから、現代社会は機能不全に陥り、多くの人が閉塞感に囚われ、自らの人生に幸福を見いだせないのだと思う。まずは自分が変わらなくちゃ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『同情するなら助けてくれ』

タレントの清水由貴子さん(49)が、父の眠る霊園で自殺したニュースは衝撃的だった。

「タレント清水由貴子が21日、父が眠る静岡県内にある冨士霊園で死亡しているのが発見された。49歳だった。調べによると、午後1時30分ごろに清水さんと母親が倒れているのを、霊園の職員が発見。救急車が駆け付けたが、清水さんはすでに死亡していた。母親は意識不明のまま病院に運ばれている。死因は自殺とみられている。

 清水さんは、1976年2月18日のテレビ番組「スター誕生!」で、ピンクレディーを上回る評価で大会最優秀賞を受賞。77年3月1日に「お元気ですか」で歌手デビューしていた。同期の高田みづえ、榊原郁恵とは「フレッシュ三人娘」と呼ばれて、人気を博していた。その後も、お母さん役としてドラマやCMで活躍していた。」(『ニッカンスポーツ・コム』)


その日は雨が降っており、 「父の墓前で横向きに倒れた状態で死亡していた彼女の傍らには、車椅子に乗った母(80)が呆然としたまま雨に打たれていた」と言う。 「『迷惑をかけてすみません』『消防署に知らせてください』と大きな字で書いた紙2枚が見つかった」「清水さんの死亡推定時刻は前日の午後5時頃。母親は息絶えた娘をどうすることもできず、一昼夜をともに過ごしていた」(以上、引用文は4/23付サンケイ・エクスプレスより)。その情景を想像するだけでも胸がしめつけられる。


私と同世代で、しかも華やかな芸能界に身を置いていた女性が、老母の介護の為に仕事を辞め、最後は自ら死を選んだことに心底驚いた。その後の報道を注視しているが、概ね以下のような論調である。

・清水由貴子さんは父亡き後、女手ひとつで彼女と妹を育ててくれた母を心から愛し、長年糖尿病と腎臓病を患い、近年は失明し車椅子生活となった母を献身的に介護していた。
・母の介護と仕事の両立に悩んだ末に2006年に、デビュー以来所属していた芸能事務所を辞め、実質芸能界を引退した形になっている。最近は母をデイケア施設に預け、パートの仕事に従事していた。
自殺の原因は介護疲れか。温厚な性格で近所の人々とも良好な関係を築いており、母子の仲睦まじい姿を何度も目撃されている。基本的に在宅介護だが、デイケアをはじめ公的介護サービスも受けており、関係者には介護疲れを訴える様子はなかった。自殺の前日も母と妹と3人で食事に出かけ普段と変わらない様子だった。しかしパート契約の更新はしないと妹には話していた。

母親想いの彼女はマスコミで手放しで賞賛され、その痛ましい死は同情されている(本当はもっとワガママでも良かったのに。優し過ぎたんだね)。代わる代わる専門家が登場しては、介護問題を講釈する。 「介護の問題を解決するには国の介護保険ではダメで、地域で取り組む仕組みを作る必要がある。家族だけの介護は限界だ」(日向野春総・常楽診療所長、精神科医)。しかし、それで良いのだろうか?彼女の死を美談仕立ての悲劇としてこのまま終わらせてしまっていいのだろうか。他の下らないニュースと同列に一過性のニュースとして読み流していいのか。

(私の目配り不足かもしれないが)どのマスコミも「問題提起」だけで、「問題解決」の方向性を具体的に示してくれていない。かつては「老老介護」が問題視されたが、今回の清水さんのようなケースは「シングル介護」とも言われ、未婚であるが故に精神的・経済的支え手が少なく、「出口の見えない介護生活」に将来を悲観し、絶望してしまいがちだと言う。

ちなみに政府調査では、2007年には在宅介護者から265人の自殺者が出たと言う。さらに4人にひとりが鬱症状を訴えていると言われている。

その苦しみを公に訴える場所も殆どない。プロである介護ケアの担当者らは、個々の介護家族が悩みを吐露する受け皿にはなっているが、その思いを集約し、世に訴えて、介護問題を社会的緊急課題として世論形成する圧力装置にはなっていない。介護問題に直面し、苦闘している人々を先導し、解決に向けて具体的に効力を発揮できるはずの国や地方自治体、企業へ働きかける役割を担うべきは、誰あろうマスコミではないだろうか?

「酔っぱらって裸になっちゃっただけの」草薙君を追いかけ回すヒマがあったら(←これは経済的損失を拡大するだけの、社会にとって何の役にも立たない行為) 、本来貴重な働き手であったはずの人々を家庭に閉じ込めてしまう、社会的損失の大きな「介護問題」の解決に繋がるような働きを少しはしたらどうなのだろう?

テレビ報道を見る限り、介護による社会的経済的損失に着目し、国や企業が解決に向けて動くべきだと提言した、『ニューズウィーク日本版』編集長の竹田圭吾氏のコメントが一番私の心に響いた。確かに介護する人々の苦悩や愚痴を周りの人間が聞くこと(私もここ数年父を介護する母の愚痴をずっと聞いて来た。中学の時には認知症の祖父が垂れ流した糞尿で汚れた自宅の廊下を拭き掃除したなあ)は多少の救いには繋がるかもしれないが、それだけではまだ不十分で、根本的な問題解決には至らない。もっとドラスティックに問題を解決するには、国民全体で介護に対する問題意識を共有し、社会全体でその責務を負うようなシステム作りをする必要がある。その為には国や企業も積極的にその作業に関わらなければダメだと思う。

具体的には(私が思いつく限りでも)
(1) 男女問わず、親族に要介護者が出た時に迷うことなく介護する権利が与えられること。或いは、介護を代替する要員を確保できること。
(2) 介護者が介護に従事しながらも自分自身の為の時間を持てる環境、十分な休息が取れる環境、さらには介護者同士及び介護者と周囲の人々が精神的に支え合う環境を作ってあげること(定期的に集い、語り合う場を設けるなど)
(3) (1)、(2)が当然の権利として社会的に認知され、保証されること(←介護に直接当たる機会のない人間も、介護者の立場を理解し、介護者の権利を認め、それを手助けすること)
(4)そうした仕組みを、社会的経済的損失を最小限に抑える形で、国や企業が支援すること。

自分を産み育ててくれた老親、長らく日本社会に貢献して来た老人に恩返しすることは人間の道理として当然だし大切なことだが、だからと言って、その為に若い世代が自らの人生を犠牲にするのは理不尽である。現状は、あまりにも個人に介護の負担を強いており、個人の人生を犠牲にし過ぎている。それは介護される側の立場から見ても酷である。このままでは「長生きすること」に罪の意識を負わされかねない。それが超高齢化社会である日本の最大の問題だと思う。

考えてみると、映画『楢山節考』にも描かれた「姥捨山」の存在は、老人介護の問題が昔からあったことを意味している。貧しかったが故に、衰弱した老親を山に遺棄せざるを得なかった昔。経済大国となり、食生活の向上、医療技術の発達で世界に比類ない高齢化社会となり、老親を長期間介護することが当たり前となったが故に、様々な問題が生じている現代。皮肉な話である。

個人的には脳死状態に陥った父の延命治療を巡って、最近兄弟とケンカしたこともあり、人生の終末期において人間はどうあるべきかについて考えていたところなので、今回の清水さんの一件は心にズシンと来た。最後に清水さんのご冥福を心から祈ります。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

フロスト×ニクソン(FROST×NIXON)

「ウォーターゲート事件」だけでは語れない
リチャード・ニクソンという人物像
 80

映画の本筋とは離れるが、アメリカ合衆国大統領経験者はホワイトハウスを去った後も、生涯プレジデンシー("The Presidency";大統領職の地位と名誉”とでも訳しましょうか?)を背負い続けるものなんだなあ…と言うのが、この映画を見て、まず感じたこと。

劇中、既に引退したニクソン氏を、誰もが「Mr. President」と敬称で呼ぶのが印象的だった。それは傍目にも、その職務の重みをヒシヒシと感じる瞬間である。だからこそ、米国及び米国民は、大統領職への背信とも取れる犯罪スキャンダルでの辞職を許せなかったのだろう。彼は大統領経験者でありながら、死去の際、国葬は執り行われなかった。

本作は、第37代アメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソン氏が、ウォーターゲート事件をきっかけに自ら大統領の職を辞した後、汚名にまみれた自身の名誉を回復し、政界復帰を期すべく臨んだインタビューを巡る物語である。既に結果は出ている話なので、物語の結末がどうこうと言うより、息詰まる対決のプロセスを楽しむタイプの作品だと思う。

この映画が描かれた時代を私の個人史に重ねてみると、私が中学生の頃の話である。こうしたインタビューが行われ、それがニクソン氏の政界復帰を絶望的なものにしたことを、この映画を見るまで私は知らなかった。そもそも、「ウォーターゲート事件」でさえ、それが現職大統領を辞任に追い込んだ、米国政治史上特筆される大事件であったことも、記憶の彼方に押しやられた格好だ。はて、「ウォーターゲート事件」って、どんな事件だったっけ?

