みんなが幸せになる方法(ひとつの考え方)
民主党代表選に出馬する岡田氏が会見で「国民が幸せになるよう後押ししたい」と述べた。結局スローガンだけで、具体的にどのような政策で国民の幸福を実現するのかについての言及はなかった。具体性のなさは対抗馬の鳩山氏も同じ。「友愛政治」って何よ?
すべての国民が、と言うのはかなりハードルが高いかもしれないが、多くの国民が幸せになる為にはどうしたら良いのだろう?本当は人任せ(例えば政治に期待するとか…)にしては、いつまで経っても実現しないのではないか?結局のところ、国民ひとりひとりの心がけにかかっているのではないか?
最近、「神の手を持つ」と賞賛される脳外科医、福島孝徳氏の本(『福島孝徳 脳外科医 奇跡の指先』(PHP文庫))を読んで感銘を受けた。何に感銘を受けたかと言えば、福島医師の仕事に対する姿勢だ。彼は「すべてを患者さんのために」と言う心構えで、脳外科医という仕事に全力で取り組んでいる。
1日も早く一人前の外科医になりたいと若い頃は率先して手術経験を積み、患者の身体的負担を減らすべく画期的な手術技法と様々な手術器具を自ら開発し、要請があれば世界各地へと赴く。しかも手術器具が整っていない国・地域には自腹で器具を持参し、術後には寄付。さらには、できるだけ多くの患者を救うべく、脳外科医育成財団を設立したり、自らの手術の様子をビデオ教材として提供し、後進の育成にも力を注いでいる。
そのすべてが「患者さんのために」というただひとつの目的に収斂される。そこに私利私欲は一切ない。彼が得た世界的名声は、彼の類い希な業績の結果に過ぎない。その名声さえ利用して、彼は脳外科学会、ひいては医学界全体の発展に尽くし、その成果を患者に還元しようとしている。その点に私は心を打たれた。
その型破りな言動は、日本の医学界の枠には収まりきらず、彼は40代で国外へと飛び出してしまった。今や独自に確立した「鍵穴手術」で、脳外科手術の世界的権威。世界をまたにかけて複数の大学の教授を兼任している。これは所謂「頭脳流出」ですな。世界の為には良かったが、日本にとっては大きな損失だったのではないか?こうした大器を生かす余裕が、日本の医学界になかったのがとても残念だ。
福島氏は近著で、日本の医療に対し率直な提言を行っているが、果たしてどれだけ理解され、受け入れられるのだろう?アメリカナイズされた合理性がそのまま日本の医療に適用できるとは思わないが、謙虚に耳を傾けるべき点は多々あると思う。なぜなら、彼の視点は一貫して「患者本位」だからだ。
福島氏についてさらに興味深い点は、「神の手を持つ」と賞賛されながらも自らの限界を自覚し、最後は「神」(福島氏は明治神宮の神官の家に生まれた)に患者の命を委ねる「謙虚さ」である。真の実力者はけっして驕り高ぶらない(逆に実力のない者ほど、自らを強く、大きく見せようとする)。自らが長年に渡って培った技術を惜しみなく後進に伝えるという姿勢も、彼の偉ぶらない人柄をよく伝えている。
人はそれぞれ何らかの役割を担って、この世に生を受けたはずだ。ひとりひとりが私利私欲に囚われることなく自分の役割を誠実に全うすれば、世の中は劇的に変わるのではないか?別に大それたことではけっしてないと思う。日本国民は日本国民として、親は親として、子供は子供として、職業人は職業人として、自分が今何をすれば最善なのか誠実に考えて、行動に移すだけのこと。それが長年に渡って疎かにされて来たから、現代社会は機能不全に陥り、多くの人が閉塞感に囚われ、自らの人生に幸福を見いだせないのだと思う。まずは自分が変わらなくちゃ![]()
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私は特に感銘を受けた作品、内容をより深く理解する為に、その背景を知りたいと思った作品は、鑑賞後にパンフレットを買うことにしているが、本作は何れの理由にも当てはまるので、迷うことなく買い求めた。このパンフレットの類は、その販売形態の特殊性から、書店で本を買うのとは勝手が違って中身をチャックすることなく買うしかないせいか、結構当たり外れがある。本作のパンフレットはなかなか読み応えのある内容で、映画の内容を十分に補完するものだった。大当たりの部類に入ると思う。