◆「ウォーターゲート事件」(ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6

上記リンクのウィキペディアには事件の経緯が詳細に紹介されているが、かいつまんで言えば、

ウォーターゲート・ビルに入居していた民主党本部に盗聴器を仕掛けた侵入犯とニクソン大統領との関わりが、マスコミの追求によって明らかにされ、大統領が任期途中で辞任に追い込まれた事件、である。

この事件をマスコミの側の視点から描いたのが、ダスティン・ホフマン&ロバートレッド・フォード主演の映画『大統領の陰謀』(1976)(→http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=13725)。傑作の誉れ高い同作だが、事件発覚から僅か4年後の公開で、あくまでも事件記者の視点から描いた作品であることを考慮すれば、謎解きミステリードラマとしては面白いのかもしれないが、「ウォーターゲート事件」の全容を理解するには不十分なのかもしれないと、今回、本作を見て思った(因みに、当時再選確実と言われたニクソン陣営が、なぜ民主党本部へ盗聴器を仕掛けたのかは、未だ謎だそうである)。「歴史的事件」と称される過去の大きな出来事や歴史上の人物について公正な評価を下すには、さまざまな角度から慎重に検証を行う必要があり、その為にもそれ相当の長い歳月を要するのではないだろうか?

70 私は特に感銘を受けた作品、内容をより深く理解する為に、その背景を知りたいと思った作品は、鑑賞後にパンフレットを買うことにしているが、本作は何れの理由にも当てはまるので、迷うことなく買い求めた。このパンフレットの類は、その販売形態の特殊性から、書店で本を買うのとは勝手が違って中身をチャックすることなく買うしかないせいか、結構当たり外れがある。本作のパンフレットはなかなか読み応えのある内容で、映画の内容を十分に補完するものだった。大当たりの部類に入ると思う。

そのパンフレットで、映画では詳しく語られていないニクソン氏の生い立ちや彼の政治家としての業績、さらにニクソン時代に対メディア戦略の重要性が認識されたあらましが、数人の書き手により紹介されている。

【生い立ち】

1913年、米カリフォルニア州生まれ。学業成績優秀。討論会でも連続優勝し、加州のハーバードクラブから万能優等生の賞を受け、ハーバード大学の奨学金を得る。しかし、貧しい雑貨商を営む彼の両親はボストンまでの渡航費と生活費が用意できず、彼はハーバード大への進学を断念し、近隣の大学に通う。

【政治家としての業績】

特に外交手腕を発揮し、デタントと呼ばれる国際間の緊張緩和に大きな貢献を果たした。晩年はレーガン大統領の陰の使者として北京・モスクワを訪れて米外交を支えた。

・中華人民共和国との関係正常化
・ソ連とのSALTI(第一次戦略核兵器制限条約)締結
・前政権から引き継いだベトナム戦争からの完全撤退
・$と金を切り離し、変動相場制へ移行
・環境省を設立

【マス・メディアとニクソン氏】

・1952年、アイゼンハワー大統領の副大統領候補に選ばれた際、政治資金疑惑で窮地に立たされたが、全国ネットのテレビ放送での演説(その時一緒に映った犬の名前にちなんでチェッカー演説と呼ばれる)で、起死回生に成功した。
・1960年、自身初の大統領選では当初接戦であったにも関わらず、対立候補のケネディ氏とのテレビ討論で、テレビ・メディア戦略に長けたケネディ氏に大きく差をつけられたのを機に、選挙でも敗北を喫した。
・1968年、再び大統領候補となった際には、テレビ生番組への出演やCMの大量出稿等、テレビを積極的に活用し、その戦略が奏功して大統領選に勝利した。以後、記者会見は嫌う一方、直接国民に呼びかけるテレビ演説を好んで行った。

45_3 本作は舞台劇の映画化である。フロスト、ニクソン両氏のインタビュー対決シーンに時間の多くが割かれてはいるが、時折挟み込まれるそれ以外のシーンに、映画ならではの味付けがなされていて興味深い。例えば、両者のブレーンを交えた戦略会議や、「カサ・パシフィカ」と呼ばれるニクソン氏の別邸、当時の芸能界を代表するセレブが顔を揃えたフロスト氏のバースデイ・パーティ等の描写、さらにニクソン氏がピアノを弾くシーンや動物との何気ない触れあいを描くことで、フロスト、ニクソン両氏の人となりや心理状態、インタビュー対決の楽屋裏での奮闘が手に取るようにわかる作りになっている。

45 一部フィクションを盛り込んで劇的効果を高めてはいるが、歴史の1ページとして記憶されただけのフロスト×ニクソンのインタビュー対決が、それから32年後の今、こうして目にできるのは素晴らしいことだと思う。4日間に渡るインタビューで3日まで圧倒的優勢に立っていたニクソン氏が、4日目にあっけなく形勢逆転される点が腑に落ちないとの映画評を目にしたが、私が思うに、常に攻撃する側、優位にある側の人間が、不覚にも守勢に回った時には、驚くほど脆いものなのではないだろうか?往々にして攻撃な態度、強気な姿勢は、自らの弱さをひた隠す為の方便であったりするものだと思う。

またしてもメディアの魔力(フロスト氏の方がそれを使いこなすことに長けていた!)に敗れたニクソン氏だが、それだけで彼の業績が全否定されるのは酷過ぎる。「大統領」と言う米国最強の権力を一度は手にしたはずのニクソン氏の、弱さも含めた人間的側面を描くことで、彼への同情や共感を呼ぶ作品に仕上がっているのが、この作品の面白いところだろうか?

45_2 また生粋のテレビ人であるフロスト氏の、さらなる成功への鍵を見つけ出す嗅覚の鋭さ(当時、誰もが「無謀な挑戦」と、企画への出資には消極的だったのだから)と、インタビュー対決での圧倒的不利に動揺するブレーンを一喝する力強さ~自らを信じる力と仕事への集中力、大博打に打って出る神経の図太さ~には舌を巻く。やはりただ者ではない。その強気な策士ぶりが、彼を大逆転勝利に導いたのかもしれない。その鮮やかな逆転劇(それまでは苦労の連続だが)は、約30年前の夏の甲子園において、対豊見城高校戦で9回裏に、当時東海大相模高校の中心選手だった原辰徳・現巨人軍監督がホームランを放ってチームを勝利へと導いたシーンを、ふと思い出させもした。生まれながらに運を自らに引き寄せる強運の持ち主が、歴史を作ると言えるのかもしれない。

◆映画『フロスト×ニクソン』公式サイト→http://www.frost-nixon.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近のマスコミ報道を見て、感じたこと

■某国の衛星打ち上げを巡る、日本政府とマスコミの反応について

過剰反応だと思う。マスコミが不安を煽るように騒ぎ立てれば立てるほど、夫や私のマスコミへの視線は冷ややかになった。果たして、あっけなく衛星を載せたミサイルは発射され、日本領土内に落下することなく、日本海と太平洋上に落下した。

仰々しい迎撃ミサイルの配備には違和感を覚えた。そのことを会見で喜々として語っているようにも見える役人や政治家。まるでミサイルの到来を待ち望んでいるかのようにも見える。好戦的だなあ。道具は持っていたら、やっぱり使ってみたいものなんだろう。その先に戦争の影が見え隠れするのが怖い。

そう言えば、オバマ大統領が就任後、他国に先んじて呼ばれたのは、我が国の麻生総理っだった。それが米国の対日重視の現れだと単純に喜ぶ総理の姿が滑稽だった。もしかして、この時、米国の兵器をもっと買うよう促されたのではないかと穿わずにはいられない程、今回は迎撃ミサイルのマスコミ露出が多過ぎる。

その懸念は、大不況の克服に常に戦争が利用されたことを、歴史が物語っていることに依拠する。日本の大財閥の出発点も、日露戦争での武器商人だったと聞く。

今回の一件での、日米英の国連安保理決議への働きかけは功を奏していない。拒否権を持つ常任理事国の中国とロシアが静観の構えだからだと言う。一方マスコミは「全世界が非難する中、ミサイル打ち上げが行われた」と言う。

「全世界」とはどこを指すのか?少なくとも、「全世界」の中に中国やロシアは含まれていない。似たような定義の曖昧さは、例えば「グローバル・スタンダード」と言う言葉にも見られる。ここで言うグローバルは、実体的に必ずしも「全世界」を指すのではなく、「米国」を指しているのは明白である。この国はいつまで、「米国」と言うフィルターを通してのみ「世界」を見ようとするのだろう?

かくして、私は政府やマスコミに対して懐疑を深めて行く。

■献金疑惑を巡る小沢氏と民主党の対応について

小沢氏はかつて自民党の中枢にいた人で、私には旧来の自民党を引きずった人にしか見えず、野党の党首としての清新さが一切感じられない人だ。それなのに、二大政党制を目指す民主党員は、ケチのついた小沢氏に今もなおつき従う。特に一部幹部の執着ぶりは理解し難いほどだ。本当に政権奪取を視野に入れた政党なのだろうか?個々に光る人材は散見されるものの、もとより民主党には殆ど期待してはいないが。党員間のポリシーは統一感に欠け、自民党との明確な違いも見いだせないからだ。

国民生活と政治との乖離が続く間にも、経済不況は進む。多くの国民が追い詰められて行く。他国で次々と打ち出される経済対策を報道で目にする度に、焦燥感にさいなまれる。

■千葉県知事選挙の結果について

3匹目のどじょうは果たして、いるのだろうか?M氏はその3匹目のどじょうになり得るのだろうか?元衆議院議員のM氏の議員時代の実績が全然思い浮かばない。彼は前職でどんな実績を残したのか?知名度やイメージや声の大きさだけで、県政は司れないだろう。ダブルH氏と同じ高みに、M氏は上れるのだろうか?

09040770 ただし、社会は「人」で動く。人は「心」で動く。「希望」を持つことは、けっして悪いことではない。M氏に託した千葉県民の「希望」が、少しでも千葉県を元気にしてくれたら良いなと思う。

<写真は自宅ベランダから見える満開の桜

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第81回米アカデミー賞をリアルタイムで楽しむ♪

今年は『スラムドッグ$ミリオネア』YEARでした!

50 レッド・カーペットでは、やはり女優陣のゴージャスなドレスがみどころ。特に人気のデザイナー、ヴァレンチノ氏ご本人も登場しました。私のイチオシはやっぱり、ペネロペの80年前?に作られたと言うヴィンテージ・ドレスかなあ…髪をアップスタイルにした彼女は、往年のオードリー・ヘップバーンを彷彿させます。女優としての彼女は、作品の為ならフルヌードも辞さないプロ根性の塊のような人だけれど…助演女優賞の受賞スピーチ「映画は世界をひとつにします。映画を守りましょう」も素晴らしかったです!

Photo_3













今回のアカデミー賞の演出は出色ですね。オープニングから楽しめました。トニー賞受賞歴もある司会のヒュー・ジャックマンが歌い踊りながらノミネート作品を紹介。6分間に及ぶ見事なパフォーマンスです。

60 60_2






【受賞作品もしくは受賞者(発表順、賞によっては作品名のみ)】

しかも今回は各演技賞で、歴代の受賞者の中から5人がステージに登場し、ひとりひとりが順送りに、ノミネートを受けた俳優を賞賛のメッセージと共に紹介。それに聞き入っているノミネート俳優の感激の表情に心を打たれました。歴代の先輩俳優に褒められるなんて…このような心憎い演出はかつねなかったこと。アカデミー賞の長い歴史と層の厚みを今更のように感じたシーンでした。

◆受賞スピーチ(公式サイトより、英語):http://www.oscar.com/oscarnight/winners/

Photo_4 ■助演女優賞:ペネロペ・クルス 
  『それでも恋するバルセロナ』

■オリジナル脚本賞 :『ミルク』

■脚色賞:『スラムドッグ$ミリオネア』

■長編アニメ賞:『WALL/E』


■短編アニメ賞:『つみきのいえ』 加藤久仁生氏
…邦画初受賞おめでとう


【2009.02.24追記】

加藤氏はROBOTと言う映像製作会社の社員なんですね。多摩美大卒の31歳。ニュース報道でご両親の言葉がありましたが、本来おとなしくて目立つことが嫌いな方だとか。しかし子供の頃から絵を描くことが好きで、ニュースでは小学生時代に描いたと言う鉛筆描きのマンガも紹介されていました。好きなことで認められるのは、本当に幸せなことですね。

■美術賞:『ベンジャミン・バトンの数奇な人生』

■衣装デザイン賞:『ある公爵夫人の生涯』

■メイクアップ賞:『ベンジャミン・バトンの数奇な人生』

■撮影賞:『スラムドッグ$ミリオネア』 アンソニー・ドッド・マントル

■短編実写映画賞:「トイランド」(ドイツ)

Photo_5 さらに半ばにはディーヴァ、ビヨンセを迎えてのヒュー・ジャックマンとのミュージカル・メドレー。両脇にはザック・エフロンを筆頭に次代を担う若手スター達、背後には大勢のダンサーを従えています。歌唱はもちろん、ダンス・パフォーマンスも圧巻でした!



■助演男優賞:『ダークナイト』 ヒース・レジャー

Photoヒースが故人なので、彼の家族、両親と妹が代理でオスカー像を受け取り、受賞スピーチを行いました。








■視覚効果賞:『ベンジャミン・バトンの数奇な人生』

■音響編集賞:『ダークナイト』

■録音賞:『スラムドッグ$ミリオネア』

■編集賞:『スラムドッグ$ミリオネア』

■ジーン・ハーショルト友愛賞(長年の社会貢献に対して):ジェリー・ルイス
ジェリー・ルイスは長年に渡り、筋ジストロフィー患者に対して累計10億ドルにも及ぶ援助活動を行って来たらしい。

■作曲賞:『スラムドッグ$ミリオネア』

■歌曲賞:『スラムドッグ$ミリオネア』 ”Jai Ho”

■外国語映画賞:『おくりびと』…邦画初受賞おめでとう

Photo_2
日本人としては快哉を叫びたいところですが、受賞式は割とあっさりとした進行で、滝田監督の短めのスピーチが終わると、追い立てるように退場の音楽が流れました。滝田監督の仕草を見ると、主演のモックンにもスピーチを勧めていたように見えました。先ほどの短編アニメ賞の加藤監督もそうでしたが、言葉の壁は大きいですね。母語ならもっと含蓄のあるスピーチができたであろうに、と思います。国内向けのスピーチの内容との乖離が大き過ぎて悲しい。他の受賞者は英語圏の人はもちろんのこと、非英語圏の人々も自在に英語を操り、見事なスピーチをしています。こういった場面を目にする度に、(悔しいけれど)今や英語が国際語として幅をきかせている以上、日本人の英語下手が残念に思います。「郷に入りては郷に従え」と言う言葉もあるように、海外の公の場で発言する機会のある人は、英語で最低限のコミュニケーションは取れるようにして欲しい。米アカデミー賞では「まさか自分が受賞できるなんて」と言う謙遜はやめて、せめて丸暗記でも良いから入念に練られた受賞スピーチを用意して、受賞式に臨んで欲しい。或いは正式に通訳を立てた方が良いと思います。ハリウッドスターが来日会見で通訳を立てているように(【2009.03.06追記】←滝田監督の話によれば、アカデミー賞受賞式では通訳を立てることは原則禁止のようですね。さらに改めて受賞スピーチを見ると、非英語圏出身者で見事なスピーチをしているのは、人前で”表現”するのが仕事の俳優陣だけですね)

【2009.02.24追記】

『おくりびと』の外国語映画賞受賞は、米国マスコミでも”サプライズ”として受け止められていて、予想外の受賞だったようです。下馬評ではイスラエルのアニメ(内容はどうもイスラエル・パレスチナ紛争を題材にしたもの)か、と言われていたんですよね。しかし、未曾有の経済不況や各地での絶え間ない紛争などで疲弊した人々の心には、本作の”癒しの物語”が受け入れられたのかもしれません。

◆『おくりびと』私的レビュー:http://hanakonokoukishin.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-bcf7.html

■監督賞:ダニー・ボイル 『スラムドッグ$ミリオネア』

■主演女優賞:ケイト・ウィンスレット 『愛を読む人』

■主演男優賞:ショーン・ペン 『ミルク』

ショーン・ペンが謝辞の筆頭に「親友の…サト・マツザワ」と言う日本人名を挙げたのにはビックリしましたが、ショーン・ペンのパーソナル・アシスタントなんだそうです。ググってみたら、以下のような記事もありました。それによれば、サト・マツザワは女性で、長く彼の仕事上のサポート(映画のクレジットでも"miscellaneous staff"と書かれているので、日本で言うところの”付き人”なんでしょう)を務めている人のようです。さらに記事では、受賞スピーチで通常家族への謝辞を述べるケースが多い中で、ショーン・ペンは妻や子供達に一切言及しなかったことも、彼自身の考えがあってのことで(もちろん家族の支えには感謝している)、それが彼のスタイルなのだと書いています。

サト・マツザワって誰?
http://asianista.com/2009/02/24/identity-of-sean-penn-best-friend-sato-masuzawa-thanked-oscar-acceptance-speech-revealed/


■作品賞:4月の公開が待たれる『スラムドッグ$ミリオネア』

ノミネート最多13部門で話題を呼んだ『ベンジャミン・バトンの数奇な人生』との直接対決ではことごとく勝って、結局今年のアカデミー賞の顔となった本作。あのダニー・ボイル監督がボリウッドと組んだ意欲作です。期待大。

ところで『クイズ・ミリオネア』は英国発祥のクイズ番組で、今では世界70カ国のお国バージョンで放映されているらしい。日本版は最近もっぱらセレブ出演番組になってしまって、「芸能界内でお金回してどうすんのよ」って気がしないでもない。このクイズ番組は本来視聴者参加型で、一般人が四者択一のクイズで一攫千金を狙えるから人気を博したはずなのに、日本では司会者と出演芸能人(有名人)のやりとりがウリになってしまいました。芸能人(有名人)なんて、こんな番組を利用しなくても自分の才能で稼ぎ出せば良いのに。否、稼ぎ出せるでしょう?


80

| | コメント (0) | トラックバック (1)

マンマ・ミーア!(原題:MAMMA MIA!)