本作は舞台劇の映画化である。フロスト、ニクソン両氏のインタビュー対決シーンに時間の多くが割かれてはいるが、時折挟み込まれるそれ以外のシーンに、映画ならではの味付けがなされていて興味深い。例えば、両者のブレーンを交えた戦略会議や、「カサ・パシフィカ」と呼ばれるニクソン氏の別邸、当時の芸能界を代表するセレブが顔を揃えたフロスト氏のバースデイ・パーティ等の描写、さらにニクソン氏がピアノを弾くシーンや動物との何気ない触れあいを描くことで、フロスト、ニクソン両氏の人となりや心理状態、インタビュー対決の楽屋裏での奮闘が手に取るようにわかる作りになっている。
一部フィクションを盛り込んで劇的効果を高めてはいるが、歴史の1ページとして記憶されただけのフロスト×ニクソンのインタビュー対決が、それから32年後の今、こうして目にできるのは素晴らしいことだと思う。4日間に渡るインタビューで3日まで圧倒的優勢に立っていたニクソン氏が、4日目にあっけなく形勢逆転される点が腑に落ちないとの映画評を目にしたが、私が思うに、常に攻撃する側、優位にある側の人間が、不覚にも守勢に回った時には、驚くほど脆いものなのではないだろうか?往々にして攻撃な態度、強気な姿勢は、自らの弱さをひた隠す為の方便であったりするものだと思う。
また生粋のテレビ人であるフロスト氏の、さらなる成功への鍵を見つけ出す嗅覚の鋭さ
ただし、社会は「人」で動く。人は「心」で動く。「希望」を持つことは、けっして悪いことではない。M氏に託した千葉県民の「希望」が、少しでも千葉県を元気にしてくれたら良いなと思う。
レッド・カーペットでは、やはり女優陣のゴージャスなドレスがみどころ。特に人気のデザイナー、ヴァレンチノ氏ご本人も登場しました。私のイチオシはやっぱり、ペネロペの80年前?に作られたと言うヴィンテージ・ドレスかなあ…髪をアップスタイルにした彼女は、往年のオードリー・ヘップバーンを彷彿させます。女優としての彼女は、作品の為ならフルヌードも辞さないプロ根性の塊のような人だけれど…助演女優賞の受賞スピーチ「映画は世界をひとつにします。映画を守りましょう」も素晴らしかったです!
■助演女優賞:ペネロペ・クルス
さらに半ばにはディーヴァ、ビヨンセを迎えてのヒュー・ジャックマンとのミュージカル・メドレー。両脇にはザック・エフロンを筆頭に次代を担う若手スター達、背後には大勢のダンサーを従えています。歌唱はもちろん、ダンス・パフォーマンスも圧巻でした!
ヒースが故人なので、彼の家族、両親と妹が代理でオスカー像を受け取り、受賞スピーチを行いました。

言わずと知れた、1999年にロンドンのウエスト・エンドで初演以来、世界的人気を博した舞台ミュージカルの映画化作品である。私は2006年春に、写真の劇場で舞台を見た。さすが皇太子の称号を冠した劇場だけあって、外観も内部もゴージャスだった。旅行の1カ月前にticketmasterと言うサイトでオンライン予約して息子と二人分のチケットを確保したのだが、運良く前から2番目の真ん中に近い席が取れ、1mも離れていない所にオーケストラ
映画が舞台に勝るのは、やはりロケーションの魅力だろう。舞台では視点は一点のみだが、映画ではさまざまな視点から、物語の舞台を、人々の姿を映し出す。ギリシャと言ったらエーゲ海。あの陽光降り注ぐ紺碧の海は、それだけで見る者の心を解き放つ。そもそも北欧スウェーデン生まれの歌が、ギリシャを舞台とする物語にうまく嵌ったのが不思議だが(と言うか、やはり無理矢理嵌め込んだ?)。