ミュージカル映画としての完成度はさておき、楽しみましょう♪

既に昨夏には欧米で公開されていたこの作品。真冬の日本にギリシャの目映いばかりの陽光と暖かな風を運んで来た。それにしても待たせるなあ…

ミュージカル『マンマ・ミーア』が上演された
ロンドン、ウエスト・エンドのプリンス・オブ・ウェールズ劇場

Photo 言わずと知れた、1999年にロンドンのウエスト・エンドで初演以来、世界的人気を博した舞台ミュージカルの映画化作品である。私は2006年春に、写真の劇場で舞台を見た。さすが皇太子の称号を冠した劇場だけあって、外観も内部もゴージャスだった。旅行の1カ月前にticketmasterと言うサイトでオンライン予約して息子と二人分のチケットを確保したのだが、運良く前から2番目の真ん中に近い席が取れ、1mも離れていない所にオーケストラ(バンド?)の指揮者がいた。舞台下にはオーケストラ(バンド?)が控えており、奏者の表情も見えるほど。舞台上の出演者の飛び散る汗も届くような近距離だった(笑)。何でも舞台クライマックスでは観客も総立ちで一緒に歌い踊ると聞いていたが、マチネーで子供連れが多かったせいか、私が見た舞台はそれほどでもなかった。

とにかく、これはABBAの音楽を楽しむミュージカル”歌自身が持つ魅力が全て”と言って良い作品なのかもしれない。始めにABBAの音楽ありきで、ABBAの音楽が持つ明るさ、大らかさ、温かさ、優しさを味わう為に、無理矢理こじつけてミュージカルに仕立てたようなもの(笑)。巷では、そのストーリーの他愛のなさを指摘する声もあるが、そもそも芸術の中の芸術、総合芸術と呼ばれるオペラだってストーリーは他愛のないものが多い。最近、パブリック・ビューイングを利用してMETやUKのオペラを何本も見ているが、その多くは愛だの恋だのと歌っている。それを大仕掛けの舞台装置やドラマチックな歌唱で、高尚な芸術に昇華させているに過ぎない(って言ったら言い過ぎか(^_^;)しかし、そう考えるとオペラがより身近に感じられるのも事実)

70 映画が舞台に勝るのは、やはりロケーションの魅力だろう。舞台では視点は一点のみだが、映画ではさまざまな視点から、物語の舞台を、人々の姿を映し出す。ギリシャと言ったらエーゲ海。あの陽光降り注ぐ紺碧の海は、それだけで見る者の心を解き放つ。そもそも北欧スウェーデン生まれの歌が、ギリシャを舞台とする物語にうまく嵌ったのが不思議だが(と言うか、やはり無理矢理嵌め込んだ?)。

40 ドナ役のメリル・ストリープは9.11事件後にNYのブロードウエイで、舞台版を見て以来、その突き抜けた明るさにファンとなり、ふたつ返事でドナ役を引き受けたそうだ。意外にも彼女にとって初のミュージカル作品だが、学生演劇出身の彼女は学生時代にはよくミュージカルに出演していたらしい。それでも女優として既に揺るがない地位を築いた彼女が、新たな分野に挑戦する、そのチャレンジ精神は天晴れとしか言いようがない。来年には還暦を迎えようとしている彼女が、画面狭しと弾けまくっている(笑)。群舞で揃わないのはご愛敬か。歌唱はけっして上手くはない(音域が狭いかな?)が、演技派なだけあって情感豊か。

40_2 この作品はなんと言っても女性が主役。要所要所で笑わせてはくれるものの、女性陣の圧倒的パワーの前に、総じて男性陣は影が薄い印象。(個人的にはコリン・ファースが大好きなんだけれど、彼もすっかりオジサンになっちゃった。しかも今回の役は…)。これは女性、しかもABBA世代(40~50代)には堪らない作品だろうが、果たしてそれ以外の人にはどうなんだろう。とにかく、今の時代に最も元気な世代をさらに元気にさせる映画であることは間違いないと思う。

因みにタイトルの『マンマ・ミーア!(MAMMA MIA!)』はイタリア語で、直訳したら「私のお母さん」。しかし会話では「なんてこった!」と言うような驚きを表す意味で使われる。英語の"Oh my God!"や"Oh my goodness!"に近いニュアンスかな。この作品は確かに「なんてこった」なストーリー展開だし、母子の物語でもあるので、両方をかけたタイトルとして解釈できるだろうか。

懐かしいABBAの元メンバーと映画のキャストが勢揃い
Abba80

| | コメント (0) | トラックバック (0)

レボリューショナリー・ロード~命燃え尽きるまで

60 「青い鳥」に気づけなかった夫婦の物語

かの『タイタニック』以来11年ぶりの共演でも話題となったレオナルド・ディカプリオ×ケイト・ウィンスレットの主演作である。監督は舞台演出をキャリアの出発点に、初映画監督作『アメリカン・ビューティ』(1999)で米アカデミー監督賞、作品賞を受賞したサム・メンデス(ケイト・ウィンスレットの夫でもある)。その鋭い人物描写は容赦なく、痛々しいまでに登場人物の心を丸裸にする。今回もその演出は冴えわたり、見る者の心に鋭く突き刺さるような葛藤のドラマが展開した。

【あらすじ】

時代は1950年代、米国は高度経済成長期を迎えていた。フランク(レオ)とエイプリル(ケイト)は娘と息子の二児に恵まれ、コネチカット州郊外のレボリューショナリー・ロードと呼ばれる新興住宅街に小綺麗な住居も構え、傍目には幸せな中流家庭の暮らしを実現しているかに見えた。

しかし二人は現在の生活に、内心納得の行かないものを感じていた。かつて描いていた理想と現実のギャップに、悶々としていた。特に、女優を志したエイプリルにとって、「平凡な郊外での暮らしに埋没すること」は受け入れ難い現実だった。彼女は夫のフランクに訴える。「かつての私たちは輝いていた。私たちはここの住人の誰よりも優れている。このままでいいの?」~そして、フランクの30歳の誕生日に、パリへの移住を提案するのである。

「思い切って貴方は仕事を辞め、自宅を売り払い、一家でパリへ移住する。パリでは貴方の代わりに、私が国際機関で秘書として働いて家計を支えるわ」~エイプリルの突拍子もない提案に最初は戸惑ったフランクも、次第にその気になって…しかし、運命の歯車は思わぬ方向へと二人を導いて行く。

【感想】

60_2 辛辣な人物描写が印象的だ。登場人物全員が悪人とは言わないまでも、その言動に何かしらの毒を含んでいる(キャシー・ベイツが登場した辺りから、毒を感じたのは配役の妙?)。他人の成功を妬み、失敗に安堵する。自分たちの幸福を、他人の不幸で相対化する。ここでは善意も友情も薄っぺらい。出る杭は、必然的に打たれるものなのだろうか。

ただし、人間関係も鏡のようなものだ。”自分たちは選ばれし者”と言う、主人公達の傲慢さや独善性が、周囲の悪意を呼び覚ましてしまったとも言えるのだ。彼らが優位に立つ限りは周囲も美辞麗句で賞賛するが、一旦ほころびが見つかるや、周囲は手のひらを返したように冷たく突き放す。人生に強気(貪欲?)であればあるほど、失敗には周囲から手痛いしっぺ返しが待っているのだ。

個人の上昇志向は、国勢も上向きだった時代にはそれほど珍しいことではなかったのかもしれない。”フランスに行きさえすれば道が開ける”とは暢気なものだ。数年間も専業主婦だった女性が、いきなり国際機関の秘書業務に就けるものなのか?そうした楽観主義も、”いけいけどんどん”な高度経済成長の時代の空気が生み出したものなのか?

しかし、過剰な上昇志向は、そうでない者には”鼻につくもの”であり、妬まれる要因にもなる。”現状に安住し、新たな一歩を踏み出せない、意気地なしの現実主義者達(←しかも、こちらの方がマジョリティ。かくいう私もこちら側)”を、内心蔑んでいた主人公達は、その傲慢さが周囲の人間達には見透かされていたのかもしれない。

主だった登場人物の中でも、マイケル・シャノン演じるジョンの吐き出す言葉は、そのことごとくが真実を衝いて、主人公二人の心を掻き乱す。ドラマの中ではキー・パーソンとも言える存在だろう。彼が登場する度に、見ているこちらまで緊張した。

それにしても、過剰な上昇志向がもたらした結果は、あまりにも哀しい。主人公達は既に確かにある幸福に気づけずに、さらなる幸福を求めて”外”を目指した。しかし、幸福とは”外”にあるのではなく、自らの”内”にあるものなのではないか。それに気づけなければ、どこまで行っても、いつまで経っても充足感は得られないと思う。

【気になったこと】

ヒロイン、エイプリルのチェーン・スモーカーぶりには驚いた。喫煙は彼女の苛立ちを表す重要な行為なのかもしれないが、それにしても凄い。調べてみると、1915~1950年にかけて、米国では急激に煙草の消費量が増えたそうだ。当時は喫煙行為と健康被害の因果関係についての調査もなされておらず、喫煙は嗜好品として堂々と市民権を得ていたようだし、女性の社会進出とも関係があるのだろう。それでも彼女のチェーン・スモーキングは常軌を逸している。その異常なまでのニコチン依存は、彼女の精神的均衡の喪失を暗示しているかのよう。

【スピーチ・ライター】

オバマ米大統領の演説原稿を手がけているのが、若干27歳のスピーチ・ライターと報道されて驚いたばかりだが、そもそも私はスピーチ・ライターなる存在も知らなかった。実は、この映画の原作小説の作者、リチャード・イェーツは、当時の司法長官ロバート・ケネディのスピーチ・ライターだったらしい。演説の骨格はスピーカー自身が作るものだろうが、それに肉付けするのはスピーチ・ライターの役目のはず。さまざまなデータの裏付けを取り、社会動向を見極めた上で聴衆の心を掴むような内容にまとめ上げる。そういうスピーチ・ライターの仕事は、彼の小説作りにも大いに生かされたのではないかと想像する。特に時代の空気を読み取るのは、彼の最も得意とすることだったのではないかな?

◆『レボリューショナリー・ロード~命燃え尽きるまで』公式サイト:http://www.r-road.jp/

| | コメント (1)

企業の要はやっぱり”人材”

未曾有の消費不況と言われる中、大手企業が大幅減益等を理由に、次々と大規模な人員削減を行っている一方で、増収増益を続けている企業もある。真っ先に浮かぶのは「任天堂」だが、ここでは靴小売業「ABC MART」について取り上げたい。この企業は先日のNHKの経済番組でも取り上げられた。今朝も「経済羅針盤」と言う番組で、野口実社長(43歳)を迎えて、その躍進の秘密がレポートされた。以下は、その番組から。

ABC MART、業績の浮沈を握るのは店員力
          (↑これは小売業全般に言えることだろうな)

ABC MARTは7年前に株式上場を果たしたばかりの、伸び盛りの企業だ。その成長を支えているのは、店員から社長にまで上り詰めた野口社長の、積極的な店舗拡大策に代表される攻めの経営姿勢と、各店舗に配置された店員ひとりひとりの高い販売能力である。それが、商機を逃さない→好業績に繋がっている。

◆積極的な店舗拡大策◆(←これは諸刃の剣と言えなくもない)

野口社長は就任以来、店舗拡大を積極的に進め、現在ABC MARTは全国に450店舗を構える。こうした拡大路線は以下のことを可能にした。

■店舗間で在庫を融通しあう

地域によって売れ筋商品には大きな違いが見られる。
→気候風土による需要の違い、消費者の色やデザインの好みの違い

全国規模のネットワーキングで、地域特性を考慮した在庫調整を行い、在庫商品を減らす。

■大量一括仕入れで、仕入れコストを引き下げる

全国展開と言うスケールメリットを生かして一括して大量に仕入れることで、一般メーカー品だけでなく、ブランド品のコストダウンも可能に。



◆店員の高い販売能力◆

意外にも、ABC MARTは同業他社の店舗に比べ、店員の配置率が40%高い。しかも正社員である。

「個々の販売能力が高ければ、高い人件費を補って余るほどの収益を上げることができる。」と社長。

■マニュアルに依存しない

マニュアルで細かく規定すると、通り一遍の接客しかできなくなる恐れがある。必要最低限の技術、マナーは押さえた上で、個々の店員が自分の頭で考えて接客にあたるよう促している。
→店員ごとの売り上げデータはこまめに更新するようにし、それを随時店員が意識することで競争意識を高める。

■現場第一主義

かき入れ時の週末は人事や仕入れ担当など、本社の管理部門の社員も店舗に動員して接客に当たらせる。その為、会社の定休日は金曜日。社長自ら店頭に立つことも珍しくない。
→仕入れ担当者は「今、市場ではどんな商品が求められているのか?」、人事担当者は「今、店員に必要なスキルは何か?どのような店員が求められているか?」を知る絶好の機会に。


(消費者の)買いたい時が、(商品の)売り時=商機

商機を逃さない接客の裏技?】

1)客の来店時には「いらっしゃいませ」と明るく声かけ

店の活況を印象づけると共に、店員は「自分の手が空いていますよ」と言うアピールにもなる。
→客の立場から言えば、気に入った商品があっても、近くに店員がいなくて困ることがままある。すぐに接客して貰えるのは嬉しい。

2)作業をしながらの声かけ

押しつけがましくない接客態度を心がけて、客に快く買い物をしてもらうような店内の雰囲気作り。

3)店員自身の体験談を交えて接客

実際に商品を使っての使用感や、使用する際の注意点などを具体的に述べて、客の購買意欲を高める

4)客が靴のサイズに迷った時には、まず大きめのサイズから薦める

→最初に小さい方を薦めると、きつかった場合に商品自体の使用感、イメージを損ねてしまう恐れがある。

5)レジでは精算時、靴だけでなく、最後の一押しでもう一品(手入れ用品等)薦める。

不況下では、客は「自分にとって、この商品は本当に必要なのか」と、いつも以上に吟味して商品を買い求める。その購買意欲をいかにして高めるかが店員の力量の見せ所である。

なお、今年の販売戦略としては「幅広い価格帯(高額商品から普及品まで)で、お得感を」だそうだ。

【感想】

店での店員の様子を見ると、とにかく走る、走る。店頭に客の求める商品のサイズがないと分かれば、倉庫へ走って取りに行く。客の求める商品がないと分かれば、近隣の店舗に在庫を問い合わせ、走って取りに行く。その一生懸命さが、客を逃がさないのだと思う。その直向きさは清々しい。それは人材を蔑ろにしない企業トップの経営姿勢が可能にしているのだろう。顧客重視の姿勢も、確実に消費者の心を掴んでいるように見える。

最近、雇用の調整弁とも言われる派遣社員を容赦なく解雇する風潮が見られる。目先の利益に汲々として人材育成を正面から否定し、人間を人間として真っ当に扱わない雇用形態の非情さが、ここに来て露わになっていると言えるだろうか。もちろん、個人の努力(自らを高めようとする意識、向上心)の有無も問われるべきだが、その為の環境作りは、企業や社会の責任だと思う。天然資源に乏しいこの国で、最も価値のある資源は人材だ。それを大事にせずして、この国の未来はないと思う。

◆ABC MART公式HP:http://www.abc-mart.com/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ある理想のかたち~人が人として尊ばれる社会

先日、テレ朝の「ニュース・ステーション」で、素晴らしい会社のことが紹介されていた。まず、その会社の会長が言われた言葉に深い感銘を受けた。

人間の究極の幸福は、以下の4つです。

1.愛されること
2.褒められること
3.役に立つこと
4.人に必要とされること

それを障害者雇用と言う形で実践されている。そのきっかけは50年前に遡ると言う。その当時、ある養護学校の先生が会社を訪ねて来られた。卒業生の就職受け入れの要望だった。難色を示す会社に、その先生は言われたそうだ。

「このままでは、この子達は、一生働く喜びを知ることなく、人生を終えてしまうのかもしれないのです。」

この言葉に心を動かされた会社は、職業体験という形で生徒を2名、限られた期間(2週間?)受け入れることにした。すると、体験期間が終了を迎えた時、従業員から、生徒達の継続雇用を訴える声が上がった。

「わからないことがあれば、私たちが教えてあげます。面倒を見ます。ですから、この子達を雇ってあげてください」

生徒達のひたむきな働きぶりに、感銘を受けた従業員の心からの訴えだった。レポートでは、その時以来、50年間働き続けている女性も紹介された。彼女は嬉しそうに、こう言った。

「ここで働いて50年を迎えたので、今年9?歳になるお母さんが、お祝いにお赤飯を炊いてくれました」

この最初の障害者雇用以来、この会社は積極的に障害者を雇用し、今では雇用者の50%以上を占めると言う。工場長は、営業活動で苦境に立たされた時、彼らの「頑張ってね」の言葉に励まされ、その恩返しに今も精力的に営業活動を続けている。まさに、健常者と障害者が共に助け合って生きる社会が、この会社で実現している。

「障害を抱えているから無理」ではなく、どうしたら、そのハンデキャップを軽減できるか、作業工程の簡素化やワーク・シェアリングや丁寧な指導など、さまざまな工夫を凝らして、障害者に働く場を提供している。

そもそもHPを覗いてみると、この会社は昭和12年に、白墨を使用する教師の肺結核の多さを憂慮して、米国と同じ炭酸カルシウムを原料としたチョークの開発に着手したと言う逸話が残っている。その出発点から、「人を大事にする」会社なのだ。現在も、北海道で廃棄に苦慮していたホタテ貝の貝殻を原料に、折れにくく、粉が出ない「ダストレス・チョーク」を開発し、チョーク業界では7割のシェアを誇る。この主力商品は、環境にも配慮した画期的な発明と言える。

社員のひとりひとりが、生き生きとした表情で働く職場の様子に、社会のひとつの理想的な在り方を見たような気がした。この素敵な会社の名前をご紹介します。

川崎市にある「日本理化学工業株式会社」と言う会社です。この記事を読んで興味をもたれたなら、会社のHPを覗いてみて下さい。

日本理化学工業株式会社http://www.rikagaku.co.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

旬を楽しむ~吉野梅郷を行く(2/2)

☆公園を後にして…

梅・梅・梅尽くしの公園を後にして、一般道に出ました。と言ってもここは梅の郷。街路でも個人の家の庭先でも種々の梅の木を目にすることができます。軒先で自家製梅干しを販売しているお宅も。閑静な住宅街の中に、個人経営の小規模な梅園も点在しています。地図を片手に観梅モデルコースに従って歩いて行きました。この時点で、まだコース全体の3分の1ほどを歩いたに過ぎません。梅の公園を出た後は見どころが点在しているので、住宅街の中をそぞろ歩くことになりました。

そこで、「ここにも」と少し驚かされたのが、昔ながらの集落の間に突然出現したかのような、いわゆるミニ開発の住宅街。一見瀟洒だけど、細切れな区画に隙間なく建てられた家々。その一帯だけ妙に新しく、旧来の住宅街からは浮いた存在です。かつてはそこに梅林や畑があったのでしょうか?各地を街散歩して、しばしば目につく光景でもあります。