ドナ役のメリル・ストリープは9.11事件後にNYのブロードウエイで、舞台版を見て以来、その突き抜けた明るさにファンとなり、ふたつ返事でドナ役を引き受けたそうだ。意外にも彼女にとって初のミュージカル作品だが、学生演劇出身の彼女は学生時代にはよくミュージカルに出演していたらしい。それでも女優として既に揺るがない地位を築いた彼女が、新たな分野に挑戦する、そのチャレンジ精神は天晴れとしか言いようがない。来年には還暦を迎えようとしている彼女が、画面狭しと弾けまくっている(笑)。群舞で揃わないのはご愛敬か。歌唱はけっして上手くはない(音域が狭いかな?)が、演技派なだけあって情感豊か。
この作品はなんと言っても女性が主役。要所要所で笑わせてはくれるものの、女性陣の圧倒的パワーの前に、総じて男性陣は影が薄い印象。
「青い鳥」に気づけなかった夫婦の物語
辛辣な人物描写が印象的だ。登場人物全員が悪人とは言わないまでも、その言動に何かしらの毒を含んでいる
鎌倉の梅は陶芸品
《岩割りの梅》
岩割りの梅にほど近い、手打ちそば梅の内(めのうち?)に行ってみました。ここも住宅街の少し奥まった所にあって、一見して普通の民家を改造して設えた店のようでした。まるで知人の家を訪ねるような雰囲気。店名を染め抜いたのれん、左手に見える品書き板がなければ、普通の民家にしか見えません。キビキビと働いておられる女性もご近所の奥さんと言った風情。
メニューは3種類だったでしょうか?せっかくだからと50食限定
私達がおししい天ざるに舌鼓を打っている最中に、「申し訳ありません。もう完売になってしまいました」という声が。私達の後に入った夫婦連れの客で札止めとなったようです。つまり私達は47、48食目の客だったのです
即清寺の後は吉野街道を横切って、目と鼻の先にある大聖院へ。ここまで来れば、もうゴールの駅まであと少しです。境内に入る前に、塀際に立つ曲り松に目が釘付けになりました。
《親木の梅》
玄関左側に鎮座する椎の古木。
しゅん【旬】
橋を渡り切ると、沿道には食事処や土産物屋が並んでいます。途中に青梅市が開設した臨時の観光案内所があり、青梅市観光パンフレットと共に写真のA4サイズを2つ折りにした台紙を貰いました。青梅吉野梅郷観梅記念スタンプハイク。10カ所の観光名所を巡ってスタンプを押すスタンプラリーのようです。せっかくなのでスタンプを集めることにしました。
梅の公園入り口近くにある枝垂れ梅。時折吹く風にそよそよと枝がなびいて風流でした。枝垂れは優美で女性的ですね。キリッとした枝振りの木々の中に混じっているからこその優美さではありますが、思わず立ち止まって見入ってしまいます。飼い主に連れられて来たらしい犬は、その低い目線で何を見ているんだろう?とふと気になったり…

頂上からの眺め。絶景です。いつも外出時に忘れないようにと、デジカメを玄関の靴箱の上に置いてあるのですが、今回はうっかりして忘れてしまいました。携帯カメラでは本物の素晴らしさを10分の1も伝えられるかどうか…肉眼で目にした風景への感動は、言葉でも言い尽くせません。
梅の公園内には、もちろん他の木々や花々もあります。それらの木々や花々と梅花の取り合わせも、この時期ならではの楽しみと言えるでしょうか?紅白の梅花の中にニョキッとそびえ立つ?二本松(写真)など、なかなか絵になります。ちなみにこの公園、梅まつり期間中は有料ですが、それ以外の期間は入園無料らしい。普段の公園はどんな感じなんでしょうね。
主人公アミールは裕福な家庭の子で、使用人の子ハッサンとは身分差を越えて友情を育んでいた。しかし、異なる民族
それから20年以上の歳月が流れ、亡命先の米国で作家としての一歩を踏み出したアミールの元へ、アフガニスタンの隣国パキスタンから一本の電話が入る。「アフガニスタンに戻って来い」…20年ぶりの故国への旅は、アミールにとって懺悔と償いの旅である。故国に残して来た”大切なもの”を取り戻す旅。かつてのひ弱で卑怯な自分と対峙し、決別する旅でもあった。
これまで見たジョージ・クルーニー出演作の中では一番面白い。邦題は弁護士事務所で面倒な事案を処理する
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