途中に公家の装束も収蔵していると言う青梅きもの博物館がありましたが、特に食指も動かなかったので入館せず(着物や公家・大名の装束に興味のある方には必見だと思います)、次の見どころ、鎌倉の梅へ。

Photo_14 敷地に入ってすぐに目に飛び込んで来た黄色い花。青空に良く映えます。











Photo_15 鎌倉の梅
は陶芸品(「信楽焼」と看板が出ていました)や土産物を商う店の敷地内にありました。この一帯に旧鎌倉街道が通っていたらしく、それに因んでの命名のようです。樹齢約400年といわれる古木らしく、古武士のような風格を湛えた姿が印象的でした。

吉野梅郷には思いの外、陶芸の工房が多く目につきました。そう言えば、映画『明日の記憶』にも大滝秀治演じる老陶芸家が登場しましたが、その窯の所在地も奥多摩の設定。(私が知らなかっただけで)この辺りは陶芸が盛んな地なのですね。

古木ならではの味わいのある鎌倉の梅を見た後、中道梅園を横切って観梅通りに出ました。

■観梅モデルコース地図:http://www.omekanko.gr.jp/hiking/plum_promenade/access.htm 

Photo_16 《岩割りの梅》

時間も午後1時を過ぎて、そろそろお腹も空いて来たので、一部コースを端折りました。左手に下山八幡神社を見遣りながら少し急ぎ足で一路岩割りの梅へ。民家の庭先という目立たない場所にある為、観梅期には看板を立てて案内をしているようです。この梅はその名の通り、岩を割って根付いた梅の古木。土地の豪族、三田氏と北条氏の戦いの折に生まれた悲恋物語と縁ある梅らしく、別名悲恋の梅とも言われているようです。しかし詳細を知らないので、悲恋の梅と言われてもいまひとつピンと来ません。とにかく梅の木の、岩をも割って根付く、その生命力の逞しさに感心することしきりでした。


☆おいしかった、おいしかった 手打ちそば

観梅モデルコース地図には、当地のお食事処の案内もあります。山里で昼食と言ったら、やはりそばに限りますね。

Photo_17 岩割りの梅にほど近い、手打ちそば梅の内(めのうち?)に行ってみました。ここも住宅街の少し奥まった所にあって、一見して普通の民家を改造して設えた店のようでした。まるで知人の家を訪ねるような雰囲気。店名を染め抜いたのれん、左手に見える品書き板がなければ、普通の民家にしか見えません。キビキビと働いておられる女性もご近所の奥さんと言った風情。




Photo_19 メニューは3種類だったでしょうか?せっかくだからと50食限定(もしかしたら、全部で50食限定だったかもしれません)天ざる(1100円)を注文しました。山の幸・海の幸の天ぷらと極細麺。これがまたおいしかったのです!極細のそばはしっかりとしたコシで噛み応えがあり、定番のえび天以外に山菜やふきのとう、そして当地ならではの梅干し!の天ぷらが、サクっとした食感の薄衣に包まれ、絶品でした。そば湯もおいしく、つい飲み干してしまったほど。普段、いかに不味いそばを食べているのかを思い知らされました。

Photo_22 私達がおししい天ざるに舌鼓を打っている最中に、「申し訳ありません。もう完売になってしまいました」という声が。私達の後に入った夫婦連れの客で札止めとなったようです。つまり私達は47、48食目の客だったのです(ギリギリセーフ!)。支払いを済ませ、帰り際に「とてもおいしかったです」と言うと、「まあ、ありがとうございます」と店の女性は満面笑顔でした。その掛け値なしの素朴な喜びの表情がまた素敵で、とても心地よい満足感に浸りながら店を後にしたのでした。

おいしかったなあ…腹ごしらえを済ませて次に向ったのは即清寺(そくせいじ)。ここは吉野街道沿いの山裾にある真言宗豊山派の古刹です。そう言えば先月訪ねたばかりの足立区の寺町も豊山派が多かったような。例によって境内には弘法大師様の像がありました。ここにも招春梅という銘木があるらしいのですが、私はなぜか本堂や大師像に気を取られて見逃してしまいました。お腹がいっぱいで、ぼぉ~っとしていたのかもしれません(^_^;)。

■観梅モデルコース地図:
http://www.omekanko.gr.jp/hiking/plum_promenade/access.htm

21 即清寺の後は吉野街道を横切って、目と鼻の先にある大聖院へ。ここまで来れば、もうゴールの駅まであと少しです。境内に入る前に、塀際に立つ曲り松に目が釘付けになりました。
<img src="/hanakonoantena/timg/middle_1173766364.jpg" border="0">な、なんでしょう?この曲り具合は!
ほぼ直角に近いですね。自然に、というより細工して曲げたもの? 

この寺の本堂の裏手には、親木の梅と呼ばれる古木があります。これは青梅駅近くを走る旧青梅街道界隈にある金剛寺の将門誓いの梅(青梅地名由来の梅の木)を根分けしたものと伝えられる古木で、吉野梅郷の梅の始祖とされています。
                           
22 《親木の梅》

2万5千本ある梅郷の、始まりの1本…









☆最近何かと縁のある作家、吉川英治の記念館

25 資料館正面玄関

観光協会のHPでその存在を知るまで、まさか、ここに作家吉川英治ゆかりの場所があるとは想像もしませんでした。観梅コースの後半にも組み込まれている観光名所のようです。

吉川英治は横浜市出身ですが、戦争中に疎開したのをきっかけに、ここでも本格的な執筆活動を行ったようで、代表作のひとつ、『新平家物語』はここで執筆されたと言われています。かつては庄屋屋敷だった旧邸を、作家自ら「草思堂」と名付けたというエピソードからも、作家の愛着が感じられる場所ですね。名作が生み出された書斎もそのままの状態で保存、公開され、また別棟の資料館には、原稿、書画、書簡などが約300点展示されるなど、吉川英治ファンにはたまらない場所のようです。

24 玄関左側に鎮座する椎の古木。吉川英治が父親の事業の失敗により、小学校を中退して丁稚奉公に出され、苦学・苦行の末に作家として大成したことを、私は資料館に展示されている作家年表で初めて知りました。作家として名を成す前に20以上の職を転々とし、20代の前半にはあの職人の町、日本橋浜町で、象眼細工の下絵描きに従事していたとは驚きです。思わず観梅帰りに、地元駅ビルの書店で、彼の苦難の日々を詳述したとされる自叙伝『忘れ残りの記』(講談社吉川英治歴史時代文庫)を買ってしまいました。まだまだ知らないことは多いのだなあ…

■吉川英治記念館公式HP:http://www.kodansha.co.jp/yoshikawa/

上記公式HPを見てみたら、なんと今年(2007年)は開館30周年だそうで、それを記念して今月16日~18日の来館者を対象に抽選会があり、記念館ゆかりの品々等がプレゼントされるようです。

Photo_20 奥多摩橋から多摩川を望む

28 10カ所巡って、スタンプハイク完歩。かくして充実した時間を過ごし、無事、観梅散歩を終えた私達は、心地よい疲れを全身に感じながら帰路についたのでした。(終)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

旬を楽しむ~吉野梅郷を行く(1/2)

今朝(2008.02.14付)の日経朝刊土曜版に、「おすすめの梅の名所」ランキングが紹介されていました。以下は、そのランキングで1位に選ばれた東京都青梅市の吉野梅郷に、2年前の3月半ばに行った時の記録です。ご参考になれば幸いです。

Photo しゅん【旬】
①(旬政・旬儀・旬宴の略)古代、朝廷で行われた年中行事の一。
②魚介・蔬菜・果物などがよくとれて味の最もよい時。
③転じて、物事を行うに適した時期。
(以上、広辞苑より)

”旬”の食材は一般的に価格が安く、栄養価も高いと言われ、食材が持つ生命エネルギーをいただくという意味でも、”旬”の食材を味わうことは自然の理に適うことです。

同様に、その時にしか楽しめないことを存分に楽しむことも大事なこと。その意味では、観梅も”旬”を楽しむ行為のひとつと言えるでしょう。”旬”に咲き誇る梅の花から放たれる精気を全身に浴びる好機。心も体も元気になること請け合いです。

これまでにも日帰りで、水戸の偕楽園熱海梅園曾我の梅林を訪ねたことがありますが、意外にも都内の梅の名所、吉野梅郷は今回が初めてでした。予め青梅市観光協会のHPで下調べをしたのですが、青梅市は吉野梅郷の梅祭りを大きな観光行事と位置づけているらしく、充実した内容のHPでした。

■青梅市観光協会公式HP:http://www.omekanko.gr.jp/

その中で紹介されていた観梅モデルコースに従って、今回は界隈散歩を楽しみました。観梅を堪能し、おいしい手打ちそばに舌鼓を打ち、吉川英治記念館を訪ねる盛りだくさんなコースで、まさに五感を刺激する楽しい散歩コースでした。

このコースは、

往きは青梅線日向和田駅下車で、
帰りは奥多摩寄りの二俣尾駅より乗車

ということで、多くの方々が帰る際に乗車する日向和田駅の、手前の二俣川駅で乗車するため座れる確率が高く(立川駅まで40分弱。時間帯によっては青梅駅で乗り換え)、歩き疲れた身体にも優しいコースです(笑)。

■吉野梅郷観梅モデルコース地図:http://www.omekanko.gr.jp/hiking/plum_promenade/access.htm 


☆それでは出発~♪


Photo_2
多摩川に架かる神代橋より多摩川を望む。多摩川河口近くから来た人間には、山中を蛇行する清流の多摩川の姿は新鮮に映る。寒い中、川に入って渓流つりを楽しむ人も?!(写真下部川の中央辺り、点に見えるのは人です)

27 橋を渡り切ると、沿道には食事処や土産物屋が並んでいます。途中に青梅市が開設した臨時の観光案内所があり、青梅市観光パンフレットと共に写真のA4サイズを2つ折りにした台紙を貰いました。青梅吉野梅郷観梅記念スタンプハイク。10カ所の観光名所を巡ってスタンプを押すスタンプラリーのようです。せっかくなのでスタンプを集めることにしました。

Photo_3 梅の公園入り口近くにある枝垂れ梅。時折吹く風にそよそよと枝がなびいて風流でした。枝垂れは優美で女性的ですね。キリッとした枝振りの木々の中に混じっているからこその優美さではありますが、思わず立ち止まって見入ってしまいます。飼い主に連れられて来たらしい犬は、その低い目線で何を見ているんだろう?とふと気になったり…

Photo_4 園内の並木道。梅花のトンネルです。

Photo_8

Photo_11









梅の公園
は上掲の観梅モデルコース地図を見て夫が気付いたのですが、その形状がインド亜大陸にそっくりですね。起伏に富んだ地形で、さまざまな表情の梅花、梅林を見せてくれる。

最も高い地点のあずま屋まで、やや急勾配の階段を昇るのですが、心臓をバクバク言わせて昇っただけのことはあります。頂上から見える景色は、手前に百花繚乱の梅の花、中景に青梅市の街並み、遠景になだらかな稜線の山並みと、色彩の対照も美しく、なかなか見応えのあるものとなっています。

Photo_12 頂上からの眺め。絶景です。いつも外出時に忘れないようにと、デジカメを玄関の靴箱の上に置いてあるのですが、今回はうっかりして忘れてしまいました。携帯カメラでは本物の素晴らしさを10分の1も伝えられるかどうか…肉眼で目にした風景への感動は、言葉でも言い尽くせません。

この時期、吉野梅郷全体で、2万5千本もの紅梅・白梅が咲き誇っているのですね。そう言えばHPの解説で初めて知ったのですが、紅梅白梅というのは花の色ではなく、切った枝の断面の色による分類らしい。これは意外でした!(もちろん、その為に素人が枝を折るなんて論外ですね)

Photo_21 梅の公園内には、もちろん他の木々や花々もあります。それらの木々や花々と梅花の取り合わせも、この時期ならではの楽しみと言えるでしょうか?紅白の梅花の中にニョキッとそびえ立つ?二本松(写真)など、なかなか絵になります。ちなみにこの公園、梅まつり期間中は有料ですが、それ以外の期間は入園無料らしい。普段の公園はどんな感じなんでしょうね。

■吉野梅郷梅まつり(観光協会HPより):http://www.omekanko.gr.jp/ume/kouen.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

かんぽの宿、オリックスへの譲渡問題の本質

宿泊・保養施設「かんぽの宿」のオリックス不動産への譲渡問題。どうやら鳩山総務相の物言いから、ついには野党まで動き出して、この件は白紙となるようだ。

しかし、しかし、一国民として腹に据えかねるのは、そもそもこうした不採算事業(年間40~50億円規模の赤字!)を、どうして適正な事業計画もないまま日本郵政公社の前身、郵政省は始めたのだろうねえ?そのことの責任追及なしに、譲渡手続き問題だけが大きく取り沙汰されるのが腑に落ちない。

郵政省がこの「かんぽの宿」事業に投入した資金は、元を辿れば国民の預貯金(簡保の保険料)だよね?その投資が回収できないこと自体とんでもないことだ。国民の誰も作ってくれとは頼んでいないはず(それとも地方の雇用創出?)。民間企業なら考えられないことだよ。投資額に見合うだけの利益を上げることもできない事業に多額の資金を投入するなんて?!なんて大甘な需要予測なんだろう。

官主導の事業の問題点は、損益をあまりにも考えなさ過ぎること(社会にとって、それがどうしても必要なものならともかく)、さらに失敗した場合に誰も責任を取らないことだと思う。昨日で就任1年を迎えた大阪の橋下知事も、関西国際空港の大幅赤字に関して、官の経営感覚の無さを指摘していたけれど、まったくもって、この無責任体質には憤りを覚えてならない。世界有数の経済大国が、こうした杜撰な赤字事業の数々で、世界有数の借金大国に成り下がり(少子高齢化による社会保障費の増大と不況による税収の伸び悩みが大きな原因ではあるだろうけれど、赤字事業の損益も”塵も積もれば山となる”だろう)貧困国(厳密に言えば国家だけが富んで、国民は貧困に喘ぐ国)に向かって転がり続けている。

息子が卒業した、築50年のボロボロの小学校の校舎(今、地震が起きたら、ひとたまりもないぞ!)を見ながら、「この国は一体誰の為に存在するのか」と溜息をつくばかりだ。

【参考サイト】
↓私が常々愛読している貞子さんのブログには、この件に関して以下の通り興味深い記事があった。一体、何が真実なのか?(因みに貞子さんはアルファブロガーです)

霞が関と邦銀大手が敵視、「かんぽの宿のオリックス」は庶民の味方:http://angel.ap.teacup.com/newsadakoblog/1235.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

君のためなら千回でも(原題:The Kite Runner)

60_5 絶妙なチームワークを見せる
ハッサンとアミール
2008年2月は『アメリカン・ギャングスター(American Gangster)』『ラスト、コーション(Lust,Caution)/色・戒』、そして表題の『君のためなら千回でも』と立て続けに見応えのある作品に出会えたことが嬉しい。

どの作品もそれぞれに印象深く、自分なりに思うところがあるが、今日はTV放映録画で見たペドロ・アルモドバル脚本・監督、ガエル・ガルシア・ベルナル(『モーターサイクル・ダイアリーズ』)主演の『バッド・エデュケーション(原題:LA MALA EDUCACION、英題:BAD EDUCATION、2004、スペイン)』と絡めて、表題作品について感じたことを書こうと思う。


戦争の最大の被害者は子供たち、即ち、その国の未来である

まず表題作でアフガニスタンのここ30年の歴史を、私は登場する少年達の辿った運命を通して見ることになったのだが、見終わると悲しくてやり切れない気持ちでいっぱいになった。冒頭、大空を舞う無数の凧(互いの凧の糸を絡ませ、相手の糸が切れるまで戦う勇壮な凧揚げのシーンは見もの!”ケンカ凧”と言うそうな。二人一組で戦うこの”ケンカ凧”。ひとりは巧みにたこ糸を操り、もうひとりは敗者の切れて落ちて行った凧を走って取りに行く。後者を”カイトランナー”と呼ぶらしい)に、30年前のアフガニスタンの自由の伊吹を感じるのだが、それも長くは続かない。ソビエトの侵攻、イスラム原理主義グループ、タリバンの台頭は、かつて「中央アジアの真珠」と呼ばれたアフガニスタンの様相を一変させたのだ。

40主人公アミールは裕福な家庭の子で、使用人の子ハッサンとは身分差を越えて友情を育んでいた。しかし、異なる民族(パシュトゥーン人とハザラ人)である二人の仲睦まじい関係をやっかむ者も中にはいて、そうした者達はことさら民族の優劣を言い立てては、特にハザラ人であるハッサンに辛く当たるのだった。そしてある日、二人の間に決定的な亀裂をもたらす事件が起きる。その後関係修復の機会もないまま、アミールは父と共にソ連軍侵攻のアフガニスタンから米国へと脱出する。

40_3それから20年以上の歳月が流れ、亡命先の米国で作家としての一歩を踏み出したアミールの元へ、アフガニスタンの隣国パキスタンから一本の電話が入る。「アフガニスタンに戻って来い」…20年ぶりの故国への旅は、アミールにとって懺悔と償いの旅である。故国に残して来た”大切なもの”を取り戻す旅。かつてのひ弱で卑怯な自分と対峙し、決別する旅でもあった。

さて、『バッド・エデュケーション』は現代スペイン映画界を代表する映画監督ペドロ・アルモドバルの自伝的作品らしく、彼が少年時代に過ごしたミッションスクールが舞台のひとつとなっている。何年か前に米国でカトリックの神父による少年への性的虐待が問題となったが、本作でもそれが重要なモチーフとなっている。監督の実体験をベースに虚実入り交じった物語なのだろうが、登場人物の痛々しさに心苦しくなることがしばしばだった(もちろん人によって、見方、感じ方はさまざまだろうけど)

神の御名において人間の正しい生き方を説く立場にある聖職者の、人道にもとる行為。それだけに衝撃的で倫理的に許し難い。それは『君のためなら千回でも』に登場するイスラム原理主義グループ、タリバンとて例外ではない。劇中、サッカー・スタジアムで衆人環視の中、姦通の罪に問われた男女の内、女性だけが石打ちの刑で殺害されるシーンがある。ことさらイスラムの戒律に厳しいタリバンが、一方で少年少女に性的虐待を加える。彼らの中でこのふたつは矛盾しないのか?神の前に恥じることはないのか?考えるだけで腹が立つ。

人はなぜ信仰を持つのか?より良く生きたい、人として正しく生きたいと思うからではないか?生き方の規範として神仏の教えを信じ、それに則って日々を過ごすことで精神的充足を得られるはずが、現実には、教義は宗派によりいかようにも解釈され、それが原因で宗派間の対立を招くことがある。行き過ぎた原理主義は人々を教義でがんじがらめにし、人々からあらゆる自由を奪う。世界各地の紛争原因の中にも宗教的対立が見え隠れしている。人々は信仰によって心の平安を得るどころか、苦しみ苛まれることも少なくない。でもこんなことを書くと、信仰の目的は現世的幸福の追求ではないと反論されるのだろうか?

『バッド・エデュケーション』『君のためなら千回でも』のニ作品を見て、どうしても宗教に対して懐疑的になってしまう自分がいる。宗教そのものより、それを信仰する人間の問題ではあるのだが、神により近いはずの人間がなぜ堕落するのか?神はなぜそれを止められないのか?敢えて止めないと言うのであれば、神はなんと厳しい試練を人間に課すのだろう。

邦題は劇中に二度登場する台詞。アミールとハッサンの固い絆を物語る言葉だ。「君のためなら千回でも」と叫んで、敗者の凧を取りに行く”カイトランナー”のハッサン。その後の”過酷な運命”を受け入れるしかなかった彼の生い立ちが哀しい。おそらく今も世界のどこかで、無数の”ハッサン”が苦難の人生を強いられているのだ。本作は”彼ら”の物語と言えるのかもしれない。

報道によれば、本作はアフガニスタン本国では上映禁止となったらしい(→http://www.varietyjapan.com/news/movie/u3eqp30000027w6z.html)。出演した少年達も、描かれた内容が内容だけにアフガニスタンにいづらくなり、米配給会社の保護の下(彼らが18歳になるまでの生活費を全額補助)、家族帯同でUAEへの移住を余儀なくされたと言う。映画出演によって結果的に故国を追われることになった少年達の行く末を思うと心が痛む。それともこの展開は彼らに幸運をもたらすのだろうか?(→http://www.cinemaonline.jp/bei_review/2007/092.php)  

◆『君のためなら千回でも』公式サイト:http://eiga.com/official/kimisen/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィクサー(原題:MICHAEL CLAYTON)

60_4これまで見たジョージ・クルーニー出演作の中では一番面白い。邦題は弁護士事務所で面倒な事案を処理する(劇中では度々”清掃人”と自嘲ぎみに自称している)”もみ消し屋”を意味する「フィクサー」となっているが、原題はクルーニー演じる主人公の名前である。 

 「フィクサー」と言ったら日本では”黒幕”的意味合いが強くて、私などコダマヨシオ、オサノケンジ、ササガワリョウイチらの名前が浮かんだりするのだが(因みにその中のひとりの下で運転手を務めていた人物は、今や大手芸能プロダクションの経営者で、芸能界では絶大な権力を持つらしい。まるで映画「アメリカン・ギャング・スター」を地で行くような人生だ)、他の弁護士や事務所の尻拭いをする汚れ役も意味するとは、この映画で初めて知った。確かに「マイケル・クレイトン」より「フィクサー」の方がキャッチーではあるが、しかし、案外ミスリードしちゃんだな、これが(笑)。

てっきりクルーニーの「フィクサー」としての活躍を描いていると思いきや、そうでもない。寧ろ映画の中で、彼はフィクサーとしては何ら効力を発揮していないのである。事務所の汚れ仕事を一手に引き受け、いいように使われている主人公が、私生活でもギャンブルと身内のトラブルで多額の借金を抱え、いよいよ追い詰められた時、同僚花形弁護士の奇行(実際のところは花形弁護士の”良心”と、ある一人の少女への淡い”恋心”が、弁護士を「正義」へと走らせた結果なのだが)の尻拭いを命じられる。そこから主人公の”人間力”が試される、とでも言おうか。社会の裏側の汚い部分を散々見聞きし、そこにどっぷりと浸かっていた主人公の中に、まだ残されていた一片の良心。それを原動力に、彼はある意味鮮やかな逆転劇を演じてみせる。それでも万々歳と行かないところに、容易ならざる人生の厳しさが垣間見えて、最後のシーンでふと見せる彼の表情が深い余韻をもたらすのだろう(夫は最後のシーンを、あまりにも有名な「卒業」のラストシーンと重ねて見たらしい)

主演のジョージ・クルーニーとトム・ウィルキンソン、ティルダ・スウィントンら実力派俳優との丁々発止の対決シーンは見応えがある。製作に一流映画人が名を連ねたことからも本作の本気度が伺える(同時にそれはクルーニーの求心力を証明するものでもある)。近年では、映画の醍醐味を感じさせてくれる数少ない作品のひとつだと思う。

【心にグッと来たワンシーン】

離婚して、別居を余儀なくされている息子との車中での会話。 (酒に溺れた)マイケルの従兄弟の弱々しい姿を目にして怯えた表情を見せた息子に、走らせていた車を止めてマイケルは言う。「お前は心の強い子だ。お前なら大丈夫だ」―その目はしっかり息子を見据えて、声も力強く、新しい父親を迎えた家庭に今ひとつ馴染めない息子には、おそらく何よりの励ましとなったはずだ。

◆『フィクサー』データ(allcinemaonlineより)http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=328901

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ノーカントリー(NO COUNTRY FOR OLD MEN)

60_2アントン・シガー、劇中彼の背景説明が一切なされないのも言いしれぬ恐怖を誘う。彼がどこから来て、どこへ向かおうとしているのか観客には一切明かされないのである。

ボディブローのようにジワジワと効いてくる映画だ。

 ”一般人”には理解し難いメンタリティと哲学を持った犯罪者への恐怖は現実世界も同じ。「殺すのは誰でも良かった」「殺したことを後悔していない」「被害者への謝罪は…特にない」。映画の中の職業としての「殺し屋」と日本の「無差別殺人犯」。一見かけ離れたような存在のようで、「理解不能な存在」という意味では一致。できれば関わりたくないタイプの人間(でも、いつどこで、そのような輩と出逢うやも知れぬ。それが昨今の恐ろしさ。タイトルも、もはや年寄りが安穏と暮らせる国は無くなった、とも取れ、社会の変質を暗示させる)。しかし、その有無を言わさぬ暴力の理不尽さに、嫌悪感と恐怖を覚えながらも、劇中のトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官の傍観者的態度に共感する(理解を示す?)人は案外多いのではないか(下手に関わると、こっちの身が危ないもんね。戦争下のような切迫した状況でない限り、愛する存在がいる人間は、わざわざ危険な賭には出ないと思う。たとえ意気地なしと呼ばれても。勇気ある者への賞賛は一時的なもの。その多くは、残された者の悲しみだけを残して、人々から忘れ去られてしまう)

本作は苦い後味を残すが、見応え十分。コーエン兄弟恐るべし。

 実のところ、”一般人”と”殺人者”のボーダーも最近は曖昧なんだよね。周囲が驚くほどあっけなく両者の間にある”壁”を乗り越えてしまう人々がいる。そんな状況を「明日は我が身」と内心恐怖におののきながら生きているのが現代人なんだろうか?自分は絶対”アチラ側の人間”にはならないと確信が持てる人は、今の日本に果たしてどれだけいるのだろう?

◆映画『ノーカントリー』公式サイト:http://www.nocountry.jp/
◆映画データ:http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=328975 (cinemaonlineより)

60_3












以下はネタバレにつき、映画をご覧になった方だけ読まれたし。

【つっこみどころ】

冒頭、殺し屋アントン・シガーが後ろ手に手錠をはめられ保安官事務所に連行される。その後の彼の無敵ぶりを見たら、なぜ彼が保安官ごときに逮捕されたのか理解できない。この保安官事務所における、彼の極悪非道ぶりをまざまざと見せつける殺害シーンの描写は、出口のない恐怖ショーへの導入として確かに効果的ではある。

【ついでながら、気になること】

「とにかく誰かを殺したかった」―最近ニュースで耳にした、あまりにも理不尽な殺害動機(厳密には”動機”とは言い難いが)。同じ様な台詞を最近、米ドラマ『クリミナル・マインド FBI行動分析官』で耳にしたばかりである。ドラマでは殺人衝動の妄想に悩む少年が、その抑え難い衝動を結果的に他者ではなく、自分自身に向けた(→自殺をはかる)のだった。

従来はドラマの少年のように絶望の果てに自傷に至っていた人間が、今や他者への攻撃(殺傷)へと走るケースが珍しくない。自らの破滅に、自分とは無関係な人間を道連れにする。理不尽な殺人は自分を受容しなかった社会全体への究極の復讐とも見てとれる。そのターゲットにされた被害者は堪ったものでない。何が人間を変質させたのだろう。犯罪者個人を断罪したところで解決できる問題ではないような気がする。寧ろ社会全体で、そうした殺人者を生み出した土壌としての責任を負う覚悟が必要なのかもしれない。

【あの気になる髪型についてのメモ】
2008.5.2付日経夕刊13面コラム「モードの方程式」(中野香織氏)に、ハビエル・バルデム演じるシガーのあの独特な髪形についての言及があった。それによれば、ヘアードレッサー、ポール・ルブランは「十字軍」にヒントを得て、あの殺し屋ヘアーを考えついたと言う。「十字軍の騎士とイスラム教徒が殺し合う時代の髪形。時を超えた危険な雰囲気をハビエルに与えたかった」と英「ガーディアン」紙に語ったらしい。意外なルーツにビックリ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«謎がいっぱい、大人の放課後~『アフタースクール』